#[創作BL版深夜の60分一本勝負] #[流砂を止めることができれば]お題「君だけがいればいい」プライド激高こじらせ法学生×百歳超え吸血鬼(若見え)
その奇妙な男と出会ったのはバイト先の書店だった。法学の学生、桐島英司(きりしま・えいじ)はやたらと時代錯誤なつつまし気な男を見た。縁日や花火大会の予定があるのだろうか、染めのないさっぱりしたしじら織りの浴衣だ。整えられた太目の眉、その下には二重のくっきりした憂いの滲むような瞳。髪型はそれなりに長さを残して切りそろえただけの素朴さで、体格はわりに厚みがあり立派だ、美しいだけでなく雰囲気まで兼ね備えたみずみずしさのある男だった。
男は女に絡まれていた。女も女で、相当な美人である。スキのない化粧に、乱れのないヘアスタイルは、美意識の高さを思い知らせた。だが、男のほうは彼女の話をいちいちうなずいて聞きながらも、難しい顔で退けていた。やがて、文学賞候補作を並べた目出し棚のあたりにいた二人の影がさっと重なった。男の襟元をつかんで引き寄せた女がいきなり口づけしたのである。英司はレジを空けてしまうことも構わず出て行って、二人に注意をした。
「よそでやってくれませんか? ここは書店で、そういう場所じゃない」
「すみません」
男はそっと頭を下げ、女には一瞥もくれずに自動ドアから出て行った。女は英司をにらみ、男を追う。「お客さんとトラブルを起こさないように」とは店主から口酸っぱく注意されていたが、英司はとっくに気にしていなかった。事なかれ主義の無能め。
彼は数日後の昼にもう一度やってきて、レジの英司に話しかけた。
「先日はすみません。出禁になったら困るなと思いまして……あの人、いきなりナンパしてきたんです」
「ずいぶん仲が良く見えましたがね」
「いや、そんなことは……ともかく、申し訳なかったです。いずれまた」
英司の皮肉まじりの物言いに、彼は困ったように目を伏せ、最後にはにこりと笑った。――そうして、英司はその客を個別に認識した。彼は純文学や現代思想系を中心にしたずいぶんと硬いラインナップの渉猟家のようだった。女子店員によると名物客らしい。関東のベッドタウンで、日常的に和服を着て過ごすライフスタイルは奇異だ。けれど彼の肌は常に人工的でないいい匂いが漂っていた。
その日はゼミで女子学生のミスを人前でこっぴどくやりこめてしまった。泣き出した女に対して、なぜか教授はそちらの肩を持ち、英司はいらだっていた。バイトに入ると上がり際にその男がやってきた。なんでも注文をしたいという。ISBNもきちんと控えていなかった男の不手際に、英司はあきれ返った。
「今時書名のみでの注文なんか受け付けると思いますか? 時代錯誤もいい加減にしなければね」
「うーんと、店のPCか何かでも、今、検索してくれれば……」
「英司くん、やってあげて」
店長が冷たい声で命じた。英司は舌打ちしたい気持ちをなんとか抑えながらも書名で検索をした。近代のさほど有名でない人物の歌集で、稀覯本扱いであった。
「インターネット書店だと届いても美本でなかったってことがあるから」
彼はまじめな顔でそう言い、英司に淡い笑みを向けた。
バイトを上がると、ちょうど彼が待っていた。
「ごめんね、店員さん。二回も迷惑かけちゃった」
「まったくですよ。いい迷惑だ。最低賃金以上の給料はもらっていない」
すげなく応対すると、彼は隣に並んできた。
「この間のナンパの時も、今日もありがとう。何だか上の人に怒られちゃったみたいだし……お詫びに、おごらせてくれない?」
「いいですよ」
馳走になるのはやぶさかでない。成績のわりに、かわいがられるタイプではなかった英司は即座に返事をして、男とともに町に消えた。大衆酒屋は大学の友人たちと向かうしゃれた店とは違った粗雑な生命力があった。男は滝山到(たきやま・いたる)と名乗った。翻訳や文学、文化関係のリサーチで生計を立てているという怪しげな人物になついてしまったのは、おそらく若さゆえの世間知らずだ。そして餌付けされて今がある。SNSの陰謀論やソーシャルゲームのギャンブルに夢中になり、検索サイトのサジェストのみを信じる俗っぽい友人たちとは距離を置く。滝山の家に入り浸るようになるまで時間はかからなかった。
妙に暑い日だった。滝山の家を訪ねると、自分とそう変わらない年代の男がちょうど出てきた。栗色の髪をツーブロックにした社会人の男はどうも優秀であるがゆえの生きづらさなど感じていないようなボンクラに見えた。彼は英司を見ると憎々し気ににらんだ。英司は喧嘩を買う性質だったから睨み返した。彼は何も言わずに平屋を出ていき、バイト前に滝山の家で課題でもこなそうと思っていた英司はいらだちつつ中に入った。
「あれは、誰ですか。ひどくじろじろ見られたが」
ガラガラと引き戸を開けてわが物顔で入り込んだ英司の問いを、滝山は何気なしにかわした。
「……君と同じようなもの。俺と長く付き合ってくれる同世代の人間なんかいないから」
「俺とあいつが『同じようなもの』? まあ、お前の社会的地位なんぞに今更言及する俺ではないがね。まったく、社会人だというのに礼儀ひとつ知らない唾棄すべきやつだ」
「鹿目くんはそんなに悪い子じゃないよ。たぶん嫉妬じゃない?」
「へぇ」
英司は滝山をつくづくと見た。和服の襟元は乱れ、汗じみない肌がわずかに赤らんでいる。ちゃぶ台には飲み干した麦茶が置いてある。初めて目の当たりにしたが、まあ二人はそのような関係であるのだろうと見当をつけた。ちなみに英司は他人と肉体関係をもったことがまだない。
「『君だけがいればいい』なんて言ってあげたら彼も喜ぶのかな。嘘だからやらないけど……」
考え込んでいる風の滝山を英司は値踏みするように見据えていた。目の前に置かれた餌はどちらなのか。心がさかしまに撫で上げられてゾクゾクする。この年上の奇妙な男がふっかけてきた火遊び。乗ってやるのは悪くないようにも思えていた。(了)
お題「君だけがいればいい」プライド激高こじらせ法学生×百歳超え吸血鬼(若見え)
その奇妙な男と出会ったのはバイト先の書店だった。法学の学生、桐島英司(きりしま・えいじ)はやたらと時代錯誤なつつまし気な男を見た。縁日や花火大会の予定があるのだろうか、染めのないさっぱりしたしじら織りの浴衣だ。整えられた太目の眉、その下には二重のくっきりした憂いの滲むような瞳。髪型はそれなりに長さを残して切りそろえただけの素朴さで、体格はわりに厚みがあり立派だ、美しいだけでなく雰囲気まで兼ね備えたみずみずしさのある男だった。
男は女に絡まれていた。女も女で、相当な美人である。スキのない化粧に、乱れのないヘアスタイルは、美意識の高さを思い知らせた。だが、男のほうは彼女の話をいちいちうなずいて聞きながらも、難しい顔で退けていた。やがて、文学賞候補作を並べた目出し棚のあたりにいた二人の影がさっと重なった。男の襟元をつかんで引き寄せた女がいきなり口づけしたのである。英司はレジを空けてしまうことも構わず出て行って、二人に注意をした。
「よそでやってくれませんか? ここは書店で、そういう場所じゃない」
「すみません」
男はそっと頭を下げ、女には一瞥もくれずに自動ドアから出て行った。女は英司をにらみ、男を追う。「お客さんとトラブルを起こさないように」とは店主から口酸っぱく注意されていたが、英司はとっくに気にしていなかった。事なかれ主義の無能め。
彼は数日後の昼にもう一度やってきて、レジの英司に話しかけた。
「先日はすみません。出禁になったら困るなと思いまして……あの人、いきなりナンパしてきたんです」
「ずいぶん仲が良く見えましたがね」
「いや、そんなことは……ともかく、申し訳なかったです。いずれまた」
英司の皮肉まじりの物言いに、彼は困ったように目を伏せ、最後にはにこりと笑った。――そうして、英司はその客を個別に認識した。彼は純文学や現代思想系を中心にしたずいぶんと硬いラインナップの渉猟家のようだった。女子店員によると名物客らしい。関東のベッドタウンで、日常的に和服を着て過ごすライフスタイルは奇異だ。けれど彼の肌は常に人工的でないいい匂いが漂っていた。
その日はゼミで女子学生のミスを人前でこっぴどくやりこめてしまった。泣き出した女に対して、なぜか教授はそちらの肩を持ち、英司はいらだっていた。バイトに入ると上がり際にその男がやってきた。なんでも注文をしたいという。ISBNもきちんと控えていなかった男の不手際に、英司はあきれ返った。
「今時書名のみでの注文なんか受け付けると思いますか? 時代錯誤もいい加減にしなければね」
「うーんと、店のPCか何かでも、今、検索してくれれば……」
「英司くん、やってあげて」
店長が冷たい声で命じた。英司は舌打ちしたい気持ちをなんとか抑えながらも書名で検索をした。近代のさほど有名でない人物の歌集で、稀覯本扱いであった。
「インターネット書店だと届いても美本でなかったってことがあるから」
彼はまじめな顔でそう言い、英司に淡い笑みを向けた。
バイトを上がると、ちょうど彼が待っていた。
「ごめんね、店員さん。二回も迷惑かけちゃった」
「まったくですよ。いい迷惑だ。最低賃金以上の給料はもらっていない」
すげなく応対すると、彼は隣に並んできた。
「この間のナンパの時も、今日もありがとう。何だか上の人に怒られちゃったみたいだし……お詫びに、おごらせてくれない?」
「いいですよ」
馳走になるのはやぶさかでない。成績のわりに、かわいがられるタイプではなかった英司は即座に返事をして、男とともに町に消えた。大衆酒屋は大学の友人たちと向かうしゃれた店とは違った粗雑な生命力があった。男は滝山到(たきやま・いたる)と名乗った。翻訳や文学、文化関係のリサーチで生計を立てているという怪しげな人物になついてしまったのは、おそらく若さゆえの世間知らずだ。そして餌付けされて今がある。SNSの陰謀論やソーシャルゲームのギャンブルに夢中になり、検索サイトのサジェストのみを信じる俗っぽい友人たちとは距離を置く。滝山の家に入り浸るようになるまで時間はかからなかった。
妙に暑い日だった。滝山の家を訪ねると、自分とそう変わらない年代の男がちょうど出てきた。栗色の髪をツーブロックにした社会人の男はどうも優秀であるがゆえの生きづらさなど感じていないようなボンクラに見えた。彼は英司を見ると憎々し気ににらんだ。英司は喧嘩を買う性質だったから睨み返した。彼は何も言わずに平屋を出ていき、バイト前に滝山の家で課題でもこなそうと思っていた英司はいらだちつつ中に入った。
「あれは、誰ですか。ひどくじろじろ見られたが」
ガラガラと引き戸を開けてわが物顔で入り込んだ英司の問いを、滝山は何気なしにかわした。
「……君と同じようなもの。俺と長く付き合ってくれる同世代の人間なんかいないから」
「俺とあいつが『同じようなもの』? まあ、お前の社会的地位なんぞに今更言及する俺ではないがね。まったく、社会人だというのに礼儀ひとつ知らない唾棄すべきやつだ」
「鹿目くんはそんなに悪い子じゃないよ。たぶん嫉妬じゃない?」
「へぇ」
英司は滝山をつくづくと見た。和服の襟元は乱れ、汗じみない肌がわずかに赤らんでいる。ちゃぶ台には飲み干した麦茶が置いてある。初めて目の当たりにしたが、まあ二人はそのような関係であるのだろうと見当をつけた。ちなみに英司は他人と肉体関係をもったことがまだない。
「『君だけがいればいい』なんて言ってあげたら彼も喜ぶのかな。嘘だからやらないけど……」
考え込んでいる風の滝山を英司は値踏みするように見据えていた。目の前に置かれた餌はどちらなのか。心がさかしまに撫で上げられてゾクゾクする。この年上の奇妙な男がふっかけてきた火遊び。乗ってやるのは悪くないようにも思えていた。(了)