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あおうま
ディヴィッド・アンブローズ『リックの量子世界』創元SF文庫 2010年

パラレルワールドもの。小規模の出版社を経営するリックは、ある重要な契約の日に妻を交通事故で失う。それを機に、彼は「もう一つの世界」に移転してしまう。狂人として精神病院に収容されてしまうリチャード。彼は元の世界に戻り、妻を救えるのか?

量子理論ものでSF出版社から出ているが、理論的な野心というのはないただのパラレルワールドもの。これは、ジャンル出来立てならオーソドックスなよい話なのだろうが、異世界転生花盛りの今からすると、パラレルワールドやタイムトラベルまでして、やることが妻の浮気の糾弾とか、妻と息子が生きてるだけの世界の構築とか、そんな卑近なものなのかよ……とちょっと思ってしまう。
筆致は読みやすいが、主人公も知的を気取ってかなり感情的だし、量子理論も利用されるだけで、とくに大きな見解が示されるわけではない。そういう人間は狂人として扱われ、精神治療の対象として疎外されるが、双方の分野にまったく歩み寄りはないし、ごく堅実で地に足の着いた展開だけなので、ちょっと面白くはなかった。

「きみたち科学者が決して思いつかないことが、ひとつあるのを知っているかい?」わたしは次第に興奮しはじめていた。自分の声がやけにしつこく、まるで噛みつくようなトーンに跳ね上がったのがわかった。「きみたちは、光速で旅ができるとか、同時にふたつの実体を機能させることができるとか、いつもそういう夢のマシンを想像で作り上げているが、そのくせ、そういうマシンの中でも最高に優れたものの存在は見すごしてばかりいるんだ――それは、すでにわれわれがフル活用しているものなのに!」
 彼はわたしがなにを言おうとしているのか理解できぬまま、興味をそそられた目でこちらを見つめた。
「そのマシンは、人の心さ!」と、わたしは言った。