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あおうま
「髪を染める」

#[創作BL版深夜の60分一本勝負] #流砂を止めることができれば
 
 桐島英司は自他共に認めるナルシストなので、インターンシップのために黒髪にするというのは非常に心外に感じた。
「半ば強制っていうのが嫌なんだよ。俺の地毛は栗色だ。何で、黒くしなきゃいけない……パーソナルカラーだってイエローベースだ。黒髪じゃ野暮ったいにもほどがある」
「ぱぁそなるからぁ? 英司くんは相変わらずいろんな概念を教えてくれるね、年寄りには役立つ」
「……まぁ簡単な見分け方として肌が黄味がかってるかそうでないかってだけだね。お前なんか今は片身替わりで紺と白だが、ブルーベースの人間の着る色ってことだ」
「これは単にかさねの色目だよ。乱立の地紋もあるからしゃれてるんだがな」
「終わったらすぐに染め直してやる。まったく嫌なものだよ」
 公民館の横にある年代ものの平屋、その八畳居間のこたつでくだをまく英司に、滝山到は緑茶を出してやっていた。石油ストーブが部屋を暖め、ごちゃごちゃっと新聞や雑誌、それに眼鏡や爪切りなど些細なもので埋め尽くされた部屋は、まるで巣籠もりの根城だ。 滝山到とはバイトの接客で知り合った。和装で丁寧な物腰に惹かれて、また彼も英司の生意気をさわやかだと歓迎したので、家に上がり込んだりの付き合いが続いている。
 しっとりした地の湯飲みをぎゅっと握りしめながら、英司はさらに言い募る。
「結局処女信仰に似てるのさ、黒髪の強制ってのは。ナチュラルメイクって概念に含まれてる矛盾とも同じだね、何も手を加えてないかのような状況をあえて作り出させるっていう人間の愚かさだ」
「髪、痛んじゃった? 俺も前みたいに明るいほうが似合うと思ったな」
 到はそう言って半纏を着込んだまま英司の後ろに回って、黒く染め直した髪を見分しているようだ。少し触れられても、英司はいちいち咎めなかった。到は英司の舌鋒も柔らかく受け流す柳のような男で、棘も抜かれがちである。
「今は整髪剤でセットしてあるから分からないけどお前の言う通りだろうね」
「そっか……剃り上げたりはしないの?」
「そこまで迎合する意味あるかい? ……本命の企業じゃない。せいぜい休み中に働いて伝手を作っておくだけの滑り止めだよ」
「このへんとか、青々として色っぽいんだけどな」
 到は含み笑いをしてすっと人差し指を襟足に滑らせた。英司はひゃっと悲鳴を上げる。
「やめろよ! まったくお前はそういう思わせぶりなことを……!」
「ふふ。本命の企業に受かっちゃったらもうウチみたいなところには来なくなるからさ。味見ってわけだよ。童貞のうちに」
「どっ、童貞じゃない! 何を言い出すんだお前は!」
「俺も案外その信仰あるの。それが一番美味しいんだよ」
 到はそう言って両肩に手のひらを置いてきた。しなりと肩に柔らかい重みがかかる。豹変したような人をあざ笑う笑みに、英司は大仰に飛びのいた。
「い、いやだ、御免だ!」
「なんで。はじめてぐらいは俺にちょうだい。ここまで仲良くなったのに据え膳のみって言うのはつれなすぎる」
「男に犯される趣味はないよ! そりゃあ同性愛者なのは知ってたが。あの冴えない不動産屋の営業風情とにしてくれ!」
 もう一人、到の家でよくかち合う青年を身代わりにあげてみたが、彼はあしらうように首をかしげた。
「犯されるって。うーん、みんなそっちを想像するんだなぁ。それよりももっと効率よく精気を注ぎ込む方法があるじゃない。ねえ、俺じゃダメ?」
「そ、それよりももっと効率よいって何だよ、お前……」
「君が居座ってると鹿目くんとはできないからさ。もう空腹で干からびそう」
 到の目の色は剣呑だ。ほのめかされた意味すらわからないうぶな英司はごくりと唾を飲み込んで……ふいっと横を向いた。到が取引をしようとする。
「……じゃあ選ばせてあげる。経験だけはさせてあげるから、インターンシップ終わったらまた来てね。そこまでは取っておいて」
「ふん。私たちの間にまでそんな恋情を持ち込むとはね。しばらく出てくよ」
 英司はそう言ってマフラーとコートを身に着け、そそくさと平屋から逃げ出した。到はその背を恨めしそうに眺めていたが、引き止めなかった。
 一人きりになってからこたつに入りなおしてつぶやく。
「もうちょっと強引に行ってもよかったかなぁ。まったく美味しそうな匂いさせちゃって。血を吸うっていうのもありだけど、正体がバレやすいからなぁ……」
 そして到は年代物の折り畳みガラケーをぱっと開いて、もう一人確保してある食料、要するに鹿目真司に電話をかけようとしてしばらく思案にくれ、やめた。
「……いいや。一回きりならどっちみち意味ない。もうちょっと懐かせるか」
 まったく吸血鬼も楽でない。誰かひとりにターゲットを絞れればいいのだが、それは相手の都合上、あり得ないだろう。英司が現れたからといって、今まで慕ってくれていた鹿目真司を特別扱いしてやらなかったのは自分だ。こんなにわずかに触れただけで、終わってしまうような関係だったのに。
 自分の身勝手さに嫌気がさしてきて、到は床にうつぶせた。人外の身で人じみた感情を捨てられないのが悔しかったが、人を贄としている以上仕方ないだろう、と居直りすらしたい。到は百年を生きてなお、老成しきれずにいるのだった。(了)