常世の昼の春物語(第二話)相棒は俺にヒミツを許してくれない(2)

06 若人たちのつどい

 翌日、清矢は小学校が終わると広大を誘って渚村の夏目私塾に寄った。広大も、昨夜の結城博士の訪問が気になっているらしい。夜空についての話があると言って、大分閑散としてしまった夏目家に入れてもらう。古狼の忘れ形見、三つ年上の文香が中学から帰ってくると、さっそく内輪の面子が集められた。

 風車を腰に差した前村長、風祭家の一人息子、銀樹。祈月源蔵を慕う無頼者、張本忠義の娘の志弦。一足早く中学の学ランやジャンバースカートに身を包んだ彼らは清矢からすると幾分遠い存在になりかけていたが、みな、夜空の名を聞くと居ても立っても居られないようだった。

 板張りの居間で火の入っていない囲炉裏をかこんだ。二年前、まさに誘拐犯が踏み込んできた現場である。昨晩結城疾風博士が語っていた内容をそのまま伝える。全員が拳を握って聞き入った。

「だけど夜空は帰れないんだって。結城先生は怪しんでる」
「いまいち釈然としねぇな。家宝を無くしちまったから、面子が立たなくて帰れねぇのか?」

 『悪いニュース』で話をしめると、銀樹はのんきな推測をした。清矢は理解できた部分だけ続ける。

「大統領? とかが夜空を保護してるって言ってるんだけど、結城先生はそれはウソで、犯罪に巻き込まれたんじゃないかって。昨日夜遅くまで父上やおじい様たちと話し合ってたよ」
「夜空……いい加減、帰ってきやがれよ。チクショー!」

 広大がこぶしで目元をぬぐう。一方、夏目家の忘れ形見である文香は辛辣だった。

「ホント、最低だよね夜空は。うちの父親が亡くなって間もないってのに、みんなをだまして大事な宝を盗んでさ。ひどい目に合うのも自業自得なんだよ……戻ってきてもせめて一発殴ってやらないと、俺、気が済まない」

 同い年の犬亜種、志弦は居心地が悪そうだ。彼女は手伝いと称して蔵に入り込み、夜空によるロンシャン家宝持ち逃げに協力してしまったのであった。

 蔵の管理を長らく請け負っていたのは、古狼こと夏目氏だった。夜空と志弦は責任者が亡くなった騒動の中で、夏目から盗みをしたのだ。息子である文香にとっては非常に心外な一件であった。清矢も普段ならいくら彼女の父親の武功が凄まじかろうと肩なんか持たなかったが、今日は違った。

「でもさ、俺、夜空にも考えはあったんだろうなって今は思ってる」

 思わぬ情の深いことばに、志弦は身を乗り出してきた。

「そう、そうなの。古狼、亡くなる前にあたしたちに言った。ロンシャンから結城先生が帰ってきたから、次は夜空の代が留学する番だって。だから、『新月刀』も何もかも、次期当主として携えて行けって……そうすれば祈月はもう汚れ仕事に使われるようなことはないんだって」

 彼女なりの必死の訴えだった。

 家宝紛失の真相が判ってからというもの、張本家は集中砲火にさらされた。父親の忠義は武功までけなされたし、妻の翠恋は大泣きして土下座した。すべては古狼が夜空と志弦に内密に命じたことであって、父親たちはまったく無関係だったのは子供ながらに理解できたし、常春殿神兵隊に加入した今となっては当時の夜空たちの気持ちも何となく推測もできた。

 清矢がはじめて理解を示したことに、志弦の顔には涙すら浮かんでいたが、文香は鼻白んだ。

「だからってウチの古今和歌集まで持ち出すことはなかったじゃん! あれは昔作った複製で、おやじとの思い出なんだよ……!」
「まぁさ、あの時はみんな気が立ってたし、志弦も小さかったから、遺言を真に受けちまったんだよ。しょうがねぇじゃねぇか」

 年かさの銀樹が面倒そうにその場を収めた。清矢は正座して諭した。

「そりゃ、夜空が無事なら他はぜんぶ失せてもいい、とは言わねーけど。でも、俺たちは俺たちで、騙されたり仲たがいしないよう、心は一つにしておくべきだ。父上たちはとうとう鷲津と戦だから、夜空についてはどうせまた後回し」
「それもやっぱりしょうがねぇよ。雲をつかむような夜空捜しより、明日に迫った戦争のほうが大事さ」
「でもさ……俺たちで魔法大学まで行って、結城先生や愛野さんって人に、もっと話を聞いてみねーか?」

 清矢の誘いに、志弦はすぐに乗った。

「あたし賛成。夜空と宝を取り返すためなら、命だって賭けるよ。それが張本の忠義だって、今は思う」

 何事にも男勝りの志弦はぐっと拳を握りしめ、力こぶを作ってみせた。文香のほうも眼鏡の弦をいじくりまわしつつ同意した。

「……まぁね、情報収集くらいなら俺たちにだって出来るかな? ホント、夜空についてはどんな些細な話でもいいから聞きたいもんだよ」
「『僕らは少年探偵団』ってか。粋っちゃ粋だけどねぇ」

 銀樹は床に横寝しながらてきとうにはやしたてる。清矢は深呼吸して、この日一番に勇気のいる提案をした。

「それでさ。あの……他言無用なのは分かってるんだけど、詠ってやつも仲間に加えてくんねーかな?」
「ヨミ? それって誰?」

 文香がいぶかしげに聞く。広大が「神兵隊で知り合った清矢の友達」と説明しても、腑に落ちないようだった。銀樹も風車をふーっと吹いて、機嫌の悪さを暗に主張する。志弦はことさらに心配そうだった。

「あたし常春殿神兵隊のこと聞いたよ。耀サマの殺害を、渚村や風祭のせいにしてるって。清矢まで『日の輝巫女』に襲われたってのに、まだ討伐隊を編成しないって……ただでさえ戦で油断がならないってのに、内輪によそ者を入れるの?」

 思ったとおり否定的な反応だ。清矢は焦って早口で説得した。

「でもさ。櫻庭ってホントは祈月の親戚なんだ! 嘉徳親王に桜花様っていう妹がいたらしくて、その妹が嫁いだ家なんだって。そいつ、耀にもあこがれてるし、一緒に夜空を探そうって言ってくれたし、スゲーいい奴」
「張本のおっさんもスゲーいい奴だったけど、志弦はお家の重宝を持ち逃げしちまったな」
「……俺、詠を白狼に変えて、馴化の曲聞かせちまったんだ。そのせいで、詠はめっちゃ俺になついてる。責任取んなきゃいけないし、父上も草笛も、櫻庭や常春殿を味方につけたいと思ってるんだよ」
「……いちお、祈月と草笛の策なんだ。俺も詠は完全に味方にしちまったほうがいいと思う」

 広大は助け船を出してくれた。彼とて、夜空だの清矢だのに巻き込まれ、同年代の友人が少ない身の上であったから、詠を仲間に加えたかったのかもしれない。銀樹は呆れかえった様子で風車を床に放り出す。

「はっ。ちびっ子どもはいつだって聞き分け悪ィな。でも今度は何かあったら俺に従えよ。そいつ、裏切りやがったら処す。夜空に続いて清矢までも問題続きじゃ、勝てる戦も勝てなくなっちまう」
「そだね、俺、櫻庭氏について調べとく」

 葬式以来、消沈していた子供たちの胸に、再び火がともりはじめているようだった。故人を悼んでか、教室代わりだった居間では思い出話もぽつぽつと聞こえ出す。

07 詠のかーちゃんの心配

 こうして銀樹、文香、志弦からなんとか許しを得た清矢は、週末の神兵隊訓練に勇んで参加した。試合で打ち伏せられても頼み込んでは再戦し、気合入ってるな、と先輩たちに褒められる。良いイメージのまま詠に声をかけた。

 翌日の大学訪問に誘うと、彼は意外にも渋い顔をした。

「魔法大学か……そこって異国の術とかやるんだろ。ウチ、一応神官の家だからダメ」
「えっ、どうして? 渚村の年上の子たちも一緒に来るよ。仲直りするチャンスじゃね?」
「そりゃーホントは行きたいよ! でもさ……」

 詠はうつむいて、さっさと帰途につこうとした。清矢はじゃれついて獣耳をひっぱり、詠から無理やり笑顔を引き出して、肩を組んだ。

「何かあったのか?」

 詠は降参した顔つきで言った。

「あのな。母ちゃんが、絶対魔法大には行っちゃいけないって。それに、清矢くんとも遊ぶなだってさ……神兵隊で話すのはいいけどって」

 清矢は真顔になってハーフパンツのポケットに手を入れた。詠は清矢と出会って以来、狼には変えられる、銀樹には凄まれる、『日の輝巫女』には襲われると厄つづきだ。家を訪ねたときの母親の態度からすれば、悪く思われるのも仕方ないだろう。小首をかしげて、詠の浮かない表情を覗き込んだ。

「じゃ、どうする……?」
「清矢くん、俺に来てほしい?」
「うん。だって親友だろ」

 即答すると、詠は今までの逡巡が嘘のようににっこりと笑った。

「そうこなくっちゃ! 俺、どうせ放課後毎日神兵隊の訓練だから、今度は俺がサボって清矢んち行くよ」
「大丈夫? バレたらすげー怒られるんじゃ」
「そしたら、清矢んちの子になる。だって、友達付き合いにまで親が口出すなんてありえねーもん!」

 めちゃくちゃなことを言い始める詠が少し心配だったが、清矢はひとまず安心した。

 夏目家での話し合いの結果、月曜には大人に付き添ってもらい、魔法大学見学の体で詳しい話を聞きに行くことになっていた。同行するのは耀のパートナーだった天河重彦てんが・しげひこの予定だというと、詠は目を輝かせて喜ぶ。

08 愛の大魔法・ディア

 翌日は何とか小学校帰りに詠とうまく落合い、清矢は電車に乗って県庁所在地の松嶋市まで三十分ほど遠出した。そこは天皇の離宮のひとつ、春宮があり、今も祈月氏が草笛や恵波の力を借りて維持・管理をしていた。清矢も広大も折々に訪ねることがあったし、志弦たちが中学を終えて出てくるまでの時間つぶしに寄ることにした。

 林泉回遊式の日本庭園は、渚村の面々や庭師の働きにより手入れがゆきとどき、春には桜、秋には紅葉と四季に応じた植生が楽しめてまさに百花園の体。初夏の今は、ちょうど紫陽花の盛りである。移り気との花言葉どおりに、白、ピンク、紫に青と、夢見るようなグラデーションを描きながら咲き誇る姿は見る人を幻域に誘った。梅雨の晴れ間、足元で涼を添える擬宝珠のほの白さも趣深い。

 洋館に作り直された離宮には入れなかったが、清矢たちは庭園を一周してエノコログサをとったり駆けっこをして遊んだ。入口に帰ってくると、銀樹、志弦、文香の中学生組も到着していて、そのまま市街の『天河楽器店』へと急いだ。帝都や常春殿とのつてで特殊な音曲技を行うための楽器を提供している個人経営の店だ。

 利根川の家が経営する洋物のブティックや、香池がバックについているという質屋、平良の呉服店など、林立する草笛の商売敵たちを横目に見つつ、楽器屋にたどりつく。念のためショー・ウィンドウを調べていったが、夜空が持ち去った宝物は売りにでていないようだった。

 瀟洒な看板をかかげた楽器屋の重たいドアを開けると、五十代後半の灰狼亜種の男がのそりと顔を出した。三白眼で、世慣れた風情の店主は他でもない、時の朝廷から祈月耀のパートナーとして付けられた相棒の術師、天河重彦である。フレアジーンズにキャメルのシャツという若ぶった格好で、売り物の17キーのカリンバを暇そうにつま弾いていた。清矢たちが大挙してやってきたので少し泡を食い、エプロン姿の娘さんにジュースを配れと命じている。

「天河さん、今日はちょっと頼みがあってきたんだ」
「頼み? ハーモニカでも壊れたのか?」
「ちげー。実は夜空の居場所が分かったって結城先生が言い出してさ。みんなで話を聞きに行こうって」
「夜空のやつが⁉」

 天河重彦は余計に仰天して、詳しい話をせがんだ。汐満医院の子息である愛野京あいの・みやこがロンシャン経由でグリーク魔法大学から帰ってきて夜空についての言伝てを預かってきているという長話を終え、大学に付いてきてくれるよう頼むと、重彦はさっそく腰を上げ、ガラスケースの中に飾ってあった特製の木製ハーモニカを出して荷物に入れた。

 詠は初めのうちはおそるおそる近づき、最後にはかぶりつきで中の楽器を観察した。

「この子はどこのだ?」
「櫻庭のヨミって言うんだ。神兵隊で知り合った俺の友達」

 清矢が軽く説明すると、詠は紅潮した顔で次から次へと耀が扱った術について聞きはじめた。

「耀サマって、ほんとに白狼になれたんですか?」
「えっ? あー、まァな、白狼村のやつにはまだ変われるやつもいるけど、俺はできないんで、フォローが大変だったよ。変化した耀には噛まれたこともあるんだぜ⁉」
「オオカミになれるってのはホントだったんだ。じ、じゃあさ、黒曜剣で『月光凝集』! ってやったのは?」
「おう、神兵隊ではもう訓練してねぇのか? 日月を兼ねるつもりかって当時の朝廷には怒られたけどよ……」
「俺、耀サマみてーになりたいんだ! あの……そんでさ、白狼村のやつらは『さかまき』もやってるって本当? 耀サマは風も、太陽も、月の術まで使えたんだよな!」

 詠は太い尾を振りながら、耀の話を楽しそうに語り始める。出がけだというのに思い出話が始まってしまったので、清矢たち渚村組は手持ち無沙汰で配られたジュースを飲んだ。一服してからゆるゆると出発したが、詠はウキウキとその場でジャンプをしたり、足踏みまでして重彦の隣から決して離れようとしない。

 魔法大学は市街地から少し離れた郊外にあったので、路面電車で逆戻りしなくてはならなかった。

 陶春魔法大学は、五年前にようやく校舎が完成した本邦初の国立魔法大学だ。主に西洋で隆盛している『マギカ』を祖とする汎用系魔術を学べるという触れ込みであり、入学時には魔力選抜も課される。ロンシャン国立アカデミー魔法科や、グリーク魔法大学とは協定校で、山陰の僻地に転送石が据えられたのもその便宜のためであった。

 結城疾風博士はこの学校の教授である。何人かの異国の魔術師もともに魔法を教えているという話は、清矢も詠も耳にしていた。

 しかし、地方の人々にとっては、何やら得体の知れない学校という評判だった。「せっかく大学出だっていうのに、魔術大なんか出ても就職はない」という大人たちの揶揄を、清矢も店で聞いたことがある。銀樹や文香は案外興味があるらしく、魔法見られるかなと座席で無邪気に語り合っていた。

 無骨な門を抜け、芝生がきれいに整備された中庭に歩みを進めると、見慣れた人が、見知らぬ人と争っていた。

「Kietas, Motros, 焔龍よ號せよ、Fire-Dragoon!」
「何をっ、甘いわ! 十二神将顕現! 辰巳よ、一息に貫いてやれい!」

 二人とも狐亜種で、ひとりは黒っぽい毛並み、もう一人は輝かしい黄金の毛並みだ。見慣れた黒っぽいほうは神主一級の黒っぽい袍を着て、烏帽子に笏という、今の世でもすでに珍しい姿をしていた。

 彼は袴さばきも鮮やかに、使役している十二支の式神をとりどりに使ってみせた。龍をかたどった炎が舐めるように襲い掛かってきても、同じく龍と蛇の式神が果敢に火の粉を喰らい、犬ほどの大きさのネズミやウサギたちが敵の足元に殺到している。

 白昼堂々、スペクタクルめいた決闘である。遠巻きに見ている学生らしき者たちもまったく手が出せずにいるようだった。

「おいっ、あれ安部様じゃねーか!?」

 清矢は慌てて広大の袖をつかんだ。見間違えるはずもない、今も松嶋市内で信仰あつい、安部神社の神主、安部帰明であった。戦っている相手は紅色のマントを身に着けた異国の魔術師とおぼしき者で、土管ほどの太さのある炎の濁流をロッド一振りで細かくコントロールしていた。

「チッ、同族かよ。変化コード吹くと安部様まで巻き添えになっちまう……!」

 重彦は舌打ちをして、子供たちに円陣を組むよう命じた。重彦は清矢のハーモニカの師匠である。銀樹も風車を逆手に構え、文香は獣毛を逆立てて、風圧を身にまとう『さかまき』を行う。みなが神主を守ろうと焦って寄り集まったため、広大が押されて転んでしまう。

「いっつ……!」
「清矢、『癒しの旋律』吹いてやれ」

 あっさりした重彦の指示に従って、清矢もショルダーバッグからハーモニカを出した。すると束髪の柔和そうな男が小走りで寄ってきて、広大の傷ついた膝を布で拭いてくれた。

「君たち大丈夫? アレには手を出しちゃダメですよ。傷は……特別出血大サービスで私が治してあげましょう!」
「いや、異国の術はいいから。何があるかわからねぇし。見たところあんたは学生さんか?」

 重彦が親切を断ると、犬亜種の男は泣き笑いして後ろ頭をかいた。

「ええと……私、次の学期からこの大学の教師になるんです。愛の大魔法・ディア……披露できると思ったんですが」
「天河さん、俺見てみたい。お兄さん、やってみてよ」

 清矢がそう言うと、男はうれしそうに広大の膝の前に手をひろげた。

「我らが燃やす神秘の炎、知と力の命脈たる魔素と、微細なる生へ賛歌を捧げる……塵で作られし下僕への限りなき祝福と我が愛において、疵を繕い、停止せぬ歯車となせ! 回復魔法・ディア!」

 長々しい詠唱が終わり、男の手のひらから柘榴色の光が放たれた。驚くことに、広大の擦り傷はきれいに塞がり、つるりと嘘のように元に戻った。便利なもんだ、と一同が目を見張っていると、安部様もギャラリーの中にいる知り合いに気づいたのか、檄を飛ばしだした。

「天河に清矢もおるのか⁉ 普段術の稽古を付けてやっとるのは儂じゃぞ、加勢して、この聞き分けなしに仕置きしてやらんか!」
「その必要はありませんよ、安部帰明さま。沢渡マルコ先生も腕試しはおやめください」

 治癒をしてくれた男が注意をすると、安部様を攻撃していた黄金色の狐亜種もロッドで魔法陣を描き、炎の龍を大地に収めた。彼の顔は掘りが深く、混血のようだったが、どうやら日本語が分かるらしい。流暢に発せられた言い分は信じられないものだった。

「術師同士は、一度相まみえたら戦うしかない……それが俺のポリシーだ。それにこの人は相当な手練れ。俺の本気にも耐えられると思ってな」
「何かもうメチャクチャ言ってるけど、安部帰明様は松嶋市の神社の神主で、町を結界で魔物から守ってるお偉いさんだ。異国のやつが余計な手出しすんじゃねーよ!」

 清矢が凄んでハーモニカをかかげる。銀樹も文香も戦闘態勢から移行はしていなかった。子供たちは、銀樹の風車による風操りや、文香の『さかまき』や狼化など、術についてはおのおの一家言あり、他国の術師になどそれこそ強気なものである。狐亜種の男は少しおののいて彼らを見回した。

「愛野先生、この子たちは一体? 全員素晴らしい魔力の高さだが……」
「当り前じゃ! どこの子だと思ってる!」

 今まで襲われていた安部帰明が、広大や志弦に取り巻かれて唾を飛ばした。相当な剣幕だ。

「ワシが土御門流を教えるのはこのレベルの者どもに限っとる! 魔法大学の素人なんぞに一体、何を教えろと言うんじゃ!」
「私どもも事情があるんです。本日はその話し合いでおいでくださったというのに、沢渡マルコ先生と術師対決なんか始めてる場合ですか……!」
「ふん。あっちが戦いたいと言ったんじゃ。まったく、何が炎龍じゃ。何がマギカじゃ! ワシらが髄を尽くしてきた日ノ本の呪術を馬鹿にしておる!」

 天河重彦は憤慨している安部帰明に手を差し伸べた。二人は同じ五十代半ばという年ごろで、耀の時代からの知り合いである。

「安部様、平気ですか? 『癒しの旋律』は要りますか?」
「おおそうじゃな。ワシは『ディア』なんぞという訳の分からん術は御免じゃぞ。清矢、重彦と二人で頼めるか」

 清矢は術の師匠でもある安部帰明に頼まれて、重彦とともに曲を奏でた。風の清らかさだけをすくいとったような、透明な旋律が流れ出す。清矢が主旋律、重彦が和音を合わせる。Fの長音からはじまったその二十六小節の小曲は、辺りの空気を夏の終わりに変え、つゆけき薔薇のかぐわしい匂いすら連れてきたようだった。集った者たちの体を包むそよ風がほのかに発光し、火傷は癒え、疲れは取り除かれた。特別な血筋のものしか扱えない、草笛に伝わる回復の音曲だ。

「うーむ、音波術ではよくあるタイプの癒しの術ですが原理はどうなっているのか……? ちなみに『ディア』は錬金術の初級で、副作用もほとんどない万能魔法なんですけど」

 広大を治療してくれた犬亜種の男は大して動じずに頭をかいている。志弦は思い切って話しかけた。

「あの、『愛野』って呼ばれてましたよね? もしかして、グリーク魔法大学から帰ってきたっていう愛野京先生ですか?」
「おおっ、さすがホームタウン! ワタシの名も上がったものですね!」

 男は小躍りして飛び上がった後、人のよさそうな笑顔を浮かべた。

「はい、私が愛野京です。みなさん、大学受験のための見学ですか? 私はまだ新任で、ゼミ学生もおりませんから、校内を案内いたしますよ」
「……いや、愛野さん、ちょうどあんたを探してたんだ。大学見学より先に、ちょっと話はできないかな?」

 重彦が自己紹介をし、清矢たちは怪しいふたりとともに大学構内に入ることになった。静かになった中庭では、先ほどまで立ちすくんでいた学生たちがロッドをおもちゃのように振り回して、何やら呪文を唱えたりしている。渚村の子供たちが心配なのか、苦々しい顔をしつつも、安部帰明まで結局ついてきた。

「こんな具合で家柄もない者が異国の術を修行するなんて、遊び半分もいいところじゃ……!」

 愛野京はその不平に難しい顔をした。

「そりゃ魔術の才能というモノについて血統主義は完全には否定できませんが、中には野良でも向いてる子もいますよ。たとえばワタシとか」
「お前はもともと巫力はそれなりだったと聞いておる! だから結城と同期の留学生に選ばれたんじゃろうが!」

 愛野京は叱られて苦笑しつつも、スイスイと中庭の木の間を抜け、本館三階まで上がっていった。

 本館は十二階建ての高層建築で、魔石回路を内包した分厚いセメント式の壁をもち、装飾がほとんどない実用的なつくりだった。四畳半ほどの広さの研究室の扉を開け放ち、長机を取り巻く椅子をすすめられる。全員ぶんの席はなく、安部帰明、沢渡マルコ、天河重彦の三人は卓を囲んで、子供たちは立ちっぱなしになった。

 重彦が夜空の話を切り出すと、愛野京は眉間の間に皺を刻んで両手を組んだ。

「ロンシャン国立アカデミーから夜空くんについて聞いたときは驚きました。また結城くんのように特別留学生を受け入れたのかと思った。今回はとうとう白透光宮家みずからなのかなって」
「なんぞ。夜空がおったのか」

 ずいぶん前から祈月氏とは昵懇にしている安部帰明はぶっきらぼうに言いすてた。沢渡マルコがしかめつらしく口をはさむ。彼は安部様を襲ったことに対する悪気もなにもなさそうだった。

「私も愛野君からその話を聞いて国際問題だと思って、訪ねてきてくださった有力者の方に協力を頼んでおきました。ゴールドベルク大統領の名を出せば極東国の人間は騙されるとでも思ったんでしょうが、とてもとても、子供が近寄れるような人物じゃない」

 天河重彦もうなずいて、手帳にメモをとりながら続きをうながす。

「そうか……手がかり自体は見つかったが、信用ならないってところか。ロンシャンは夜空をいったいどうするつもりなんだ。ところで、うちの息子、天河泪てんが・なみだは? 海外でその件について何かつかんでないか?」

 重彦の息子の泪も、結城疾風とともに国外に魔法を学ぶため留学したひとりであった。その話題が出たとたん、愛野京は乙女のように口を両手で押えて衝撃の告白をした。

「あーっ、なみだくん! 実はこっちも大変なんですよ。彼、グリーク魔法大学でマスターの学位をとってから行方知れずになっちゃったんです」
「……」

 重彦は堪えたようで、大きくため息をついて肩を落とした。沢渡マルコも驚いて愛野の話を補足した。

「泪くんのお父さんだったんですか。同窓なので存じてますが、たしか、ヒョウガ・アイスバーグという有名な氷の術師に雇われて、名を売ってました。あんまり親しくなかったのでその程度しか知りませんが……」

 愛野京も声をかぶせるように勢い込んだ。

「ワタシもそこまでは知ってるんです! ただ、ヒョウガに雇われて以降、ワタシのほうも僻地で医術の修行しなければならなくなって、いきおい連絡が途絶えがちになっちゃったんですよね……今、どこで何をしているんだか。何分、ワタシのほうも、帰ってくるための旅費まであっちの恋人に借りたという体たらくなんで……」

 異国の術に対抗心をもっているらしき安部帰明は鼻を鳴らして呆れかえる。

「何だか行方不明者が続出じゃな。だから、海外なんぞには行くべきじゃないんじゃ。術は日ノ本に伝わるもんで充分。あちらで教えてる『汎用系』はもはや巫力の濫用じゃ」
「そのご意見は翻していただきたい。日ノ本も、『汎用系魔術』を常備軍に取り入れたいからこその当校設立では? 海外留学については確かに危険だが、私の父親だって資金不足で戻れなかった。あちらで家族ができてしまったらしょうがないですよ」
「何を言うとるんじゃ! みな、国のカネで留学しておるんじゃぞ!? 無責任にもほどがある!」
「だから貴重な人材に対する国の支援が足りないというのが私が日ノ本政府に言いたいことで……!」

 大人たちが論を戦わせはじめ、銀樹あたりは盛大にあくびを始めたが、清矢は気になっていた一点を質問するため、授業でするように片手をあげた。愛野京が「はい、何でしょう」と水を向けてくれる。清矢は沢渡マルコをまっすぐ見て問いかけた。

「……あの、夜空がいなくなったことは祈月家では秘密にしてるんです、できれば誰に話したのか教えてもらえませんか」
「ああ。澄名考すみな・こうさんとおっしゃったな。何でも来年、こちらの魔法軍事関係の職に就かれるとかいう方だ」

 その名前を聞いたとたん、渚村の子供たちはざわついて互いに顔を見合わせた。天河重彦も頭をかかえる。沢渡マルコはきょとんとしたが、安部帰明はずばり一喝した。

「馬鹿めが! そいつは鷲津軍閥の参謀じゃぞ。来年こっちの職に就くっていうのは戦の勝敗次第じゃ。祈月氏とはずっと対立しておる。ワシも嫌いじゃ。よりによって鷲津のやつらに夜空のことを話したなんぞ……!」

 狐亜種の術師同士の相性はとことん悪いようだ。天河重彦はかぶりを振った。

「なんていうか今日は最悪の日だな。俺の息子は行方知れず。夜空は誰かに誘拐されたのが確定で、アカデミー魔法科は大統領の名前まで出して隠ぺいしようとしてる。最後には澄名にまで、この内情がバレバレってんだから……」
「うーん、ワタシ、自分の不甲斐なさで消え入る思いです……そっか、鷲津とはとうとう戦争なんだ。沢渡先生、気を付けなきゃダメですよ。日ノ本にはお父さんの親戚もいるんですから」

 壁際に立っていた文香まで不安そうに訴えた。

「あの……ほんと、鷲津に知られたって最悪です。前の戦でも、夜空のことを誘拐しようとしてウチの父親を呪殺したんだ。あいつら、子供に手を出すんですよ。今度は清矢まで誘拐しようと動き出しちゃったら、俺たちどうすればいいのか……」

 沢渡は文香のか細い声に同情したのか、ようやく謝って詳しく話を聞きはじめた。三島宙明の悪行が語られ、安部帰明の機嫌はさらに悪くなる。しまいには、いきなり立ち上がって愛野研究室を中座してしまった。重彦も詳しくは結城疾風と話すよう言いのこし、安部帰明に付き従った。長いリノリウムの廊下に出てみなが一息つくと、銀樹はポキポキ肩を鳴らして愚痴を漏らした。

「まったく、大人は話が長くていけねぇ」
「そうだけど、俺、ちょっと異国の魔術に興味でた。もう留学しなくてもここで学べるようになったんだよね?」
「まァな。行方知れずじゃざまあねぇし……俺も大学はここにすっかなぁ」

 中学二年生の他愛ない会話を聞いて、安部帰明はこめかみに青筋を立てる。

「銀樹、文香。いい機会じゃからワシがまとめて術を見てやる。神社に寄れい」
「ええっ? ずっと立ちっぱなしだったってのにこれから修行かい?」
「煩い、いい歳した若者が、そんな言い訳なしじゃ! 土御門流の退魔術を会得すれば、『ディア』なんぞ学ぼうという気持ちは消えるに決まっとる!」

 先ほど見た『ディア』の効果と安部様も教える退魔術とは全く異なるだろうと清矢すら思ったが、かんしゃくを起こした安部帰明は笏を構えてスタスタと廊下を先導していってしまった。清矢たちは引率の重彦とともにその背を追いかける。

09 『新月刀』なしでも!

 安部神社は魔法大学と同じ区画にあった。安部帰明はよほど機嫌が悪いのか「あの大学が建って以来、日当たりが悪くなった」とブツブツ言っている。清矢たちは一礼してから鳥居をくぐり、賽銭まで強要されたうえに、本殿で楮紙に呪言を書かされ、祓言葉を唱和して魔力をこめたのちに鶴や奴さんを折らされ、式神として自由に操れるようにと、呪文と印を教わった。詠だけは常春殿様と違うと抵抗したがまったく見逃されず、泣きながら奴さんを飛ばすはめになっている。

 浄蓮寺で鳴らしている夕方五時の鐘が響くころ、安部帰明は修行をやめさせた。別棟の居館にみなを招き、奥まった畳敷きの客間で、熱いほうじ茶と干菓子を出してくれる。清矢はころんとしたリボン結びの飴細工を口に運びながら、内心を吐露した。

「……今度は俺が鷲津に狙われるのかな」
「清矢。不安なのはわかるが、大丈夫じゃ。くれぐれもお前までロンシャンになど行ってくれるなよ」

 安部帰明は幼い清矢にまるで頼み込むような猫撫で声をかけた。誘拐の可能性を考えると怖い気もするが、ハーモニカさえ持っていれば当座は凌げる気もする。清矢は思い付きで尋ねてみた。

「安部様、俺の音曲の技って、三島に効くかな?」
「宙明にか。狐族を狐に変える曲は練習したろう。いざというときは使え。それに草笛の子守唄だって、あやつは聞いたこともないじゃろう」
「そっか……ならさ、逆に三島を呼び出せない? 安部様、親戚なんでしょ」

 安部帰明は難しい顔をした。

「宙明と対決をする気か? まだ清矢では敵わない相手じゃと思うが……」
「俺ひとりなら敵わなくてもさ。このまま誘拐されるかもって怯えてるよりマシだよ。戦の前に、鷲津へダメージを与えられるんじゃないか?」

 隣に座った銀樹がぴしゃりと膝を叩いた。

「何言ってんだよ、清矢サマ。ガキは大人しく家でピアノ弾いてな」
「でも、前回は古狼がいてもダメだったんだぜ。あのさ、安部様が鷲津に裏切ったことにして、その証拠に俺を渡すとか言えば、誘拐の罪で三島を戦の前にしょっぴけないかな?」
「ううむ、上手くやらねばワシが共犯になってしまうぞ。それとなく誘導せんと……」

 安部様は気色ばんだ。だが、広大は前のめりになった。

「いいんじゃねーか!? 俺っち賛成だぜ。三島なんてやつが戦に出てこられたら源蔵様もうちのとーちゃんも危ねぇ。祈月氏の子供はもう一人いるからそいつを人質にして、策を持ちかけるってのはどうだ?」

 盛り上がりはじめた年下組に、銀樹が怖い顔をしてすごむ。

「何言ってんだ。いいとこ夜空の二の舞だ!」

 安部様はしばらく茶碗で手のひらを温め、一息に飲み干して膝を打った。

「……いや、案外いい案かもしれんぞ。あの沢渡マルコとかいう馬鹿のせいで、鷲津側には夜空の情報が洩れておる。こちらから仕掛けてみるのも手じゃろう」

 銀樹はとうとう正座をくずしてしまい、面倒そうに言った。

「仕置きっつっても、『新月刀』なしでどうする? イキがるのはいいけど、三島の呪いはヤベーぜ?」
「俺っちが思うに、魔法大学を味方につけちまえばいいんじゃねぇの? 愛野先生や結城先生だって魔法が使えるだろ。天河さんだっているしさ、さすがに三島は大勢で取り押さえちまえばこっちのもん。子供を誘拐する汚ねえ軍閥だって、鷲津の非道を天下に示せるんじゃねえかな!」

 全員の中で一番年下の広大は、きびきびと持論を語りはじめる。腕力に関しては力自慢たちの者たちに後れを取るが、こと「策」というと乗り気になるのが、この従弟であった。

 志弦も賛成し、白狼村の子供たちは三島宙明との再戦だとやる気が上がった。そのボルテージについていけず、詠が困惑したように尋ねる。

「あのさ……『新月刀』って何?」

 満座は水を打ったように静まり返り、安部様が問いかけた。

「『新月刀』は夜空とともに失せておるんじゃったか」

 清矢が情けなさそうにうなずくと、安部帰明はとたんに土地の術師としての威厳を取り戻し、祈月に伝わる魔刀・『新月刀』について高説をはじめた。

 ……それが作られたのは永嘉の年号の頃。祈月白透光宮家の祖である嘉徳親王もまだ存命であった時代。大麗ダイリー由来の檮杌とうこつなる魔物が京で暴れているとの報に、当時の国民議会は全く無力だった。

 魔力高い皇太子を陣頭に立てた退魔軍による討伐は成功した。日ノ本では再度の帝国化が進んだが、それを案じた国民派はなおも暗躍した。嘉徳親王自身は弟の怜玉親王に位を譲ることで左派へ迎合したが、退魔熱は高まり、他所の国の術師を擁して覇を唱えようとする怪しい軍閥も乱立した。

 そういった陰謀に対抗するために朝廷が鋳造させた魔術師狩りの脇差が『新月刀』だ。敵の血を吸うとともに、その者の魔力をすべて吸い取るといういわくつきの妖刀である。

「ま、それを携えて悪しき術師狩りをするのがほかでもない宮様ご本人だってんだから、時勢っていうのは情け容赦ないけどな……その耀のサポート役だったのが、この天河サマだぜ!」
「『輝ける太陽の宮』の冒険だな! すげぇなぁ、清矢くん家は……!」

 詠は素直に重彦の自慢話に感じ入ったが、寸時、顔を曇らせた。

「えっと、でも、それ……夜空が持っていっちまったのか。三島なんて悪い奴にはとっておきの効き目がありそうなのにな……」
「というか、『新月刀』さえありゃあ、三島なんぞ無力化できるな。何の術もできなくなっちまうんだから。まあ、アレを使うにゃ、『当主儀式』が必要なんだっけか?」
「今は父上の血で動いてる。でも息子の俺なら使えるはずだよ。同じ仕組みの望月満月刀は『当主』と『所持者』を分けてるって話だ」
「……夜空、マジでふざけてる。『新月刀』があれば、俺たちだって三島の魔力を失わせてやれたのに」

 悔し気な文香の背を叩き、志弦はぐっと拳を上げた。

「ない物ねだりしてもしょうがないよ、あたしだってもう弓を習ってる! 今度こそ、三島を倒して、古狼のカタキ取ろう! 馬鹿にするなって、もう一度分からせてやろう!」

 夜空と組んで家宝持ち逃げをするほど豪胆な娘の意気は盛んだった。すでに菓子もそっちのけ、中学へと進んだ年長組たちは、天河、安部を引き込み、作戦の話し合いに移っていく。

 解散後、いったん草笛屋敷に戻った。雪乃ばあちゃんが夕飯を食べていけとすすめたので、詠はまた二段ベッドの下の段で清矢のハープを聞き始めた。スケールの基礎練だけをしつこく繰り返した清矢は広大が手洗いに立ったところで詠に問いかける。

「あのさ。詠……ホント言うとさ、お前はここで抜けてもいいよ」

 詠は怖い顔で清矢をにらんだ。

「何言ってんだよ清矢くん。心配でもしてるつもりか? それってウゼーよ。俺の母ちゃんみたい」
「でも、心配して当然だ。いろいろと話さないでくれるだけで十分。だって三島宙明は、夏目雅を殺しちまったんだぜ……」

 詠の母さんと同じくらい、清矢は詠のことが心配になっていた。広大は前回も三島と戦ったし、草笛の子だから音曲術は清矢とほぼ同じくらいに扱える。風祭銀樹ははさみで魔物の首刈りまでして見せるし、夏目文香だって自在に狼に変わることができ、身に風をまとって体当たりができる。張本志弦は女だが、弓道に熱心で最近は兄と同じように武芸を褒められていた。

 「身内」というのはみなその手のエリート魔術兵の末裔だった。それにほとんど年上だ。一方詠はどうだろう、神兵隊でも一番年下で、清矢よりもそりゃあ剣は強い。だけど術の修行は嫌っている。三島相手にちびっ子が木刀片手に襲い掛かっても、あっさり呪い殺されて終わりだろう。一方的に巻き込んでしまった大事な友達を失うなんて悲劇は、償いすらできない。

 三島宙明。一族の中で困りものだったという彼が、子供の呪殺ぐらいを今更ためらうとは思わなかった。

 万一のことがあっても、古狼のときのように、証拠不十分で逃げられるだけの後ろ盾を、鷲津軍閥は与えている。夏目雅が殺されたというのに、呪殺では証拠不十分と言われて、三島宙明は罪に問われなかったのだ。

  臆病風に吹かれだした清矢に肚が据えかねたのか、詠はベッドからひらりと飛び降りて、清矢につかみかかってきた。勝負を挑まれても、清矢はとくに抵抗もせずどさりと床に押し伏せられた。両肩をつかんで怖い顔をする詠を正面から見上げる。詠はくっきりした目鼻立ちをゆがませて、悔し気にこぼした。

「なんでだよ! 俺、俺……ドキドキしてる。そりゃー怖いけど……耀サマの孫と一緒に、悪い術師を倒せるんだぜ!? ずっと『日の輝巫女』を放置してる神兵隊や兄貴なんかとは全然ちげー! 俺、剣で三島を脅してやる! 清矢くんを守ってやるよ!」
「だからそれが危ないって言ってるんじゃん。詠に何かあったら家が許すわけねーよ」

 正論で諭すと、清矢にのしかかった詠は腰の上に体重をかけてぺたりと座り込んだ。震えだした泣き声で訴えかける。

「……あのさ、清矢は俺のこと、耀サマや天河さんみたいなヒーローにしてくんねーの? 櫻庭とはずっと前に家が別れちまったから、だからダメなのか? 広大くんや銀樹や、文香や志弦なんて女まで、仲間に入ってるのに」

 この懇願をはねのけたら、詠との仲は終わりだと直感した。そして清矢は、いくら幼い我が儘だろうがそれだけは嫌だった。詠の拘束から抜け出して、肩を抱いてやって何度も謝る。

「ごめん。ごめん詠。そだな……じゃあ家には秘密にしろよ。そんで、後ろのほうで隠れてな。俺は絶対平気だから」
「清矢っ。俺のこと、オトコとして認めてくれよ!」

 詠はそう言って、清矢に右手を差し出してきた。清矢は気おされて、詠とおずおず握手をする。繋いだ手を上下に振り回しながら、詠は澄んだ瞳でじっと清矢の承認を求めていた。清矢は詠の底抜けのまっすぐさを痛いほど尊敬した。そして水に打たれるように直感する。こいつは、俺にとって必要な人だ。その無防備な強さが自分に足りない資質だと勘づいているからかもしれなかった。

「……わかった。詠、一緒にいてくれ」

 うなずきながらも、清矢の核には自負が生まれていた。ここに、一人の男がいる。ただ同じ時間を共有するだけの連れとは違って、人生の岐路を共にしたいと自らを投げうってくれるやつが。一体何のために俺は剣まで学んでるんだ。もしものことがあったって、ちゃんと守ってやればいい……友人のおかげで自分まで強くなれた気がした。それは、全身の血がすがすがしく洗われるくらい決定的な体験だった。

 照れ屋の清矢はさらりと続けた。

「詠を守るって、俺も誓うよ」
「えーっ、清矢くんが? 無理だろ。俺が絶対盾になってやるって!」

 そう笑って小突かれても、まったくもって遺憾ではなかった。

10 僕らの小さなリベンジ

 三島宙明の捕縛については、安部帰明を仲介しての祈月氏裏切りという偽の名目が立てられた。源蔵ははじめ、子供である清矢を囮にすることに懸念を表したが、安部様がそれくらい差し出さなければ騙せないと強弁して、次第は整った。魔法大学からは、愛野京と結城疾風が味方してくれることになった。

 会席を呪殺事件からちょうど三年になる八月に設定したのは、学校休暇の時期だからだ。現に、志弦や文香、ほか渚村からの生徒たちは、学校帰りに鷲津の間者から声をかけられることがあり、注意しなければ危険だ。教鞭をとっている疾風たちの都合もあった。ともあれ、新盆の季節、安部神社に隣接する安部屋敷の客間に、招かれざる客はやってくるだろうか。

 安部氏の家は神社とは別棟で、勝手口、居間、手洗いや風呂を突っ切った廊下の一番奥に客間がある。十二畳もある二間の和室には竹筒船に葛と撫子が活けられ、掛け軸は季徳すえとく好みの新古今集西行法師、「おしなべて物をおもはぬ人にさへ心をつくる秋のはつかぜ」との散らし書きで秋の意匠をそろえてある。

 生菓子は雪乃ばあちゃんが自作したきんとん、干菓子は菓子司から取り寄せた水飴をかためた青楓だ。二間のうち水屋を置く手前側の和室には、清矢が天河重彦とともに伏せていた。

 先にお菓子を頂いた清矢は、茶席の支度を手伝いながら待っていた。ちょうど八つ時、昼下がりの時間帯に、三島宙明はやってくる予定だ。

 玄関のほうで引き戸が開く音がした。安部神社の若衆が応対し、誰かが廊下を突っ切ってくる。三島だろうか? それとも別人か。ふすまの合間から様子をうかがうようにする。亭主の安部様が手前を始めたようだ。

 しゅんしゅんと釜が熱く沸く。袱紗をさばく切れのいい音。茶室にはしめやかな沈香が焚かれ、すべては整然と、決められたとおりに進んでいく。安部様が掛け軸の由来や見せ茶碗を講釈して、客はわざとらしく相槌を打つ。清矢は落ち着かず、しかし音を立てないように隣室で待った。

「……そんで、祈月の源蔵さん言うんはまだいらっしゃらんので?」

 しびれを切らしたのか、せっかちそうな関西弁が本題に切り込んだ。安部様がかわす。

「焦るでない。本人と会えるのは清矢を人質にとってからじゃ」
「大事な息子を土産に、鷲津へ密通するとは豪気ですなあ。わい、そないなこととても出来やしません」
「汐満に駐屯させられたのも中央の策じゃし、奴らが支援しとるのも鷲津の方じゃからと説得しておる……それより、清矢を見てみるか? 草笛の母親にそっくりの男の子じゃぞ」
「夜空と言うんはどうなったんよ」
「あれは道楽者じゃから、恵波に養子にやった」
「へぇ……まぁ、夏目殺してしまった坊やから、本家には置けんわな」

 漏れ聞こえる会話にどの口が、と清矢は歯噛みした。ちょうど天河重彦に呼ばれて、草笛に伝わる古いハープを片手にしずしずと客間へ歩み出る。しじら織りの紺の浴衣に、生成りの兵児帯という可愛らしい姿だった。

 清矢が亭主の安部様のとなりに座り、猫をかぶって笑う。ぴしりと端正な安部様とは異なり、和服の着流し姿の三島宙明は聞いた通り軽薄そうな茶髪だった。清矢を見たとたん、品もなく驚いて見せる。

「こりゃあ、器量よしの坊やなぁ。お前が祈月の清矢と言うんか。鷲津の方々も喜ぶんと違いますか」

 清矢は何も答えずにただ微笑んだ。学校でも、こうしているだけで女の先生も男の教師も清矢には甘い。

「さあ、大人しく一緒に行くんじゃぞ、清矢」
「はい、安部様……」
「夜空と違って聞き分けがいい坊やなあ」

 清矢はしっかりと雪乃手製のきんとんが平らげられているのを横目で確認した。それには痺れ薬が入っていて、万一のときも清矢が逃げられるようになっていた。安部様に罪状がつかないよう、この屋敷を出て所定の道筋を通り、宙明が流しの車を捕まえる前に、通りがかりを装った結城博士が騒ぎを起こす予定だ。

 いわば狂言誘拐だが、警察沙汰になったらもう一度、古狼の殺害について取り調べてもらうよう、友軍の遠山氏を通じて裏で話が出来上がっていた。三島は捕縛された後で他の呪力失効刀によって処置を受ける予定だ。天河重彦に聞くと、耀の時代にもこの程度の事件の出動は多かったらしい。つまり、密命の執行役だ。夏目雅の仇なんぞに手を引かれながら、清矢は路面電車の駅まで歩かされた。

 ちょうど、魔法大学の正門近くを通りすぎると、手はず通りに結城疾風と愛野京が待っていた。二人はハープを抱いた清矢を見て、つかつかと近づいてきた。三島宙明は異変を察知したのか、清矢を隠すようにして後ずさる。結城疾風はいきなり強気に出た。

「あの、その子は私の親戚なんですが、一体何してるんですか」
「見間違いですやろ。ワイはこの子の父親に、休みの間預かってくれって頼まれただけです」

 口から出任せの言い訳をして、三島がへらりと笑った。正門の裏に隠れていた草笛広大が躍り出て、三島を指差し罵る。

「そいつが持ってんのは俺っちの家に伝わる秘蔵のハープだい! 三島宙明、今度こそお縄を頂戴しやがれってんだ!」
「なんやて、お前、もしかしたら夏目ん時いたガキか!」

 三島は清矢の手を握ったまま、後ろに飛びのいてざっと髪を逆立たせた。途端に、周囲に潜んでいた小鳥たちが一斉に操られて、蜂のように結城たちに群がっていく。しかし、室内だった古狼の時とは違って今はいくらでも逃げ場があった。結城疾風は大学の塀に沿って軽く走りながらロッドを片手に何とか魔法式詠唱を完成させた。

「Akvoelemento, bonvolu fari tion, kion mi petas, kaj malliberigi la malamikon en akva malliberejo kaj igi lin suferi eternan punon! “アクアマリン”!」

 とたんに空気中の魔素が反応し、H2O元素を液化させ、魔素水の流れとなって三島を追う。鳥たちは分厚い魔素水の層を抜けきれず、羽根の芯まで濡れ切って地べたに堕ちた。広大はハーモニカでジングルを奏でる。戦闘開始を告げる、親王退魔軍以来の激励の音階だ。

 銀樹、志弦、広大、文香。弔い合戦とばかりに、次々に渚村の特別な子供たちが姿を現す。『さかまき』をして纏った風刀を足元に飛ばし、背を破魔矢で打ち抜き、黒紙は華の細工に切り抜かれる。鳥たちや石礫や矢種が飛び交い、すでにそこは死地であった。

 三島は多勢に無勢とみて逃げる判断に舵を切り、清矢の細腕をつかみ上げて走りさろうとした。清矢は踏ん張って抵抗するが、三島は大人の腕力に物を言わせ、ハープごと胴を抱え上げてしまった。

「清矢くんっ!」

 詠の声がした。清矢はハープを取り落とさないようにだけ必死で、三島に担がれたままじっとしていた。こうなった以上、下手に動き回っては危ない。とくに銀樹の術は本気だ。黒紙の細工模様と相似形をなして、強い衝撃が空間をえぐっている。

 動物の勘だけでその斬撃を避けた三島は無力にたたらを踏んだ。そこへ、小さな詠がダッシュして後ろから切り込んでくる。彼の手には夏目家から借りだした木刀があった。

「ふざけんなっ、俺の大事なトモダチをっ!」

 詠は腰と水平に木刀を振りぬき、全力で三島の胴を砕こうとしたが、彼は真横に避け、にやりと笑った。

「おうおう、おちびちゃんが止めにかかるとは、相変わらず学習せんなぁ……! 呪詛で苦しめてやりましょうか?」

 清矢がやめろと声を上げる前に、三島はふところから野菊を出した。ふうっと息を吹きかけて、邪悪に笑って単純な呪詛をはじめる。

「好き、嫌い、好き、嫌い、好き、嫌い、好き……!」

 花占いに擬したその呪術は、「死ね」の一言だけで夏目雅を死に追いやった苦い過去を想起させた。清矢はいよいよ暴れてハープを持ったまま三島宙明の顔面を肘で突いた。詠は言霊延命の呪文を唱え、果敢に三島へと向かっていく。

「たまのをを、むすびかためて、よろづよも、みむすびのかみ、みたまふゆらし!」

 詠の木刀の乱撃をよけつつ、肩に抱え上げた暴れる清矢を押さえこむ胆力は三島にはなかった。術は壊れ、二人ともどうっと地面に倒れこむ。清矢も放り出されてしたたかに体を打ったが、痛みにうめいている場合ではなかった。神兵隊でやったとおりに受け身をとって転がりこんで、地にしゃがんだまま、ハープで音曲を奏ではじめる。

「カワイイ狐に戻っちまいな!」

 じゃらん、とグリッサンド、その後には神経をひっかくような怪しいアルペジオ。清矢は古い歌舞伎を思い出す。信太の森に消えていく、それ葛の葉の、母の寃。真の姿を現して、ただ安らかに鳴きたまえ。魂、こん、狐の母恋い鳴きよ。特殊なコードを入れて作曲した音曲術が展開されるあいだ、詠は前方で三島と渡り合ってくれた。

 連雀、鳩、雲雀に目白。たくさんの小鳥たちが宙明を守ろうと今や必死に上空に迫っていた。愛野京が駆け寄ってきて、同じく清矢の前に立ちはだかる。小鳥の群れは詠の目をえぐりぬこうと殺到したが、愛野京は術でなくロッドを振りたてて鳥を追いはらい、詠を抱きしめてかばいはじめた。十六小節、十七小節、プレストの速さといえど、曲の完成までがもどかしい。

 三島は苦し紛れに叫んだ。

「ああ、もう死にさらせ! ワイに逆らったもんはみんな躯を晒すんや!」

 ただの苦し紛れとは侮れないのが、清涼殿地方土着の呪術師一族、三島氏の恐ろしさであった。「死ね」という単純な悪意だけなのに、憎しみが空気中の魔素を矢じりとし、強烈な痛みが心臓にまで届く。清矢は息をつめて耐え抜こうとしたが、突然、ぬるま湯のような血色のもやが味方全員を包んだ。愛野は、何事かを小さく魔術式詠唱していた。

「Ni iuj estas magiaj homoj, Vekiu denove i tie! Reviviomagio、“ディアレスト”!」

 門外漢の詠や清矢にはわからなかったが、それは最高位の復活魔法だった。「我らは皆魔素の輩、今ひとたびの目覚めをここに!」との詠唱をもつその魔術は、魔法の根源、生命元素を術者の魔力が補填する仕組みで、呪詛に対しても万能防御術として働いていた。清矢は羊水に守られるような不思議な頼もしさを得ながら曲を終える……呂の平調、秋の響きを爪弾くと、体からどっと力が抜けてしまったような感じがした。

「清矢くん! 成功だ! 三島のやつ、ただの白狐になっちまった!」

 詠が喜んで現状を伝える。間髪入れず、広大がハーモニカのアンコールを添えた。奏でるのは強烈な催眠曲『草笛の子守歌』。味方はみな、事前にこの節まわしを聞いており、多少の耐性を獲得していたが、狐に化してしまった三島は自動的に耳に入る術式をどうにも防ぎようがなかった。

 和服の中から逃げようともがいていた白狐がばたりと不自然に倒れる。こわごわと見守っていた結城博士が倒れこんだそれに口輪をつけ、捕獲用檻に閉じ込める。雪乃ばあちゃんが仕込んだしびれ薬も、そのうち効いてくるだろう。

 傍目には、ただ狐を捕まえただけ。
 ――だがそれは間違いなく、渚村勝利の光景だった。

「みんな、大丈夫ですか? とくに詠くん、清矢くん、愛野先生!」
「たはは……捨て身でしたが、やはり『ディア』系列は最強魔法。『カースブロック』のほうが良かったかもしれませんが、何とか三島の呪詛を回復しきれましたね!」

 愛野京は勇敢な活躍にも関わらず、謙虚な態度で笑った。みながその周囲に集まり、健闘をたたえる。結城疾風は警察に電話をしに事務室へと駆けていった。

 志弦は胴着姿のまま、弓を下して嘆息した。

「愛野先生みたいに魔法が得意な医者がいたら、古狼も助かったのかな?」
「……そのことは言わないで。ともあれ、これでカタキは取ったね」

 文香は両手を合わせて、数珠片手に亡父への念仏を上げはじめた。
 腰を抜かす勢いで地べたに座り込んでいた清矢は、詠に片手をとられて立ち上がった。

「清矢くん! ハープ平気か? やっぱすげーよ、本当に耀サマみたいだった」
「……違うよ、詠」

 清矢は乱れた黒髪を撫でつけて、詠をじっと見据えた。

「お前が一番勇気あった。俺を助けに、まっすぐ飛んで来てくれたんだもん。お前こそ『輝ける太陽の宮』みたいだったよ」
「へへっ、清矢くん守るためだぜ、当たり前だろ!」

 詠は照れて笑うと、無言で手を上にかかげて、ハイタッチの仕草をした。小さな手のひらが打ち合わされ、ぱぁん、と快活な音が響く。絵に描いたような友情のワンシーン。あどけない顔に浮かぶのは、さわやかな会心の笑みだ。ふたりは若干十一歳で、憧れの祖父たちと同じく、歴史の裏を行く英雄の道を歩き始めたのだった。

(了)