永久なる春の追悼曲(第六話)蒼天宮への逃避行(2)

5 荒れるA組

 翌朝、クラスに復帰するとたしかに雰囲気が悪かった。

 登校して自分の席に着くと、友人の徹がいそいそとチクってくる。

「清矢。手塚なんだけど、『海百合党』だし怪しいぜ。行方不明のお兄さんのニュース、すっげー喜んでた」
「確かに、いい気分じゃねーけど、喧嘩売るのはヤバい。いちおう父さんの軍の人がついてくれてるから、触らぬ何とかに祟りなしでいこうぜ」
「でもなぁ……」

 徹は鋭い目で窓際の席の手塚佳代を見やる。

 その翌日、またもA組教室。昼休みに清矢が机につっぷして仮眠をとっていると、手塚佳代が近づいてきた。

「祈月くん」
「……何?」

 清矢はうろんそうな目を向ける。佳代は髪型もおかっぱでどちらかというと地味なタイプだったが、友達は多いようで、クラス内でも賑やかにふるまっていた。紺色のジャンバースカートという野暮ったい制服を着崩しもせずに、にこりと笑う。

「どうだったの? お兄さんの事件。鷲津サマに抵抗するのは馬鹿らしいってわかったでしょ」

 清矢は彼女がわざわざ話を持ちかけてきたことに驚いた。隣の席の徹が即、切れる。

「おい、手塚!」

 佳代は鼻白んでひらひらと手のひらで顔を仰いだ。

「事実でしょ。鷲津様は国軍総将よ。逆らったって無駄。祈月くんも諦めれば?」

 清矢は少女をきつくにらみつけた。大きな釣り目でそれをすると、いかにも迫力があったが、彼女は得意げに含み笑いをしている。負けん気の強い清矢もふっと口元に微笑を浮かべると、学ランのポケットに手を入れて立ち上がり、わざとみんなに聞こえるように糾弾した。

「ああそうだな。鷲津清隆はB組の桜庭詠を誘拐したり、渚村の夏目先生を殺したり、そんな汚いことをずっとやってる卑劣な総将だからな!」

 教室中の視線が集まる。手塚佳代は反論できず、怪訝な顔をしている。言うべきことは言ったと思い、チャイムの後は姿勢を正して授業を受けた。

 放課後、B組の詠が心配そうにやってきた。使っていない資料室で話をする。ホコリくさい教室に入ると、詠は口角をあげて健気に謝った。

「一昨日は……悪かった」
「え?」

 詠は最近は別にミスをしていないので、清矢はうろたえた。

「敬文さんと仲良くなったのも当然だよな。だってずっと一緒にいたんだから……確かに油断しちゃダメだしな」

 空気はきしんでいた。清矢は下唇を噛んだが、何ひとつ打ち明けられなかった。詠はわざとらしく声色を変えた。

「俺の誘拐のこと言ったんだって? B組にも噂流れてきてる」
「詠。そうだな、あの、俺……」
「敬文さんは学校にまでは入れねえ。この件は俺たちで何とかしようぜ」

 詠は置きっぱなしになっている石膏像を指で拭った。清矢は急に自信が戻ってきた気がして、うなずく。詠は腕組みして案ずる。

「考えようによっちゃチャンスだよな。手塚さん、『海百合党』の里出身みたいだけど、高校には来れてる。鷲津みてぇなことは、祈月は誓ってしてねぇんだし……考え、変えられねぇかな?」

 清矢は詠の前向きさに感嘆した。学ランの二の腕をポンポンと叩く。

「詠。やっぱ、お前すげぇよ。俺は手塚さんとの和解なんて思いもつかなかった」
「そんなんじゃねぇ」

 褒めてやると照れくさそうにした。拳で鼻の下をぬぐって、実に可愛らしい。

 三日目に事態は急変していた。清矢が詠とともに登校すると、黒板に心無い罵倒が書かれていた。『海百合党出て行け』『学校通うな!』『魔族の手下』。昨日の清矢との悶着で、陶春県の人間が隠し持っている差別意識が表面化したのだ。徹はまだ来ていなかった。

「……ひどいな」

 詠が顔をしかめる。清矢は粛々と落書きを消した。しばらくすると、佳代が教室に戻ってきた。既に登校していたらしい。目が真っ赤に腫れていた。どこかに隠れて泣いていたのかもしれない。

 待ち構えていた詠が彼女の机に手を置いて、説得にかかった。

「手塚さん、俺、B組の桜庭。あのさ……偽夜空や誘拐犯たちのこと、知ってるなら警察に言ってみてほしいんだけど……」

 佳代は全身のトゲをふるいたたせ、気丈に突っかかってきた。

「あんたたち、わたしが『海百合党』だから退治してもいいって思ってるんでしょ?! 二人は常春殿の神兵隊に通ってるんだもんね。暴力反対!」

 清矢は事態を重く見て、問題を切り分けようとした。

「そんなことがしたいわけじゃない。俺は手塚さんが鷲津についてどう思うかってことを聞きたいんだ」

 佳代は長く息を吐き、清矢の顔を見なかった。そしてきりりと表情を引き締め、鞄を持って教室を飛び出していく。

「わたしだって……魔法ぐらい使えるんだ!」

 負け惜しみともとれる捨て台詞に、クラスメイトはみんな呆気に取られている。でもその沈黙の中にも、きっと悪意は隠れている。普段手塚が仲良くしゃべっている奴らはどうして傍観してるだけなんだろう。清矢は詠とともに仕方なく彼女を追った。

 佳代は全力で走り、清矢のうちの近くの火喜山に入っていった。詠がじれったそうに歯噛みする。

「この山には弱えけど魔物出るぜ。手塚さん、平気か!?」

 登山路に沿って行くと、佳代がカゲウサギを前に身構えていた。カゲウサギは魔物だ。清矢たちはよく退魔の練習相手にしているが、一般庶民にとっては脅威だった。子熊くらいの大きさで、全身は黒く、原質は硬い。清矢は大声で叫んだ。

「手塚さん、下がってくれ! そいつ、けっこうしぶといぜ!」

 手塚佳代は清矢の注意も聞かず、左手のひらをカゲウサギに向けて、詠唱した。

「究極にして深淵たる、真のことわりの名のもとに! 魔術師としての資格と共に、我にあだなす全てを滅せ! 究極魔法・Magica!」

 その瞬間、紺紫色に透き通る魔力圧がさぁっとカゲウサギを覆った。

 呪文はどこで習ったのか間違ってはいなかった。だが、彼女は詠唱発動用の魔法陣を身に着けていない。身体に術式を埋め込んだというわけでもなさそうだ。それゆえか、本来無属性のはずの『マギカ』は闇属性らしき色を帯びていた。カゲウサギは激昂し、振り返って強靭な後ろ足で蹴らんとしてくる。清矢は彼女の前に走り出て、追撃に移った。

「手塚さん、その術は意外とムズイぜ! 俺に合わせて歌ってくれ!」

 『マギカ』は単純な効果のわりに熟練が必要だが、母の実家・草笛氏に伝わるこの旋律なら、素人でも魔物を弱化できた。清矢は何度もカゲウサギを倒してきていたから、自信もあった。

「立ち上がれ、天つ神! 照らせよ、邪を祓う光の矢! 輝ける太陽の司が、いざや渾沌を晴らさん!」

 独特な節回しの『退魔歌』だ。詠も唱和したが、手塚佳代は逆に苦しみ始めてしまう。 「痛い! やめてよ祈月! わたしは……わたしは、魔物じゃない!」

 佳代が喉元をかきむしりながら叫ぶ。

 清矢は歌をやめ、両手を体の正面で合わせて、ぶつぶつと詔を唱えた。子供のころ産土の神社で修行した『破邪の雷』。親戚の結城博士によると、聖属性の雷術らしい。ばあちゃんのさくらも、この術だけは使える。清矢は護身のためと言われて体に術式を埋め込まれていた。太い雷柱があやまたず魔物の上に落ちると、カゲウサギは原質を崩壊させ、風の中に消えていった。弱った手塚佳代は心臓を押さえながら清矢をにらむ。

「あんたは嘉徳親王の末裔で、皇帝直属退魔軍エリートの血がすべて入った男。だけどわたしは……」

 清矢は振り返る。『退魔歌』が効いてしまうなら、佳代はきっと……最悪の可能性が浮かんだが、はっきりさせる以外手はなかった。

「手塚さんは……どうなんだ?」

 手塚佳代は地面に膝を折った。おかっぱの長さの髪で横顔が隠れている。

「わたしは、『魔血統』。魔物から数えて五代で、『魔族』からその分類に変わる。そういう国際基準なんだって。『日の輝巫女』から若い結婚を繰り返して、ようやくヒト扱い……」

 佳代は整然と話して、えづくように泣き始める。

 疑惑が確証に変わり、清矢は無言で立ち尽くすしかなかった。

「どうせあんたたちはわたしのことを汚らわしいって思ってる!」

 自棄を起こした少女を、詠が堂々たしなめる。

「違うぜ、手塚さん。俺たちがそんな事情で対立すんのは、鷲津たちの思惑どおりだ」

 だが次に手塚が明かしたのは、驚愕の真相だった。顔をあげ、目に異様な光を灯らせて、英雄気取りの二人組をあざ笑う。

「だって……祈月耀を殺したのは、あたしたちなんだから! あんたの祖父、『輝ける太陽の宮』が『海百合党』と『日の輝巫女』サマを潰せって言ったから! どう? 憎いでしょ? わたしたちのことが! わたしのことを退治すればいい。でもわたしは、戸籍もあるれっきとした『人間』だけどね!」

 真相自体は、考えてみると納得がいった。祖母たちは目まぐるしく動く情勢に気を取られて、裏事情を伝えなかったのだ。特に夜空が出奔してから、清矢に伝えられる情報は注意深く統制されていた。

 可笑しいことに、父方の祖父とは話したことすらなかった。清矢が生まれる前に暗殺されたからって、今更憎しみをたぎらせるのは無益に思われた。

 虚勢を張る手塚に、清矢は淡々と告げる。

「……だけど、手塚さん。あんたは、まだ罪なんか犯してないだろ」

 佳代は口を引き結び、清矢を真正面から見た。涙のたまった瞳は黒く、でも輝きを失ってはいない。

「鷲津清隆たちと同じになる必要はないと思う。誘拐や殺人を繰り返していたら、『海百合党』だってきっとまた……」
「そ、そうだぜ! 手塚さんには魔物に立ち向かおうっていう勇気があるじゃねぇか! その勇気、どうせなら汚ねぇやつらとの戦いに使ってみねぇか? たとえば、誘拐犯の逮捕とかさ!」

 清矢と詠は必死だった。大人たちには色々なしがらみがあっても、若い彼女になら自分たちの正義が伝わるんじゃないか? 清矢ははじめて手塚佳代と人間的に向かい合っていた。彼女は、自身は鳥亜種だと主張している。だけど翼がない。「断翼したんだー。ぜんぜん飛べないのに、寝るときとか不便でさぁ」という説明がホントかウソなのかわからない。確かめてやりたいとはもう思えなかった。

 ざっと、秋めいた風が吹いた。爽光で浮き上がった地面の葉影が揺れた。少女はしばらくうなだれていたが、大きく深呼吸をした。

 永遠とも思える何秒間かが過ぎた。

 手塚佳代はスカートのほこりを払って静かに立ち上がった。

「――わかったよ、堕ちきることはないか。たとえ、親が『魔族』でもさ」

 全てを諦めたような、不思議と明るい表情だった。

 後ろ手を組んで、「警察、行こっか。あたしの知ってること、話すよ」と微笑む。

 三人で市の警察署に向かい、刑事課で佳代の持つ情報を話してもらった。公衆電話で連絡をすると、敬文が急いで迎えに来てくれた。

 敬文は手塚佳代に礼を言った。

「情報提供、ありがとう。よければ俺にもかいつまんで教えてくれ」

 祈月軍の参謀だと紹介すると、佳代は驚いたが、あくまで普通の女子高生らしく、ぎこちなく話した。

「桜庭の誘拐事件の黒幕としてあがってた澄名さんのことだけど……本当は『海百合党』の出身なんです」
「魔血統なのか?」

 清矢が尋ねると、佳代はうなずいた。

「私に、祈月たちについていい情報があれば連絡してくれって、電話番号渡してきてる。たぶん、祈月とあたしが同学年だから、利用しようとしてたんだと思う」

 手回しの良さには舌を巻いたが、清矢にはとある考えがあった。

「敬文。あのさ、これ、利用できない? 俺を餌にしておびき寄せて、逮捕するとかさ」

 幼いころ、結城博士たちとともに小さな復讐をした記憶がよみがえる。あの時も狂言誘拐でまんまと逃亡中の三島宙明を捕まえたのだ。敬文は険しい顔で断った。

「ダメだ。清矢さまを危険に晒すような策は俺はとらない」

 清矢は素直にうなずいた。まぁ、敵とて何度も同じ手にはひっかからないだろう。だが、佳代も考え込んで問いかけた。

「祈月じゃなくても、私なら?」

 敬文の眉がひそめられる。佳代は不敵に笑って作戦を立てる。

「たとえばさ、クラスに魔血統ってことがバレちゃって、いじめられてるって。祈月とは同じクラスだし、逃げだしたいって言って、澄名さんを呼び出すとか。あの人、けっこう『海百合党』の中でも浮名流してるよ。『海百合党』から出て行きたいって女の子、どこかに連れてっちゃうことがあるんだ……」

 詠は感心したように腕組みした。

「もしかしたら『みさき』もその線か? 行けるんじゃねぇか?」
「澄名本人が現れるとは限らないし、警察と常春殿の協力あっての話だ」

 敬文は乗り気ではないみたいだった。

「やります。あたしだって、正しいことがしたい」

 佳代は宣言して胸を張る。清矢は思わず身を乗り出した。

「手塚さん、大丈夫かよ。『海百合党』にとっては裏切りになるぜ」
「今まであの人が連れていった女の子だって、一体どんな目にあったんだかわからないよ」

 彼女は捨て鉢に笑った。もう一度刑事課に戻り、策をもちかける。澄名考は『桜庭詠くん誘拐事件』と『夏目雅殺害事件』の二件にかかわる容疑者であり、特別捜査班の編成も検討されるらしい。佳代はもっと詳しい話をと請われ、別室に連れられていった。

 その日は結局学校をサボることにして、帰途についた。詠も念のため、祈月家まで共に向かった。勇んだ調子で清矢の背中を叩いてくる。

「いよいよ澄名のやつを捕まえられるかもな!」

 敬文は相変わらず青少年の熱血ムードには冷淡だった。

「詠。家に帰っても、詳しいことは話さないでくれ。捜査の邪魔になったら困る」
「え? ……ああ、わかりました」

 詠はキョトンとして、常識的注意を飲み込んだ。清矢としても、何となく宙ぶらりんにされた気がして落ち着かない。

6 溺愛のプール

 その後敬文は昼間に方々尋ね歩いて、陶春の関係者と今後について話し合っているようだった。学校でのいじめは止んでいたが、警察からは何の音沙汰もなかった。

 十月に入り、小雨がちになった。手塚佳代は学校を休むことが増え、清矢は気になりつつも打つ手がなかった。夕食をとってから敬文の泊っている洋風の客間に行き、佳代について不安を訴えた。

 男は読みさした新書を閉じて、相変わらずの過保護な注意をする。

「清矢さまが気にすることじゃないよ」

 清矢は敬文をにらみ、あぐらをかいた膝をつかんだ。

「じゃあ何、敬文。俺はクラスメイトすら守れないっていうの? 今だって、手塚さんは囮役として危険な目にあってるかもしれないじゃん」
「君が誰かを守れるなんて思い上がりだよ。俺だってたったひとりで精いっぱいなんだ。お願いだから、落ち着いて」
「ヤダよ、俺、そんなんじゃごまかされない……!」
「大丈夫、大人たちを信じて」

 敬文は優しくそう言って、清矢を抱きこんできた。風呂上りの清潔な匂いがして、大きな手が背中を撫でる。一匙の抵抗もなく、清矢の細い体は男の胸に埋まってしまう。本当ならもう少し反抗したってよかった。社会への不信とか、自身の弱さとか、子ども扱いされてる不満とか、そういった感情を態度で現したってよかったのだ。だけどこの男は清矢を迎えに来てくれて、安堵と保護をくれた。その後もずっと傍にいて、事あるごとに抱きしめてくれて、愛されてるって錯覚まで見せる。

 肌寒いせいもあって、敬文の温かさが清矢のためらいを押し流す。わずかな強がりは、コーヒーに入れた角砂糖みたいに脆く溶けていく。

「俺……俺さ。もしかしたら、敬文のこと好きなのかな」

 清矢は言ってしまって自分でショックを受ける。

 敬文も目を見開き、「そ、そうか」と動揺した。頭をかきながらごにょごにょと言い訳する。

「別に構わないけど……って、いやダメだな。俺はかなり年上だ。いくらでも待つから、それまで傍にいさせて」
「敬文も、俺のこと好きなの?」

 胸がずきずき痛んだが、確認せずにはいられなかった。甘やかされて、心地よいプールに浸って、どっちつかずの関係でいるのは楽しかった。けれどそんなの卑怯だからだ。敬文は、詠に辛い。それはおそらく、嫉妬じゃないかと。

 参謀はあっさりと白旗を上げた。

「……いや、誤魔化してもバレバレだよな。そうだよ、君を何より大切だと思ってる……恋に似てるって言ったろ? だけど、ああ」

 感情をあふれさせた呻きとともに、敬文は清矢を抱きすくめた。カーペットの床に押し倒して、「お願い。大人しくしてて。俺の腕の中で眠っててよ」と懇願する。

 天井をバックにして、困りきった表情で、清矢の身体に覆いかぶさる大人の男。息が止まって体もきしんでしまう。どうしたってこの後に控える性的なことを想像してしまう。詠だって月華神殿で求めてきた。あの時清矢はされるがままで、詠も途中で止めてくれた。だけど敬文は明らかに成人だし、たぶん経験もあるんだろうし、情が高まって、押し流されてしまうかもと思った。詠との時にはなかった怯えと、肉体を走る電流みたいな期待。

 しかし、伊藤敬文は清矢の頭を抱きすくめて必死になだめすかした。

「確かに、この捕り物は世の中を動かす。でも君の出る幕はない。それでいいじゃないか」

 清矢はややほっとして、敬文の二の腕にすがりつく。

「けど、俺たちふたりでジョーカーなんでしょ?」
「今回は警察も本気だ。安心して」

 敬文はそう言って、清矢のこめかみにキスした。思わず瞼裏に涙がにじむ。どうして突き詰めずにはいられなかったんだろう。なんで踏み込んでしまったのだろう。でも答えはわかりきっていた。

 この人との接触や会話から受け取っていたのは確かに恋の悦びだからだ。

 自分が化け物にでもなった気がして、思わず泣き言を漏らしてしまう。

「俺……俺、詠が大好きだったはずなのに。詠の恋人だったのに」

 敬文は清矢の手を引っ張って起こし、きっぱりと命じた。

「分かった。これ以上は禁止だ。今夜は部屋に戻りなさい」

 清矢はおもむろに立ち上がり、操られたように自室に向かった。

 自室のあつらえは特にインテリアも考えられず、和室なのに学習机とシングルベッドが置かれていた。うらぶれた本棚に飾ってあるシーグラスを見る。今日もまた、敬文にねだったら力強く抱きしめてもらえた。「君が大事だから守る」と約束してもらった。危ない真似をするなと叱られた。今までどの大人もしてくれなかったこと……父ですらも。

 綺麗な石を手に取り、握りしめてみる。胸の痛みを吸い取ってほしくて、心臓に当てがった。石は硬く、清矢の体温ですみやかに温まっていった。

 窓を開けて夜闇を見通してみる。霧雨の降る秋の夜。やがて、母が様子を見に一階から上がってきた。引き戸のふすまを開けて、ちょこんと顔を出す。

「清矢、もう寝なさい。敬文さんは?」
「敬文も寝るって。あのさ、俺……正直もう、自分がわけわかんない」

 ありのままになんか言えなくて、感情だけ伝えた。雫はベッドに腰かけて「清矢。疲れてるのね」とささやいた。そして苦い笑みを浮かべながら、丁寧にねぎらった。

「去年からこの方、いろいろなことがあったもんね。戦に行ったり、清涼殿で捕まったり、父さんが鷲津との戦に勝ったり、月華神殿に偽夜空が出たり……それで今度は『海百合党』? 冗談じゃないわよね。全部、あなたのせいではないのに」

 やわらかな語尾から、母の愛ってやつが沁み込んでくるようだった。清矢は「だけど、俺は祈月の次期当主だよ」と力なく笑った。母は立ちあがり、闇を背にして窓枠にもたれる。

「それでも、あなたはまだ十六歳。一人で全部抱え込まないで」

 彼女はロングヘアーを耳にかけ、寂しげに呟く。

「母さんは弱い女だったから、夜空を守り切ることができなかった」

 慰めようかと迷ったが、母はすぐに顔を上げて、微笑みとともに清矢を見つめた。

「だから、せめてあなただけでもって思ってる。敬文さんも、さくらおばあちゃんも、草笛の家だって、あなたを支えようとしてる。その重圧は凄いでしょうね……でもね、誰かに頼るのは、悪いことではないのよ」

 母は戻ってきて、背中をさすってくれた。

「背負いすぎた荷物をいったん下ろしなさい。あなたが今出来るのは、肝心なことを黙り通して、日常を生き延びるだけ。世の中のもつれる糸を、全部自分がほどけるなんて思わないことよ」

 それはいかにもこの押しの弱い麗人、草笛雫の取っていそうな戦略でピンとこなかった。けれど……少年が剣で切り開いた未来なんて、所詮わずかな綻びで崩れてしまうジオラマにすぎないのかもしれない。

「それが母さんのいつも言ってる『芯の強さ』ってやつなのかな?」

 問いかけると、母は嬉しそうに笑った。

「カモミールティ入れてあげるから、ゆっくり休みなさい。明日も学校は行かないとね」  会話はそれで終わり、雫は階下に降りていく。窓から雨の匂いがする冷気がなだれ込む。応援はありがたかったが、とてもじゃないけどやりきれなかった……だからって敬文には今夜はもう近寄れない。

 ただ詠のことを想った。これ以上、裏切りを重ねたくなかった。

7 共犯者

 廣嶋県某逢引茶屋。時刻は四時半。

 澄名考は革張りの二人掛けソファに背を預け、いかがわしいブルースを聞いていた。卓上のブランデーも氷が溶けて味が薄まっている。手塚佳代はまだ来ない。

 ――常春殿が『海百合党』を潰す、か。

 思いのほか急だった。一方、佳代の身の上にはとりたてて珍しさはなかった。魔血統がゆえにクラスでいじめられたなんてよくある話だ。今までも、出自を恥じて彼の手で帝都に逃れて行った女の子は何人もいた。堅気にしがみついた者もいれば、体を売るしかなかった娘もいる。だがみな、少なからず自分を支えてくれている。

 ……もう終わりにしよう。長年続けてきた祈月氏排斥もここらで取りやめだ。これからは守る側に回る。手塚佳代はその第一号になるはずだった。だから今後の段取りのためにも彼女には直接会わなければならなかった。

 煙草をくわえ、火をつける。

 『祈月清矢』と同じクラスか。

 あんな少年も結局は使い捨ての魔法兵器にすぎない。

 長男が行方不明である今なら、彼さえ消せば源蔵は消沈する。すぐにでも自宅に魔族を送りつけて惨殺してやりたかった。だがそれでは、二十九年前の暴発を繰り返すだけだ。月華神殿に偽夜空を送った企みは暴かれ、旗印と頼んだ鷲津清隆総将は解任寸前。下手を打てば、魔族や魔血統に対するヒステリーが増大し、虐殺へと傾く危険がある。

 効果的なのは、もうひとつの真相の暴露だ。

 蘭堂宮家の血筋だった『永帝』が魔族となる折に反対しなかったのは白透光宮家――祈月家の先祖ではなかったか? そして『日の輝巫女』が作られ、彼女が産んだ何人もの赤子は『魔族』と呼ばれた。

 D兵器や魔族を生み出した当事者のくせに、退魔の家柄だとおのれを誇る。――笑わせるな。蘭堂宮ごと滅ぼしてこそ日ノ本の未来は啓かれる。過去を断罪し、新しい秩序を刻み込むのは我々だ。

 紫煙とアルコールは不思議と郷愁を呼び覚ます。ほかに客はいなかった。

 母は、狐亜種の人間だ。魔族の血など入っていなかった。常春殿に強制され、魔族と番わされた可哀そうな私の母……我々は貴族たちの欲望の犠牲者なのだ。

 茶屋の扉が開いて、女の子が入ってくる。澄名は片手を上げ、少女を呼び寄せる。レインコートの女がソファの隣に座る。

「手塚佳代さんだよね、調子はどう?」

 彼女は少し濡れたおかっぱの髪をなおして、こくんとうなずいた。

 ブランデー水割りを頼む。酔わせたほうが後がラクになる。

 少女は澄名の原稿に興味を示した。

「これは?」

 澄名は甘い笑みを浮かべて、紙片を手渡す。

「未来の設計図さ。祈月家の罪を暴く、真実の記録だ」

 女はボストンバッグの中から眼鏡を出し、紙面に目を走らせた。

「これが『海百合党』の狙い……」
「うん。どうする? もっとじっくり教えてあげてもいい、ベッドの上でね」

 誘いをかけると、女は躊躇せずグラスを空けた。

 そして少しも応えていない顔つきで告げた。

「外に出ましょうか? 誘拐罪の共犯の疑いがかかっています」

 血が凍る。警戒心が限界を超えて引きあがる。澄名はジャケットをひっつかんで店を走り出た。待ち構えていた強面の男が澄名を取り囲んだ。

「フラッシュ!」

 汎用系光魔法の基礎術を唱えて目くらましをする。スーツの脛を蹴り飛ばし、何もかも放り投げて逃げ出す。ハメられていた。彼女は手塚佳代じゃない。たぶん、体格の小さい女刑事。鷲津清隆を通じて送っていた賄賂はすべて無駄になった。

 肌が冷や汗で濡れている。狭い路地の出口では札を構えた兵士が詠唱を終えていた。おそらくは常春殿兵!

「悪しきものよ、さばえなす、罪とがよ。常世の春に囚われて、永劫の夢に惑え! 夢幻結界、光陣!」

 とたんに、眼前が白く焼ける。輝かしい幾何学模様のラビリンスが澄名を捕える。振り返っても、上を見上げても、もちろん足元も、光のタイルで舗装されてしまった。誰かが背後から腕をねじり上げ、のしかかってきて横顔をアスファルトに押し付けた。その姿ももう目には見えない。視界は完全にハッキングされていた。禁術なみの幻惑だ!

 澄名は半狂乱で暴れたが、後ろ手に冷たい手錠がかけられた。忙しない足音が地面を伝って脳に響いてくる。

「ルートA、ホンボシ、確保しました! 使用術式はS。軍警とともに署へ一時連行します」

 男がどこかに通信している。澄名の頭には、胸ポケットに携えている毒薬の存在だけがあった。

 三日後、陶春日報に『桜庭詠くん誘拐事件容疑者逮捕』の文字が躍った。澄名考の逮捕記事だ。七年前の夏目雅殺害事件についても余罪が追及されるらしかった。祈月家の朝の食卓は吉報に沸いた。清矢は新聞を持って学校に向かった。

 近頃、欠席が目立っていた佳代は、何事もなく登校していた。清矢は真っ先に彼女の席に行き、礼を言って、深々と頭を下げた。

「ありがとう、手塚さんの協力のおかげだ」

 手塚さんは照れて、「や、わたし、警察に自分の知ってることを伝えただけだし」と笑った。徹も「手塚さん、やるじゃん!」と彼女を称えている。『海百合党』の裏切者となった彼女がどうなるか、一抹の不安もあったが……今は無邪気に喜んでいたかった。

 詠と広大のいるB組に赴き、事件の解決を祝った。

「やったな! これで夏目雅先生も浮かばれたな」
「被害者の名前って堂々と出ちまうもんだなー。母ちゃん、慌ててたぜ」

 二人はそれぞれの反応を示した。清矢は内心の抵抗を押し伏せて本題を切り出す。

「詠。大事な話があるんだ。あとで体育館まで来て」

 昼休み、詠は体育館の渡り廊下までやってきた。清矢は学ランのポケットに手を入れ、金属の柱にもたれていた。

 ポプラが黄色い葉を落としている。銀杏も植わっていて、鼻をつく実の匂いが生々しい。その臭気を嫌って、生徒たちはめったに近寄らない場所だった。詠が心配そうに問いかける。

「清矢くん、何かあったか」
「詠。お前ってさ……俺の恋人だよな」

 清矢は申し訳ない気持ちで確認した。

 詠は紅くなって「……うん。そのつもりだ」とうなずく。

 くどくど言い訳するつもりはなかった。だから、結論から打ち明けた。

「俺ね、月華神殿から帰ってくるまでの間で、敬文のこと好きになっちゃった」

 詠は息を深く吸い込んで、「なんとなく気づいてたけど」と答えた。清矢は目を合わせずに説明をした。

「自分で自分が分からねぇ。詠を裏切りたくないのに、他人に抱きしめられるのが気持ちいい。だからケジメつけたい。こんな状態で詠と付き合ってるのは不誠実だ」

 幼い恋は希望と愛に満ちていた。詠はいつでも自分を支えてくれたし、笑い合うのが楽しかった。だけど秋になって清矢は変わってしまった。自分勝手でズルくて臆病になった。性的なふれあいはしていないけど、汚れた、と思う。今までだって大人の都合に振り回されてきた。走ってこれたのは隣に詠がいたからだった。でも、敬文は……清矢を戦場に連れていった犯人は、清矢の隠れた依存心を引きずり出して、危うい恋の幻を見せた。三角関係。純情な詠をそんなぐちゃぐちゃな世界に引き込みたくはなかった。

「……俺じゃあ敬文さんにかなわないっていうのか?」

 聞き返す台詞はいくぶん落ち着いていた。

「違うよ。俺は詠が好きだし、危ない目には合わせたくない。だけど迷っちゃうんだ。なら、束縛しちゃいけない」

 涙もろい詠はすぐ泣いた。目元を拳でぬぐいながら、譲歩してくる。

「俺は『みさき』と付き合っちまった……これで、おあいこってことにならねぇか?」
「あれは、俺とくっつく前だろ。詠は悪くねぇよ。何も……悪くねぇよ」

 ソフトモヒカンの髪をわしわし撫でてやる。詠は感情をこらえられず、清矢に抱きついてくる。慈愛が高まる。敬文のときのひりつく欲望とは正反対の感情だ。清矢は穏やかに詠をあやした。

「耀サマみたいな冒険は、もう充分だよ。俺はお前に平和に過ごしてもらいたい」

 詠は跳ねるように後ずさった。

「そんな平和なんかいらねぇよ!」

 怒り混じりの泣き声だった。清矢は強い目で詠をにらんだ。

「ダメだよ、詠。お前は誘拐されて拷問されたんだ。戦にまで行ったし、いつだって俺の盾になろうとして……俺、お前を失った未来にこうしてちゃんと立ってらんない」
「……それは、俺だって同じだけどな」

 捨て台詞には拒絶の色が滲んでいた。詠は唇を噛み、険しい顔で引き上げていく。秋空はどこまでも深く澄んでいて、乾いた寂しさを清矢にもたらした。教室に戻り、味のしないのり弁当を食べる。手塚さんは頬杖をついて窓の外を見ていた。

 放課後、敬文が迎えにきた。彼は挨拶なんか抜きで目ざとく尋ねてきた。

「どうしたの。浮かない顔だ」
「俺……詠と別れちゃった」

 敬文は何も言わず、手をつないでくれた。「どっか行こうか」と微笑まれ、そのまま海まで歩く。国土を引いたとの神話が残る渚は、観光客もおらず、魔物の影もなかった。  ふたりで砂浜に座って空と海を見る。清矢は問わず語りをはじめた。

「大事なのは詠なんだよ。でも俺、自分の事情でこれ以上あいつを傷つけたくない」
「分かってるよ。俺の理屈ってホントは私欲だから……」

 敬文は複雑に微笑んでくれた。気がわずかにラクになった。だが、彼は次の瞬間身を乗り出して清矢の心にまたナイフを入れた。

「――だけとごめん。別れてくれて嬉しい。今は君とだけの世界に浸っていたい」

 その告白は単純なスキなんかじゃありえない、罪とエゴにまみれた、生々しい執着だ。敬文は清矢のあごをとらえ、とうとう唇にまでキスをしてくる。背筋が震える。怖いのと、禁忌と、それ以上の欲望と。

 唇が触れ合っただけで清矢の思考は止まってしまう。しゃにむに抱いて、滅茶苦茶にしてほしいとすら思う。身体の奥が熱い。恥ずかしくなって「ケイブン」と名前を呼ぶと、彼は清矢の顔の輪郭をなぞりながら、飢えた目を潤ませて口説いた。

「運命が君の死なんて結末を見せてくるなら、俺だって一秒たりとも生きなくていい」

 そして清矢の手を包み込み……額をつけて祈るような仕草をした。

「この手が武器を取るのはもっと先で良かったんだよ。俺は誤った……赦してくれ」

 波音が複雑なコードを奏でていた。絶対音感なんかないからドレミには聞こえない。清矢は、重なった指にキスする。

 笠間橋の戦でのことが思い出された。自分に一直線に向かってきた敵隊長の殺意。

 敬文は素早く銃撃し、自分にとどめを刺させなかった。あの時は残念にも思ったけど、きっと俺の無事だけを考えてくれてたんだ。決定的な人殺しまではさせなかった。  話題を逸らすためにわざと明るく話す。

「ホントはさ、高校生らしく、詠と付き合ってるべきなんだよね。放課後に楽しくしゃべってさ。剣で競い合ったり。ピアノ聞いてもらったりとか……」
「そうだね。でも、俺は君が好きだよ」

 自分はそこまで詠を束縛していいものだろうか? 答えは否だった。大好きな詠だからこそ、自分の意思で健全な道を選んでもらいたい。

 清矢は感情の処理ができずに制服のまま敬文にすがりつく。この人はずっと一緒にいてくれるんだ、と無理やり納得しようとする。厚い体と燃えるような体温に抱きついて、清矢は涙を敬文のシャツにしみ込ませた。しばらくそうした後で、敬文は体を少し離した。

「だけどね、世の中には理ってもんがある……俺は君を独占してたいけど、結局最後は手放さなきゃいけない」

 清矢はショックを受けつつ「どういうこと?」と聞いた。

「だって、祈月家が続かないだろ」

 この男は実際はどこまでもドライだった。清矢を恋の夢に酔わせる。だけど即座に現実に引き戻す。清矢は今やその急激な温度差を信頼しつつあった。

「最終的に君にふさわしい相手は俺でもなく、詠でもないんだ。その女性が見つかるまで俺で、っていうのはかなり卑怯だけど……」

 清矢は敬文を見つめる。本当に狡い人だ。だけど正直で、俺を騙そうとはしていない。清矢は今度こそ本音で笑う。

「……卑怯なのは、俺もだよ」
「え?」
「俺も敬文を利用してる。守ってもらいたい。政治的にも必要」

 清矢は海風を避けるようにもぞもぞと敬文にすがりつく。そして子供の武器を使った。

「だけど、一緒にいると気持ちいいんだ。もっと……先に行きたいって思う。これって、恋だよね?」
「……ああ」

 男は愛おしくてたまらないという顔で少年を見つめていた。清矢はハミングするみたいに続けた。

「だから、俺たち、おあいこだ。お互いどっか狡くて。それでも……」
「それでも?」
「今は敬文といたい」

 それが清矢の答えだった。年齢差といい経緯といいどこにも褒められたものはなかった。応援してくれる味方だっておそらくはいないだろう。二人だけの世界……誰にも触らせられない、揺るぎない幻想。

 その言葉を聞いた瞬間、敬文の腕に力がこもった。

 ざっと砂音を立てて、さらうように清矢を抱きすくめる。

「……ダメだ」
「え?」
「俺は今、そんな馬鹿げたこと言ったけど」

 敬文の声が震えている。

「嘘だ。本当は――本当は君を手放したくない」

 清矢は息を呑む。

「世界中みんなが非難しても、俺だけは君の味方だ。一心同体だよ? ずっと。――共犯者。それが『ジョーカー』の真相だ」
「……うん」

 清矢は敬文の胸に顔を埋める。そうだ。俺たちは、罪を分け合ってる。若年従軍に詠まで連れてったことも、魔法で敵を殺したことも、この関係も。全部、二人ではじめた罪だった。敬文は苦しそうに告げた。

「俺は君を『愛してる』。それ以外の形容なんかしたくないんだ」
「……いつまで?」
「大人になった後も。君のお父さんが退役した後だって、俺は国軍にいるからさ」

 清矢は目を閉じる。静かで大きい打算が心の中で固まり始めた。でもそれは悲しみではない。この人となら、たとえ罪を背負っても赦し合える。

 マジックアワーは儚く終わり、つるべ落としのような短い夕暮れが来た。清矢ははっと我に返り、敬文を見上げる。

「『海百合党』ってこれからどうなるんだと思う? 手塚さん、やっぱり無理してる感じだ」
「そのことだけど」

 敬文はいきなり軍師の顔に戻る。

「鷲津清隆は澄名逮捕を切り抜けられないだろう。零時の父親にももう一度彼らの関与を証言させる。総将はスキャンダルで退場し、俺たちは春には国軍に戻れる。そしたら、『狩り』のはじまりだ」
「『狩り』って……」
「世論は魔族排斥に向かってる。耀サマの仇をとろう。『日の輝巫女』と『海百合党』の排除。それが俺たちの国軍退魔科での初仕事になるんだ」

 清矢は暗い気持ちで確認する。

「手塚さんはどうなるの?」
「こちらについた魔血統は保護。『日の輝巫女』に殉じるなら、そうさせてやるだけ。大丈夫だよ、手は打ってあるから」
「俺は戦に出なくていいの?」

 敬文は不安げな清矢を決然と一瞥して「高校生に従軍なんてさせない」とあらためて誓った。

 その後、文化祭など楽しいイベントもあったが、清矢は注意を怠らなかった。母の忠告が指針だ。詠にも、もう『相棒』だからといって機密をばらさなくていい。それはある意味救いだった。

 意外なエンディングもあった。12月、期末テスト終了日に、手塚佳代の転校が担任から告げられたのだ。平穏を取り戻していたクラスは驚きに包まれ、お別れ会も企画された。清矢は帰ろうとする手塚を追い、別れを告げた。彼女は結局、魔血統への偏見を避けるために陶春県を去ることにしたらしい。突っ込んだ事情を聞くのは憚られた。引っ越し先は、敬文と束の間滞在した関東圏だった。

 手塚佳代はそんな通り一遍の身の上話をしたが、最後に真顔で質問した。

「祈月、あたしたち正しいことをしたんだよね?」

 実に重たい問いだった。清矢はうなずくしかない。彼女は握手を求め、清矢も応える。――何ひとつ、わかりあえていないと思った。でも、幼いころから命を狙われていた祈月清矢と、魔血統だという差別に耐え続けた手塚佳代。ふたりは案外、似たもの同士だったかもしれなかった。

 握った手は自分のものよりも華奢で、確かに人間の肌の感触をしていた。

「元気でな」
「祈月も」

 手塚は短く告げて、しっかりした足取りで去っていった。彼女は制服の上にマフラーをしており、深紅がやけに鮮やかだった。木枯らしがうそ寒い。

 本格的な冬が訪れていた。

(了)