万聖節の夜物語 アルカディア魔法大学逃亡編(1-6)

第二章

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 アルカディア魔法大学の生活も一か月が過ぎ、八月になった。農家では収穫祭が営まれ、太陽がもたらした豊穣に感謝の供物をささげている。ヒョウガ男爵の授業の終わりしな、いつもなら素早くいなくなるヴェルシーニンが同郷のユーリとともに一通の手紙を渡してきた。夜空とアイフェンは授業後の掃除の手をとめて聞き返した。

「ヴェルシーニン、この手紙は誰からの?」 「火塔のジョージ、そしてマルティンからだ。どうしても夜空にモノ申したいらしい」

 夜空はモップを置き、封を切って中身を読んでみた。殴り書きの筆記体で箇条書きに質問が書いてある。

「アルカディア歴二千六百七十年代の新入生として同期・祈月夜空に問う! 貴殿はロンシャンマフィアの犯罪者だというが誠か。日ノ本の貴族の出だと出自を偽っているというのは誠か。実技入試で色彩魔術師を怨み、シリルを殺害したというのは誠か。闇塔は教授が特定の学生を贔屓し、それ以外の学生の授業履修を拒否したというが誠か。貴殿の入試総合成績はロンシャンからの賄賂に靡いた大学側の成績操作ではないか。そのような疑惑の多い学生が入学式で代表として従属宣言を行ったことを不審に思う。申し開きされたし! ジョージ・ヒューゴ マルティン・ギーゼキング」

 夜空は仏頂面になった。入学式から一か月も経ってずいぶんぶしつけな質問状だ。火塔ということは、シリルの所属している寮である。大方あちら側の悪口をすべて鵜呑みにしたのだろう。ヴェルシーニンに手紙を突き返し、反論した。

「俺はエトランゼ・タウンを放浪したことはあるけど犯罪歴はクリーンだ。日ノ本の貴族の出っていうのも本当。色彩魔術師についてはアルカディア島に到着する前は聞いたこともなかった。殺害したって……じゃあ今生きて歩いてるシリルは亡霊なのか? 月魔術の授業については、揉め事をきらって闇塔の学生も一律で受講拒否になったよ。ロンシャンから大学に学費以上の賄賂は贈られてない。これで疑惑は晴れた?」

 ヴェルシーニンは感慨もなく答えた。

「それがロンシャン公式回答、ということだな。俺はそれで構わないが、ジョージたちは気炎を吐いてるぞ。名指しされた身としては騒ぎを収める必要がある」 「……そうだね、ジョージたちと話してみる。火塔に行ってみるよ」 「向こうは何やら大事にするつもりらしいぞ。話すなら明日、授業後と指定された」 「ヴェルシーニン、ありがとう。連絡役をさせてしまってごめん」 「まあ腕の見せ所だな」

 ヴェルシーニンはちらりと愉快そうな気勢を見せてユーリとともに去っていった。アイフェンが夜空の袖を引く。

「無視したほうがいいよ、こんなの……喧嘩売ってきただけだ」 「シリルと俺の個人間の揉め事ならそれで済むけど、月魔術の授業も含めて他学生まで巻き込んでる。対処しなきゃダメだよ」 「ウィリアムに言っとく。僕は関われないからね!」

 アイフェンは厄介そうに念押しした。果たして翌日、指示されたとおり火属性塔の野外演習場にジアースとともに訪ねてみると、調練場にはシリル、ウィリアムをはじめ、他の女子学生やジョージたち本人とおぼしき男子たちが連れ立っていた。ウィリアムが告げ口したのか、教員のシスター・グラジオラスまでが首を揃えている。

 ジョージ・ヒューゴは暑苦しく着こんだ鎧をガチャつかせた、モヒカン刈りの少年であった。赤髪に緑目という遠い島国を連想させる容姿で、かなり骨太で体格がよい。犬亜種の中でも品種組らしく、黒毛の獣耳だけは垂れて行儀がよかった。隣にいる老け顔の男子がマルティンだろうか。彼も犬亜種だ。黒幕とおぼしきシリルはちゃっかりとマリーベルとシスター・グラジオラスの間に挟まり、さも見下したような顔をしている。夜空はできるだけさばけた姿勢で語りかけた。

「君がジョージ・ヒューゴ? そっちはマルティン・ギーゼキングだね。俺が祈月夜空だ。質問状は読ませてもらった。ヴェルシーニンには話したけど、すべてが事実無根だ。火塔のよしみと言うだけで、シリルの雑言を真に受けないでほしい。一つずつ申し開きするよ」

 ジョージ・ヒューゴは毅然とした答弁にむっつりと黙りこくった。夜空の細かい説明を聞くでなく、頭をかきむしって激高する。

「うう……だが貴様は不正者なのだろう!? 口だけなら何とでも言える、男なら武で示せ!」

 シリルたちの間で話はとっくに出来上がっていたに違いない。ジョージは問答無用で両手剣を振りかぶってきた。いきなり乱闘沙汰になって驚いたが、夜空は飛びのいて軍服の中から新月刀を取り出し、逆手で構えて甘い剣撃を一度はいなして見せた。結城の家でつけてもらった師匠と比べたら、太刀筋は驚くほど単純だ。剣先を狙って一点で弾けば力は反らせる。紅、白、藤紫の組み紐が華麗になびき、投げ捨てられた黒塗の鞘からは銀の刀身がのぞいた。

 絢爛な隠し武器の登場に、見物していた女子たちが歓声をあげる。とは言っても脇差と長剣では勝敗は分かり切っているので、夜空はロンシャンの友に頼った。

激光 (ジーグン) 、貫いて!」

 右手の人差し指から直径数ミリの紅の光線が走り、ジョージの頬をかすめる。実技試験ではシリルに現を忘れさせるほどの渇望をもたらした光学魔術だ。光は情けもなくやわらかな皮膚を焼きえぐり、ジョージは流血した。

 だが、相手も豪胆だった。牽制にはひるまずに、むしろ踏み込んで剣で胴を薙ぎ払わんとしてくる。夜空は月龍 (ユエルン) が教えたとおりに、急所を射貫こうと狙いを定めた。当てるべきは、鎧の隙間だ。

「ごめんね、痛いよ!」

 脇の下、鎖帷子を狙われて、ジョージはたたらを踏んだ。後退しながら乱打される紅光が足元や体の内側にとびかかり、まともに距離を詰められない。もう一度、わざとこめかみすれすれに光線を放つと、ジョージは顔をしかめて罵ってきた。

「卑怯だぞ! 祈月夜空!」
「事前に打ち合わせて、丸腰の相手に切りかかるほうがよほど卑劣だよ。俺が君に何をしたんだ!」

 口論になったが、マルティンやシリルは加勢する気配がない。ジョージが悔しそうに口ごもると、見物していたベリーショートの女子が手を叩いて争いを止めた。見ると彼女も隙なく武装している。

「勝敗はついたんじゃないか? 夜空、見事だ!」
「君は誰? 戦争ごっこでもするつもりだったの?」

 きりりとした女子は胸を反らして名乗った。

「私はズデンカ・ベルコヴァ。魔力選抜六番通過だ。女子の身ながら、ハンガリア主導の軍事同盟・パーヴァケックに魔法剣士として勤めたいと思っている! 隙を見て助太刀するつもりだったが、意外や意外、健闘するとはな! クラウス殿下と同室になる男はやはり違う」
「おい! そんなら最初から味方しとけよ! どうせ袋にするつもりだったんだろ」

 後ろでそわそわしていたジアースが突っ込みを入れる。ズデンカは事もなげに笑った。

「私は違うぞ、はなから夜空派だ。それはそれとして、喧嘩は見たくてな。貴様はジアースだろう。入試では私の直前の順番だった」
「え……? そうだったっけ?」
「Zearth、Zdenka、そういうことか。実技試験はファーストネームのアルファベット順だったしね。俺たちの事件についても見ていたんじゃない?」

 虚をつかれたジアースに夜空が解説すると、ズデンカは頼もしくうなずいた。一転、シリルのほうには冷たい視線を向ける。

「私の見立て通り、夜空にはとくに汚点もないようだぞ、シリル。貴様こそ入試妨害についての言い逃れはどうするつもりだ」

 シリルは体面を汚され、愛嬌ある頬をふくらませた。

「ジョージは負けてないよ。夜空が卑怯だっただけ。あのさ、見せびらかすならその魔法、ボクに教えてよ。そしたら許さなくもないから」
「夜空、他の学生まで巻き込み始めてる。それで手打ちにしたらどうだ」

 シスター・グラジオラスとともに成り行きを見張っていたウィリアムが間を取り持とうとした。ジアースも気ぜわしげに振り返る。かませ犬にされたジョージの手前もあるというのに、夜空は要求を呑まなかった。

激光 (ジーグン) はロンシャンで特別に教えてもらった術だから、それはできない」
「はぁ? どうしてだよ! 夜空は実技試験の謝罪すらできないってわけ?」

 シリルもまたジョージに負けず劣らず血気盛んで、夜空の胸倉をつかみ、とうとう詰め寄ってきた。ズデンカが今度こそ手出ししそうな気配を見せたが、今まで黙っていたシスター・グラジオラスがわめきちらすシリルの襟首をつかんで諍いを止めるにいたった。

「学生間の無闇な術式指南は規律を乱します。本当にくだらない、行きますよ」

 シスター・グラジオラスはどちらにも与するつもりはないのか、ジョージたちによる質問状も取り上げ、シリルを引きずって去っていった。ウィリアムは多少、後ろ髪を引かれる様子を見せていたが、厳しい声で呼ばれて立ち去ってしまった。彼は学長からつけられた監視役でもある。ショックではあるが、立場の違いという一線は飲みこまなくてはいけない。もう一人の火塔の男子、老け顔のマルティンが、ジョージの頬傷を気にしはじめた。夜空は気を回してドクター・ライオネルから教わったディアでの治療を申し出た。傷の回復を念じつつ、対話を試みる。

「ごめん、ジョージ。でも質問状にあったことは全て謂れがないから。シリルに同情しちゃったのは仕方ないけど、こちらの都合もわかってほしい」

 ズデンカは大仰にうなずいて夜空側についた。ジョージは大人しく療治を受けつつも、ズデンカに食ってかかる。

「だからってフローレンスまでいじめるのは違うだろう! 彼女は巴里の寵児だぞ!」

 ヒューゴは拳をふるって熱弁したが、逆に今まで黙っていた他の女学生たちに取り囲まれ、吊し上げを食らってしまった。

「また男子はフローレンスに肩入れする……!」
「嫌な感じよ。都会風吹かせて。私のことを田舎者だってさ」
「うん……自分はもう魔法のエキスパートだって顔してる。そりゃあ巴里じゃあ人気があったんでしょうけど、火力では決してズデンカに敵わないのに」
「ジャクリーンだってヘクサグラムカース派の代表だけど、全然威張ってないもんな」

 夜空は不審を覚え、口々に批判の声をあげる女子たちに聞き返した。

「フローレンスって誰?」

 ズデンカが答える。

「フローレンス・“セルリアンブルー”・クーリール・ド・リュミエール。シリルの従姉だ。花の都のアイドル、だったらしいが。そのせいかやけに男子受けがよくてな」
「彼女も色彩魔術師なのか? そちらとなら話が出来るかも」
「おっと、夜空まであの女に会ってみたいのか? シリルと同じく気位だけが高いぞ。色彩魔術だの何だの言うが、あんな奴ら、客に媚びを売る芸人に過ぎないのに」

 その口ぶりから剣呑な空気を感じ取り、夜空はフローレンスの居場所を聞いた。彼女は今、火塔で寮の仕事をしているらしい。ジアースとともに彼女を探そうとすると、ジョージを治したことで気を許したのか、マルティンの方が案内を買って出た。

 火属性塔もまた、闇塔と同じ構造になっていた。八角形をかたどった十四階建てで、学生宿舎は六階からだ。いかにも学徒といった瘦せ型のマルティンには昇りがきついらしく、教室階が終わる四階の踊り場でいったん休憩をとった。彼は鼻の頭をかきながら、夜空たちに火塔の一年生たちの内情を明かした。

「いや、大事にしてすまなかった。実を言うと、シリルと君とのことで火塔はずっと揉めててね……ズデンカが全て見ていたと言いはって、入学式の後からずっと対立してるんだ。彼女はフローレンスのことを悪しざまに言ったが、どっちも気が強くてかなわない……こちらは男子三名、若人の身では言い負かすこともできなくてね。旗色が悪いのはいつもフローレンスの方なんだ。寮の仕事はほとんど押し付けられてる」

 ジアースも深刻そうに事態を品評する。

「あのズデンカって女……けっこう性格に問題あるな」

 そして真顔でマルティンを諭し始めた。

「でも、お前からもシリルに言っとけよ。自分だって他人の術ほしさに俺たちの入試を邪魔したじゃないかって……俺も実は覚えてるんだ。シリルが試験に乱入して、夜空以降の受験生が後日に回されたこと。だからあいつがいくらわめいても、味方する気になれないんだよな……」

 友からの擁護を、夜空は心底ありがたく思った。一方で、フローレンスという少女が気の毒になってくる。シリルの方は火塔でそれなりに居場所があるようだが、彼女のほうには同性の味方はいないらしい。それが若者にとってどれだけ身にしみる孤独かは、想像にあまりある。一応、他の面子には授業初日に声かけしてくれたジャクリーン・ヘクタグラムカースなどもいたが、魔術師としての派閥は別であるし、彼女とて授業初日の態度から分かるように最初から夜空派だ。

 女性とは只今縁が薄い夜空であったが、愚痴っぽかった祖母・さくらがしつけをしただけあって、女がどういう女を嫌うかは聞きかじっていた。夫とは若くして死に別れ、苦労人だったさくらは、亡くなった嫁に腹を据えかねていたらしい。

 ピアノだけ弾いてかしずかれてきた嬢様育ちの夢想者。いつまでも少女趣味で話が通じない。料理がとろくて味もよくない。あげくに夜空と清矢の面倒を最後まで見ずに死んだ。ともかく言いたい放題であった。お前も能天気な阿呆だよと、何度はたかれたか知れない。

 愛情深く、面倒見もよく、礼儀正しい人物でもあったが、偏屈なのが玉に瑕であった。おぼろげな記憶をたどると、入学式の後にシリルと一緒になって文句をつけてきた少女、あれがフローレンスだろう。ズデンカも気の強い曲者のようだし、巴里の寵児だか何だか知らないが、入学前の経歴を鼻にかけ、男子の注目まで一身に集めたとあっては、嫉妬心からいびられていても不思議はない。なにしろ女性というのは些細なことに敏感なのだ。

 首を突っ込むと、事情がクリアに見えてくる。ジョージとマルティンは実技入試での揉め事が女子の対立にまで発展したことを案じ、真実を正すために夜空に直接呼びかけてきてくれたのだ。荒っぽいのはいただけないが、決して事なかれ主義の弱虫ではない。二人はさして悪い奴でもなさそうだった。

 夜空は自身の不備を詫び、マルティンに経緯を詳しく語った。彼も学力成績はよかったらしく、従属宣言の人選には多少の疑義もあったらしい。魔力選抜と学力選抜を含めた総合成績での決定であること、ハンガリア王国とルーシャンの国情の兼ね合いもあったことを明かすと、頭脳派らしく納得してくれた。こうなると、がぜん責任感が湧いてくる。夜空はマルティン、ジアースと残りの階段を昇り、五階集会所に入った。豪勢なあつらえは闇塔に似ていたが、ドアが重たく開け放たれると、むっとする熱気が顔面を打った。大広間の中央に大釜が鎮座しているのだ。大釜は八角に組んだ炉にくべられて高熱を発し、異彩を放っていた。マルティンがこめかみの汗を拭いて紹介する。

「あれが火塔の象徴、『けして絶えることなき炎』だ。魔素で燃やしてるんだが、そうはいっても燃料の補助もいる。文字通り絶やしてはいけないんで、寮生が代わる代わる番をするんだ……ああ、いたいた。彼女がフローレンスだよ」

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 大釜の正面には薪が積み上げられ、錆びた鉄製のスツールが一脚置かれていた。マルティンの紹介通り、少女がひとりそれに坐って炎を一心に見つめている。夜空たちが近寄ると、彼女は不審げに振り返った。豊かな栗色の髪を二条に結い上げ、目じりが釣りあがったヘイゼルの瞳は人形のように大きい。筋肉質なズデンカや他の女子たちとは一線を画す、華奢なスタイルだ。パステルイエローの軽やかなワンピースを着て、ストラップのついたヒール靴を突っかけている。シリルの従姉、十七歳のフローレンス・“セルリアンブルー”・クーリール・ド・リュミエールは下馬評に違わぬ美少女であった。夜空は微笑んで声をかけた。

「フローレンス。入学式以来だね」
「……あたしのファンってわけ? それとも、他の用かしら」

 そう言って頬に指をあてがう仕草にはしゃなりと品があった。従弟とは異なり、彼女は夜空の顔を覚えていないらしい。夜空は堂々と名乗った。

「俺は祈月夜空。君を色彩魔術師と見込んで、シリルについて話をしに来た」
「……」

 要件を述べると、彼女の表情は硬化した。口を引き結んでじっと様子を窺っている。夜空はまず実技試験でシリルを攻撃した件について謝り、また入学式での諍いについても、入学前に魔術を本格的に学んでいたのだから、そのプライドからの正当なる批判であったと譲歩した。彼女の警戒は解けない。熱心に語りかける夜空を袖にするかのように、黙って炉に薪をくべはじめた。夜空がさっそく手伝おうとすると、ぱちりと火の粉が爆ぜて飛んだ。彼女の勘にも酷く障ったようで、癇癪を起こしたフローレンスは弾かれるように立ち上がった。

「やめて! あなた同情でもしてるつもり? 余計なお世話よ、さっさと帰って!」

 敵対しているはずの男に助けられるというのは、彼女の誇りを傷つけたようだ。

 フローレンスは炭バケツを蹴ってひっくり返し、さあ片付けろと言わんばかりに夜空に対して見得を切った。夜空は怒りもせずにしゃがみこみ、黙々と炭を拾い上げる。まだ熱が冷めず、指も汚れ、軽い火傷まで負ったが、なるべく手早く炭や灰を始末した。

 フローレンスはわなわなと震えながら立ち尽くし、キッと全員を睨みつけるとくびすを返して駆け出していった。ジアースが追おうとしたが、夜空は引きとどめた。今のは感情の決壊だ。下手に情けをかけられると張り詰めていた気勢がかえって切れてしまうのだ。失態を犯したのは彼女のほうで、ならば放っておかれたいだろうとも思った。夜空はマルティンとともにフローレンスに代わって火夫をしたが、彼女は夕餉の時間になっても姿を現すことはなかった。

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 しかし、彼女は従弟と同じ轍を踏む愚は犯さなかった。

 マルティンとは無事和解できた夜空が再度火塔に足を踏み入れたのは次のアジャスタガルの授業日であった。早朝演習は現在も続いていた。授業はそのフォローバックから始まり、基礎的な炎魔法の訓練、原理の講義と行き届いた内容である。ただし、寮の仲間で固まったせいもあり、異なる属性塔の授業だというのに、夜空たちはすっかり我が物顔であった。教壇の傍にたむろして床に座り込み、ノエーミはピクニック用の敷物まで持ち出してきている。

 一応、それぞれの卓は教場様に整えられていたが、みな、熱血漢で世話焼きなアジャスタガルに親しみを抱き、それゆえ学生と教官の距離が異様に近いのであった。教官はそのスタイルに愚痴をこぼしつつも、仕置きがしやすいと笑う始末だ。

「熱っ! これじゃあ俺、ピアノ弾けなくなっちゃうよ~! ジアース大丈夫?」
「うう……焼けただれちまった。夜空、ディアある? また頼めるか?」
「そうだよねえ新入生諸君……毎日自分をコツコツ焼くなんて暗くて嫌だよね~。っていうか先生、この修行ってほんとに火力が上がるんですか?」
「ったくもう、お前ら……文句があるなら帰れよ!」

 愚痴りつつ、回復魔法や薬を使ってだましだまし炎の鎖を握りしめる修行を行っていると、手を氷水で冷やしていたノエーミが改善案を出した。

「手のひらは勉学や生活への影響が大きすぎます。提案なのですが、こう、炎の蛇は手首に巻き付けることから始めるというのはどうでしょう? 鎖の網目もトライバルやアラベスクなどスタイリッシュな文様にすれば、タトゥーだとごまかせます」
「えっ、俺、そっちの方がいい! ノエーミ天才じゃない!?」
「う、うーん? 手首が締まると逆に危ないと思うけど……でも俺も最初はそうしておこうかな? 新魔法! ファイアーブレスレット!」
「ふざけんな! ちくしょう、ファイアーボルトゼミが復活したら全員まとめてそっちに送ってやるから覚悟しろよ!」

 締まりのない雰囲気にアジャスタガルが悪態をつく。世話役として基礎授業に居残っているホーソン先輩がガッツポーズをきめたが、肝心のファイアーボルトゼミの復活予定は杳として知れない。だが、そんな内輪の例会と化した講習室Bのドアを叩く者があった。

 ノエーミが出迎えると、そこには青いコットンドレスを着た少女が立っていた。嬢様風にサイドの髪を編み込みにしている。形のいい脚は白いストッキングで隙なく包んで、よそ行きの風情である。彼女は神妙にお辞儀をすると、ノエーミに導かれて講習室の中に入って来た。アジャスタガルは咳払いをして話を振った。

「えーと、お前はフローレンスだな。シリルと一緒にルーチェの授業にいたと思ったが……だが火属性塔の所属生はいつでも歓迎だぞ! ごらんの通り闇塔からの乗っ取りがかかってる最中だからな!」

 長い砂色の尻尾を巻き、冗談めかしたアジャスタガルは夜空たちを構うのをやめ、ホーソンに命じて授業用の教具を準備しはじめた。フローレンスはノエーミが敷いたカーペットに腰を落ち着けると、単刀直入に話を切り出した。

「シリルのことで話があるの。従弟がずっと嫌がらせをしてごめんなさい」

 率直な謝罪に、夜空たちは落ち着いて彼女の訪問を受け入れた。

「君たちには色彩魔術師としてのプライドもあったんだものね。でも俺は和解を望んでる。ロンシャンは東からの民の玄関口のひとつだ。その名だけで疎外はしないでほしいな」 「色彩魔術……そうよ、そうなの! シリルとあたしは双子のようなものなのよ! だけど……実技入試については、止めるべきだったと悔やんでた。その後やっぱり大事になっちゃって……下手したらスキャンダルだったのに! 一体どうしたらいいのかってずっと思ってた。だけど、あたしも火塔で女の子たちとうまくやれてなくて……ごめん。それどころじゃなかったの」

 フローレンスは堰を切ったようにしゃべり出した。年かさのノエーミが肩を叩いて彼女の孤独な苦闘をたたえた。アジャスタガルが教具を配りはじめ、炎の性質に関する講義が始まった。学生たちは静まり、透明なかさのついたランプを使って魔素の炎を観察した。  授業が終わっても、夜空たちは講義室Bに居残っていた。ホーソンとともに教具を片付けているアジャスタガルも不自然に腰が重い。全員が、この邂逅を引き伸ばしたいと思っているのが明白だった。フローレンスが勇んで夜空に話しかける。

「あのね! あなたが実技試験で使ってた、あの激光 (ジーグン) って魔法。あたしも実は興味があるのよ。あたしの家は青派で、色彩魔術を戦闘に応用してはいけないっていう制約がきついんだけど、でもマジシャンが魔物や暴漢に対して何もできません、では話にならないじゃない? シリルのやったのは子供じみた間違いだけど……でもあの子も妙に執着してるみたいだし、護身にはいいのかなって。それさえ教えてもらえばシリルも気が休まるだろうし……ちょっと考えてみてくれない?」

 フローレンスの訴えにジアースが同調した。

「俺も、本当はちょっとあの魔法が羨ましいなって思ってる。光の速さで撃ち抜けたから、ジョージも押さえ込めたんだし。シリルは気に喰わないけどさ、フローレンスと俺も加われば、二人きりにはならないじゃん?」

 夜空は困り果ててしまう。件のレーザー魔法は、大麗 (ダイリー) 系マフィアの一族 (フェン) 家が誇る殺人術だ。子飼いの術師すら簡単には使用を許されない。馮月龍 (フェン・ユエルン) による術の伝授は、大麗 (ダイリー) と湾を接する陶春地方の貴種・祈月氏との関係強化であり、仲間への餞別という真の特例であった。

 目立ちやすい紅色で、師匠役になった月龍 (ユエルン) は青龍刀を片手に「我らが血の色」だと悦に入っていた。夜空は深く知らないが、 (フェン) 家の代名詞的な術であるらしく、無関係な人間が濫用すれば挑発ともとられかねないだろう。

 結局、裏社会との繋がりについては隠し通すことにした。激光 (ジーグン) は大麗のある同年代の魔術師から教わったもので、魔法陣も書けないし、正式な大麗語での詠唱も、継承式の作法もわからない。それ自体は事実なのでごまかしも信ぴょう性をもった。フローレンスとジアースは残念そうに顔を見合わせた。

 アジャスタガルは会話を聞いていたらしく、割り込んできた。

「家が継承してる術式の伝授ってのは、魔術師間のトラブルでありがちだぞ。シリルもまとめて諦めとけ。参考にして新しい術を編み出すっていうのは、俺もかつてやったことだし、アリかも知れないけどな」

 フローレンスはノエーミの隣でしばし考え、真剣な顔で口を開いた。

「そうね……はい。でも、逆に皆は色彩魔術に興味はない? 戦闘に使えない見世物だって批判はあるけど、とても美しくて夢のある技術よ。それだって疑問に思ったハイネ・”インテンスバイオレット”・ストラスブールが『フローリッシュ』っていう攻撃魔法を編み出したわ。これは禁術になっていないし、原理は『レインボウ』より複雑だけど、無属性で扱いやすい面もあるんじゃないかしら?」

 夜空は顔を綻ばせ、フローレンスににじり寄った。

「いいね、そういう話のほうが建設的だ! 俺も使ってみたいし、色彩魔術の実際をぜひ見てみたいな。激光 (ジーグン) を教えられないのは残念だけど、よく考えたら俺の家にだって『風の歌』がある。これも実は秘曲なんだけど、絶えてしまうよりは広まってどこかに残ってるほうがいいに決まってるしね!」

 フローレンスはうなずきながら、夜空に初めての笑顔を見せる。

「『風の歌』って、もしかして夜空がハープで弾いていたあの術? あんな凄まじいイリュージョンを見せて攻撃までできるなんて凄いって、あたしはそっちに感動してたの! 被害が出ないように改良できれば、ショーでは引っ張りだこよ!」

 わだかまりは氷解し、夜空とフローレンスはすっかり意気投合して、魔術の芸術性について語り合いはじめた。アジャスタガルは笑いながらも真顔になって突っ込みを入れる。

「っつーかお前ら、授業中だぞ! 『風の歌』だの『フローリッシュ』だの……四の五の言わずまっすぐに『ファイアーチェイン』の皆伝までたどり着いてみやがれ!」

 ノエーミやジアースが笑いはじめ、夜空とフローレンスは互いに顔を赤らめた。話してみれば、彼女もまたアルカディア魔法大学の女学生らしく、男子顔負けに才気走った一人の野心家であった。彼女の表情は目に見えて明るくなり、夜空は手ごたえを感じた。

 たっぷり半刻も居残って、学生陣は講義室Bを後にした。昼食時なのをいいことに、夜空は大食堂にフローレンスを連れ出し、目についた女子の同胞や友人を片っ端から紹介して回った。希望と言う名の光芒ほど人を陽気に誘うものはない。フローレンスは誰に対しても丁寧に挨拶をし、野辺の花を使った小奇術を見せて話題を作り、女子に対しては自身のショーでの経歴をあえて伏せ、細かい気を配って交流に努めた。容姿の華やかさは勿論、知性と機転を愛されて、彼女はどのグループでもゲストとして歓迎された。ひと月近く孤独に喘いだ日々はどうやら終結の兆しを見せている。

 フローレンスからは別れ際、シリルについての詳細を聞くことができた。

「あの子の家は本当は赤派で、禁術の『レインボウ』を今も伝えてるの。シリルはだから激光 (ジーグン) の強力な赤光に魅入られてしまったんだと思うわ。ちょうど色合いも同じだし……」

 オープンテラスの縁石に座り込んで、まぶしげに木漏れ日を受けながら、彼女は細い眉をしかめる。

「昔は、穏健派の『青の主張』に賛同する心優しい男の子だったんだけどね……魔力選抜の順位があたしよりも高かったのが意外で、奢っているのかもしれない」

 ウィリアム・エヴァ・マリーベルがシリルを見捨てないのも、そういった美点を愛しているからかも知れなかった。夜空は二人のショーでの活躍に耳を傾け、美しい二人の子供が主役を張る幻の時間に思いをはせた。

 巧みな歌とリズムに乗って、傷一つない手指が編み出す不思議なからくり。薔薇やミモザの花びらが散り、ラベンダーの甘い香りに包まれた一時の蜃気楼だ。ビーズに飾られた衣装をまとい、歓声に応える瞬間の誇らしさ。ショーの終わりには、子供だけでなく大人までもが思い出を慕って彼らのマジックを宵の夢に見る。無名の人の憂さを慰める芸道の真の価値。

 フローレンスは当事者の確信をもって語り、夜空は異国で開催された愛らしいサーカスにひどく親しみをもった。

 フローレンスはとつぜん立ち上がると、色彩魔術の基本魔法を高らかに呼称詠唱した。 「『Colored』!」

 彼女が手のひらを空に向けると、とたんにセルリアンブルーの魔光が降り注ぎ、彼女を照らした。波、空、ちぎれる雲と昼下がり、通り過ぎる風。青い光の濃淡は揺れ、受け手によって異なる切れ切れのイメージを想起させる。

 ただの幻影か、それともダメージはあるのか。夜空は非常に興味をもった。

 フローレンスは胸に手をあてて祈るようにイリュージョンを終えると、決然と言った。

「これはただの見世物。中には笑う人もいるけど……多くの人の日々の悲しみを癒してきた。魔術は美の追求であり、誰かを傷つけるものであってはいけない。それが『青の主張』よ」

 彼女の横顔は、色彩魔術師としての誇りに満ちた頼もしいものであった。夜空は優しく背中を押した。

「最初はつまずいたかも知れないけど、みんな君が好きになるよ」
「ファンは足りてるわ。あたしが欲しいのは親身になってくれる友達。今日はその第一歩って気がする……夜空、ありがとう」

 彼女を大学内の付き合いの輪へと引きずり込むのは、スターの輝きに目が眩んでいたジョージやマルティンには不可能なことだった。

 夏の終わりへの愛惜は限りなく、去り行く高彩度の風景は人に強い印象を残す。急ぎ足でやってくる秋という季節に、寄り添いあう若い男女というのは似合いの遠景であった。ウィリアムの評のとおり、夜空はあまりに無邪気であって、自分たちが周りからどう思われるかは分かっていなかったのである。

(1-7につづく)