原題『Countess of Pembroke's Arcadia』。シドニーの最も野心的な作品で、シドニーのソネットと同じくらい重要なもの。この作品はパストラルな要素とヘレニズム期のヘリオドロスから派生した雰囲気を結合させたロマンス(en:Romance (genre))である。この作品の中ではきわめて理想化された羊飼いの生活がジョスト、政治的裏切り、誘拐、戦闘、強姦といったストーリーと(常に自然にではないが)隣り合っている。16世紀に出版されたこの物語はギリシア文学を手本にした。物語はおのおのの中に組み合わされ、異なる筋が絡み合っている。
中島俊郎『英国流旅の作法 グランド・ツアーから庭園文化まで』(講談社学術文庫)
空読みしないように作成していきます。
§序章 〈田園〉とイギリス人
旅(travel)が旅行(trip)に変貌をとげ、鉄道が招来したトマス・クックのマス・ツーリズムが起こるまでの、ほぼ一七三〇年から一八三〇年まで実践されたツーリズムに焦点をあて、そこに継起した文化現象の諸相を読み取る試み
湖水地方、ロンドン、ガーデニング、ウォーキング、風景画 → 〈田園〉カントリーサイドの概念
「イギリス人の田園は、ラテン詩人ウェルギリウスの『牧歌』のなかでうたわれた理想郷〈アルカディア〉でもあるのだ。だから田園は精神的慰藉の場であると同時に知的源泉でもある」p.11
18c以前「創作力の源」→18c以後「慰藉の場」※イギリス人の旅文化によって移入、涵養されたもの
§第一章〈アルカディア〉を求めて(貴族子弟の「グランドツアー」https://cragycloud.com/blog-entry-479.ht...)
1「制度」の誕生
貴族の子弟が社会に出る前に、教育の仕上げとして組まれた教養旅行がグランド・ツアー。
やがて慣行化し制度化する。(リチャード・ラッセルズ『イタリアの旅』1679 など)
→家庭教師が引率し、忠実な従者とともに三者でイタリアを周遊するという定型
2 旅程と道中
エリザベス朝から実行されていた(フィリップ・シドニー 1572-75)
やがて大衆化し、18cにもっとも盛んに行われる。
1815 ウォータールーの戦い以降は戦争を観察する場合もある。
トマス・クックによる「旅行の民主化」により消滅。1マイル1ペニーの列車料金(ウィリアム・グラッドストン)
一般的な旅程は、往路でフランス・カレーに到着、フランスを横断、陸路ならばアルプスを越え、海路ならマルセイユからイタリアに入国する。ナポリ、シチリアまで南下する。一大目的地はローマ。復路も同じルート。ドイツを経由してオランダ、ベルギーを通り、出発地のドーヴァーに戻った。馬車の居心地の悪さ、悪路、宿泊施設の不潔さ、疫病による隔離や通行証に関しても労苦が絶えなかった。土産物として重要だった美術品購入も、贋作をつかまされたり奸計に満ちていたが、需要は絶えなかった。
3旅の誘い
旅行記が人々のツアー熱を刺激した。
イタリア旅行記の早い例はエリザベス朝時代から書かれている。
・外交官トマス・ホービィ(カスティリオーネ『宮廷人』1528英訳)エリザベス朝の最も影響力ある文献 ルネサンス宮廷文化を描き、イタリアへの知的憧憬をかきたてる。
・イタリア学者ウィリアム・トマス『イタリア人』(1549)「ガイドブック」ローマ、ナポリ、フィレンツェ、ヴェネツィアなど、今も観光地である主要都市を章立てして紹介
十七世紀に入り、より興隆する。
・旅行家トマス・コリヤット『クルディティーズーフランス・イタリア紀行』(1611)
・旅行家パトリック・ブライドン『シチリア・マルタ紀行』(1773) 目的地の南下に寄与、ブリストル図書館蔵書中貸出記録一位(1773-1784)
4 旅人の群像
グランドツアーによる〈知〉のネットワーク……ゾファニー『ウフィツィ美術館のトリブーナギャラリー』を素材にして
22名のグランド・ツーリスト、47点の絵画、6点の彫像……「ジェントルマンの展示法」
ウフィツィ美術館のトリブーナ・ギャラリー(メディチ家のコレクションを基礎にした名画、名品を収蔵)を写したもの。
1772年、シャーロット王妃の命で制作を開始した。しかし王妃はグランド・ツアー中心の絵に失望、ゾファニーは失脚した。
「グランド・ツーリストがルネサンス傑作にふれ、西欧文明の成果を一身にあび、その伝統につらなることの意味を表現している。
トリブーナにある芸術作品とグランド・ツーリストであるイギリス人の貴族は対比、同化され、ゾファニーの絵画のなかに描かれることで自らが伝統の一員になれたのである」p43
・右寄り第一グループ ティツァーノ『ウルビーノのビーナス』(裸体画ジャンルの確立)⇔レスラーの彫刻
左手を剣におき、説明に聞き入っている貴族はイギリス公使ホーレス・マン(バース勲章をつけている)グランドツアーにて人々を歓待する名物男
「イギリス人旅行者を心づくしの食事で歓待するのを最大の職務としているイギリス公使」byエドワード・ギボン
マンに絵の説明をしている人 画家トマス・パッチ 風刺画
・左寄りの第二グループ ラファエロ・サンテロ『小椅子の聖母』
キャンバスを持って居る人物 画家ゾファニー(自身)
ジョージ・ナッソ・クレヴァーリング・クーパー伯爵(ゾファニーのパトロン)1777 王立協会
・右端第三グループ 『メディチのビーナス』(古代ギリシアの美を代表するもの)付近の人々
By Sailko - Own work, CC BY 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.ph...
サー・ジェイムス・ブルース(アフリカ探検、ナイル源流ギッシュ到達)『ナイル川の源流を求めた旅』1790
ジョージ・フィンチ伯爵(第九代ウィンチルシー伯)
トマス・ウィルバハム、ジョージ・ウィルハバム
ワッツ、ダウディ
5 あるグランド・ツーリストの肖像(ウィリアム・ハミルトン)
1761 ハミルトン、ジョージ三世侍従としてナポリのイギリス特任全権大使に。美術品蒐集の道へ
1766-67 『エトルリア、ギリシア、ローマの古美術』全四巻を刊行 →ジョサイア・ウェッジウッドら
1767 ヴィスヴィウス火山噴火、観察する
1771.8 イギリス本国に一時帰国、ブリティッシュミュージアムにコレクションを8400ポンドで売却、古美術協会会員に
1776 - 79 『カンピ・フルグレイ、両シチリア王国の火山についての考察』
1777 グランド・ツアー経験者組織「ディレッタント協会」会員へ
1782 妻キャサリン、発疹チフスで没。イタリア半島南西カラブリア、シチリア島メッシナへ傷心旅行。地殻変動から生じた地震についての論考。
1783 甥グレヴィール宅にて、エマと出会う
1791 エマと結婚するが、批判を浴びる。エマはその後ネルソンと不倫、娘ホーレシアをもうける。
薔薇「レディエマハミルトン」
https://www.davidaustinroses.co.jp/produ...
6 旅文化を支える精神的支柱
18c中期 ルネサンス人文主義者は精神のよりどころを古典文学に求めた
→「趣味」古典中心の教養主義。カントリーハウス、庭園、古美術や書籍の収集
1720年以降、大規模な庭園は古典様式の館や神話の英雄、伝説上の人物、古代の神々などの彫像でいろどられるようになる。
イタリア十六世紀の建築パラディオ様式(https://www.houzz.jp/ideabooks/74861807/...)とルネサンス建築が支持され、大衆にはとても理解できない寓意がこめられていた。
両者ともに社会への通過儀礼として制度化されたグランド・ツアーに涵養された「趣味」であり、支配階級の富と権力の証として、カントリー・ハウスと庭園のなかに具現化された。
cf.5分でわかるデザイン様式:イギリスに定着した「パラディアンスタイル」 | Houzz (ハウズ) https://www.houzz.jp/ideabooks/74861807/...
cf.5分でわかるデザイン様式:イタリアから英仏に伝わったルネサンス様式 | Houzz (ハウズ) https://www.houzz.jp/%E7%89%B9%E9%9B%86%...
☆風景式庭園 ←17cイタリアからの風景画(グランド・ツアーの土産物として適当)が影響
牧歌的なアルカディアの風景、古代の神話から想を得た作品
・クロード・ロラン
・ニコラ・プッセン Et in Arcadia ego
・サルヴァドール・ローザ
これらの画家の作品を三次元的に庭園内に再現しようとした。(ex. スタウヘッド庭園 https://www.nationaltrust.org.uk/visit/w...)
グランド・ツアーと庭園 初代レスター伯トマス・ウィリアム・クック(屋敷経営)
「ここでまず風景式庭園につきまとう誤解を退けておこう。つまり風景式庭園はすべて精神的な産物であるという見方に疑問を呈しておきたいのである。(中略)じっさいジェントリーは広大な土地を維持していくのに膨大な出費を強いられたし、古典的な幾何学式庭園はあまりにも費用がかさんだため、ありのままの自然を大きくとりいれた風景式庭園を是認した側面は否定できない」p65
7 旅の地下水脈――アルカディアの伝統(『牧歌』ジャンルのダイナミズム ウィリアム・エンプソン『牧歌の諸相』)
アルカディア:ギリシアのペロポネソス半島中央に位置する山岳地帯の名称。アルフェイオス川が流れ、支流も分岐。国土全体は山。牧畜が主力で、パンを地神として崇める。樫の木を伐り出すため、アルカディア人は古来ドリモティス(オークが繁る平原)とも呼ばれてきた。オウィディウスとウェルギリウスによって、無垢な牧人が住む夢幻郷としてつくりあげられた。
テオクリトス『牧歌』
ウェルギリウス『牧歌』(cf ウェルギリウスについて – 山下太郎のラテン語入門 https://aeneis.jp/?p=8544)
後世のラテン詩人たちがこのアルカディアを想像の赴くままにローマ外部へ特定した。
ボッカチオ(トスカーナ、コルドヴァ近く)、タッソー(近代イタリアに対地すべきすべての場)
フィリップ・シドニー『アルカディア』(1590)
cf.wikipedia
17世紀、ウェルギリウスの伝統を継承したローマの画家たちがアルカディアを視覚化した。→ニコラ・プッセン『アルカディアの牧人たち』
アルカディアの変奏 アレグザンダー・ポープの牧歌(ウェルギリウス『牧歌』を本歌取り)
産業革命下のアルカディア ワーズワース「マイケル」(同時代に生きる羊飼い…エンクロージャーの流れを受け、都会へ出稼ぎに出た牧人の息子・ルークは破滅し、マイケルの土地は残らず未小屋も建たない)
現代によみがえるアルカディア 1996.10 「グランド・ツアー ――十八世紀イタリアの魅惑」ロンドン、テートギャラリー 子供崇拝(無垢な時代としての幼児期、自然の表象としての子供)
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