万聖節の夜物語 アルカディア魔法大学逃亡編(1-4)

第二章

13

 入学式の翌日から授業が始まった。夜空たちはクラウス殿下の近侍として、なるべく同じ授業を受講することになった。学生たちは所属属性塔の『魔法学基礎』のほかに、別属性の同名授業を最低一つは受講しなくてはならない。クラウス殿下自身の属性や魔力量自体は非公開であったが、彼は夜空が提案した『炎属性魔法学基礎1』にことさら興味を示した。『炎属性魔法学基礎1』は炎属性魔法の基本最小詠唱の歴史と、炎の自然現象としての特質を理解するための基礎科学実験を扱う。クラウス殿下は実験を体験してみたいらしく、先輩に心得を聞いたり、事前に闇塔で実験器具を見学させてもらったりと準備に怠りなかった。侍従だけは「実験器具など王宮でいくらでも殿下おひとりのためにご用意いたしますのに……」と不満顔であったが。

 授業開始日もまた晴天に恵まれた。闇属性の新入生たちが実験室に姿を現すと、王権への畏れで雑談も一瞬は不自然に止んだが、そのうち学生たちも我慢しきれなくなり、喧噪が戻ってきた。

 雑然とした雰囲気の中、夜空に話しかけてくる女学生がいた。すでに式典は終わったのに、学生の正装たるケープを身に着け、襟元には六芒星のエムブレムを付けている。

「あなたが祈月夜空? 私は、ヘクサグラムカース・マーズ家の次期当主、ジャクリーン。父上や伯父様たちから実技試験について聞いたわ。多属性反応があるってことも……」  少女は眼鏡をかけていた。ボリュームのある黒いロングヘアからはぴょこりと猫耳がのぞく。おしゃれよりは学問、といった感じで生真面目そうだ。同じ意匠のエンブレムをつけた少年たちも傍らに何人か控えている。

「私たちヘクサグラムカース派は呪いの汎用魔術『カースワード』を発展させた属性呪縛術を専門としているの。実技試験でも父上たちが結界を出力していたでしょ? 複数で術を行うから、多属性を操れる人材は大歓迎なのよ。よかったら、これから私たちの派閥として一緒に学んでいかない?」

 思ってもみない誘いに、女好きのバラデュールが色めき立った。

「おい夜空。さっそくの御指名だぞ!? あの、僕も一応は多属性反応なんだよね、良かったらこれを機にお近づきになれないかなあ……!」

 夜空も快くうなずき、より詳しい説明を受けようとすると、不機嫌そうな声が飛んだ。

「なんで、そんなやつらと仲良くしてあげるの? 彼はロンシャンマフィアの一味で、闇塔は死霊術や暗殺を扱う汚らわしい場所だよ。ボクの色彩魔術には絶対入れたくないね」

 腕組みをしたシリル・クール・ド・リュミエールが無知なる強みで夜空たちをまとめて嘲ったのだ。あまりの言われように、黙っていたジアースが食ってかかる。

「テメー、何をいきなり喧嘩売ってんだよ! 色彩だろうが呪いだろうが、魔術師なんか全員同じ、使われの傭兵だろ。マフィアだ暗殺者だって、お綺麗な顔したやつらに見下されたくなんかないね!」
「ジアース、抑えて。ええと……まだ俺たちも日が浅いから何とも言えないけど、闇塔にいるからってそういう術を学ぶというのは偏見じゃないかな」

 夜空は理を説いたつもりであったが、シリルも従姉のフローレンスも聞き入れはしなかった。ジャクリーンと仲間たちは実技試験の顛末を知っているらしくシリルたちをにらんだが、歓談はそれで波が引くように終わってしまった。衆目が集まる。夜空はクラウス殿下を憚って自分からその場を引きさがった。

「……殿下の御前だ。ごめん海英 (ハイィン) 、あとは宜しく」

 人気のない廊下に出て、エントランスホールまで歩いていく。激昂したジアースも音もなくついてきていた。ジアースはマリーベルよりも濃い緑眼をした猫亜種の少年で、黒髪のウェーブヘアを結って肩に流している。日ごろターバンを外すことはなく、浅黒い肌もあって中東系の特徴が強い。これまでも会話自体はあったものの、素性を詳しくは知らなかった。ジアースはつまらなそうに聞いてくる。

「……ロンシャンマフィアの一味って本当なのか?」
「ボスはマフィアなんかじゃないよ」

 夜空もとうにこの質問の処し方を覚えてきていた。ヨハネス・ゴールドベルク氏は大統領だ。裏の組織とのつながりは『あるわけがない』。全てを知っていてもそう言うしかない場面というのは確かにあるのだった。ジアースは首をかしげて夜空を眺め、ぶっきらぼうにつぶやいた。

「ジアース・ヘイサム・シャケルドゥースト十三世」
「ん? 何? どうしたの?」
「正式名称。俺は十三代目なの。ここで汎用魔法を学んだら……俺は教団の暗殺者になる」

 夜空は突然の打ち明け話に鳥肌を立たせ、周囲を軽く警戒しながら声を潜めた。

「人を殺したことなんてまだないでしょ?」
「まぁね。手伝いくらいはあるけど。汚らわしかろうが何だろうが、どうだっていい。ちゃんと遂行できればいい。お前だって同じでしょ?」
「……いや、俺はそういう稼業にはつきたくないよ。だけど、ジアースだって自分から志願してるわけじゃないんでしょう?」
「はっ、取り込もうってか? 自分から志願なんて……あり得るわけないだろ。そこまでブッ壊れちゃいないよ。そんなのは殺人狂の言い訳。ただの仕事だよ……そういう風に割り切れないから、百年足らずで十三代なんて莫大な数字になっちゃうんだよ」

 ジアースの告白の内容は実に物騒であったが、夜空はそういった話に慣れてもいた。ロンシャンでの生活でも、ゴーストから制服を着た公共の職員を指し示され「あの男はヒットマンだ」とささやかれたことがあった。日ノ本時代にもまた、誘拐のため呪師を派遣されたことがある。だが、夜空は使い捨ての下手人よりは首謀者に怒りを覚える性質であったし、思うところもあってジアースの正体をそしる気にはならなかった。ジアースは自嘲すると一転、しょぼくれた風情で愚痴をこぼした。

「……俺にはどうせ殿下の傍付きなんて似合わないからさ」
「そんなのは違うよ。ともかく、別の授業を捜さなきゃ。俺だって炎属性の魔法はできるようになりたいし……」

 夜空とジアースはエントランスから事務室に入り、代替授業について職員に聞いてみた。職員は辞書なみに分厚いシラバスを繰って、講義室Bに向かうよう教えてくれた。上階に足を向けると、ジアースはわざとらしく口調をやわらげた。

「まっ、お前についてってやるか! これは貸しだぜ?」
「どうも。ええと、マスターは……『永遠の炎』アジャスタガル」

 夜空は多少緊張しながら講義室Bのドアを開ける。『炎属性魔法学基礎3』と号されたその授業には、あまり新入生も集まっていない。三白眼の猫亜種のマスターが、真紅のマントという派手ないで立ちで出迎える。

「あ? 新顔か? 初日から遅刻とはとんだ大物だな……」
「申し訳ございません。『炎属性魔法学基礎1』の方を受講できなくなってしまいました。こちらを事務で紹介されたのですが、俺たちも共に学ばせていただければと思います」
「人数超過か? だと、まだ増える可能性があるか。まったく、ファイアーボルトゼミは休講中だし今年は俺たちが貧乏くじかよ……ノエーミさん! 一番乗りだからリーダーやってくれ!」
「わかりました」

 低めの柔らかな声がした。会議室型に整えられた教室には、闇塔の同級生である先客、バールドシュ・ノエーミがいた。……そういえば、彼女からは別の授業を受講すると伝えられていたのだった。ジアースは憧れの女性との対面に黒い尻尾をびくつかせ、固まっている。夜空はとっさに気を廻した。

「まだノエーミとはあまり話していなかったよね。俺は祈月夜空、天山出身のロンシャン人だ。殿下とはルームメイト。こっちは、ジアース・シャケルドゥースト。一人部屋になった子だよ。出身は……ええと」
「ペ、ペルージア。うん。実験よりは戦闘主体のほうがいいかなって俺も思ってたんだよね! 俺、将来戦士になる予定だし」
「私は将来父親の書店を継ぐつもりです。でも少しでも戦闘が出来た方がいいでしょう? 魔力が少ないから、実験で使うよりは現実的に役立てたいとも思いました。バールドシュ・ノエーミです」

 ノエーミはトーティの毛柄も艶やかな猫亜種で、アッシュ系のロングヘアをルーズにまとめ、化粧もばっちりの大人っぽい美女だ。名簿を作るため、紙片に名前を書くよう勧めてくる。彼女は夜空の漢字に目をとめた。

「これは、漢字?」
「正しいスペルで書いておかないとね」
「私の名も漢字で書けるでしょうか?」
「音表記でいいなら」

 夜空は請け負って名だけを書いてやった。ジアースも珍しいのか目を見張っている。

「……乃絵美。では夜空への書簡には必ずそう署名します」

 美しいオリーブ色の瞳を瞬かせながら、ノエーミは思わせぶりに約束した。

「ジアースのも書いてあげようか? 『慈明日』とかどうかな? 慈しみ深い明日って意味」
「俺も夜空への手紙にはそう書こうかな?」
「それがいいですよ。殿下のお傍では何が起こるか分かりません」
「……ああ、全員闇塔の新入生か。ってオイ! 何で今年は炎属性本性がひとりもいないんだよ!? これじゃ話にならねえ、お前ら! 見せてやれ、可愛い己の『炎の蛇』を……!」

 会話を聞いていたアジャスタガルはほくそ笑み、自らのむき出しの腕に炎の鎖を何重にも巻き付けてみせた。後ろの席にたむろしていた先輩とおぼしき者たちもゆらりと立上り、師に倣う。本当に蛇のように造形する者、それを首に巻き付ける者、上半身を這わせる者と、多彩な芸が披露された。みな、薄気味悪い笑みを浮かべ、陰気な雰囲気が漂っている。しかし、反抗のつもりなのかはたまた気乗りしないのか、指にちょこんと炎の糸を巻いただけの太り気味の男子はアジャスタガルに目ざとく見つかり、きつい魔術仕置きを受けた。

「バカ野郎! ホーソン! お前はいつも甘えんだよ! 炎の蛇よ、食らいつけ! ファイアーチェイン!」
「あつつつつつつ、やめてくださいよアジャスタガル先生! だってボクファイアーボルトゼミ所属なのにいつも酷すぎなんですよ! 熱ッ! 熱いを越えて痛ッッ!」

 薄着だった男子は全身を炎の蛇に巻きつかれもがいた。リーダー格と思しきターバン姿の先輩が真剣な顔で夜空たちに教えを授ける。

「この術は捕縛にも使える。卑怯と謗る者もいるが、必勝級の大魔法だ」
「俺、頑張って習得します!!」

 ジアースは神妙に居住まいを正した。師匠は二、三度締め付けて弟子を解放する。意外なことに、他のメンバーは率先して彼の火傷を癒してやっていた。アジャスタガルが甘いと叱りつけるが、怒号もあまり本気ではない。

「というか、お前らさすがに炎属性反応はあるんだよな? 以前、ないのに受講しようとしたやつがいるが……うちはこのとおり実戦主義だ。座学だけならやっぱりルーチェゼミの方がいいと思うぞ。ファイアーボルトゼミが休講してなけりゃ、そっちを紹介するんだが……」
「俺はありました」「俺も大丈夫」「私は闇と炎だけです」
「ノエーミさん、一応注意しとくが、マジシャンたるもの自分の属性系をそうホイホイ全部明かしちゃいけない。……戦術に関わる。さて、基本最小詠唱のイグニス、それからファイアーボール、ファイアーウォール、ファイアーボルト、ファイアブラスト、本来ならそこまで皆伝になってからファイアーチェインを習うんだが、覚悟してもらわないといけないことがある!」

 マスター・アジャスタガルは再度無骨な左腕を高くかかげ、痣だらけの膚に精巧な炎の蛇を巻き付かせた。鋭い瞳はなかば座っている。

「皮膚組織が焼け付く温度、どの程度ならば致命傷か、火傷ができるのはどこからか……他属性の術師に凍らせられたり、吹き消されたりしないためには? どこが急所で、どこを縛れば効果大か、やりすぎて殺しちまうか、それとも抜けられるか。精緻なコントロールには、己が身をもってしての地道な修行が必要だ。他人相手ってほうがあり得ないだろ!?」
「ざ、罪人みたいですね。俺、痕が残るのはちょっとな……」
「そうそう! ボクもそう思ってたよ夜空クン! 君とは仲良くなれそうだ!」

 夜空が正直に懸念を口にすると、先ほど仕置きを受けたファイアーボルトゼミ生が尻馬に乗ってきた。アジャスタガルはこめかみをひくつかせる。

「いきなりかよ! その修行をしなければ扱いきれない術だと言ってるんだ! それとな、もう一つ! 重要な取り決めがある」
「私も恐ろしいとは思ってます、まだあるんですか?」

 ノエーミも恐々として尋ねた。アジャスタガルは呼吸を整え、多少気を取り直して諭した。

「俺の授業やゼミでは、決闘は禁止だ。アルカディアにはまだその風習が残ってるのは聞いてるだろう? ……哀しいことだが、卒業後、後ろ暗い道に足踏み入れる奴もいる。技の特性上、どうしようもないのかもしれないな。だからせめてここだけは安心できる場所であってほしいと思ってるんだよ。つまり夜空が入学式で言った『第二の故郷』ってやつだな……」
「マスター・アジャスタガル……!」

 鼻の下を拳でこすり、照れくさそうに告げるアジャスタガルの話は、新入生の若い胸にも染み入るものがあった。その句を誓った夜空自身にはひとしおである。一見暗そうに見えた先輩たちも快く微笑み、麗しい歓迎の図が完成しそうになった。しかし、アジャスタガルは湿っぽさを嫌ってか、即座に全員にガミガミ号令した。

「新入生全員起立! ほら立て即だろ縛り付けるぞ!? 大体なあ、ただでさえ闇本性で火力がないうえに肌に痕が残る修行は嫌ですぅ~なんてありえないんだよ! 新入生は根性からまず叩き直す! 今後、講義日は早朝に実戦修行を行う! 初回のみ、ホーソン! お前ついてこい!」
「あっ、まぁボクそういうオチになると思ってました」

 やり玉に挙げられていたファイアーボルトゼミ出身生はがっくりと肩を落とし、他の先輩たちも笑いはじめる。残り時間は講義がみっちりと詰め込まれ、夜空たちの初授業は波乱の中終わりを迎えた。

14

 一時限目を終えた夜空たちは、その足で大食堂に向かっていた。賄いの若造から、トマトとチーズを挟んだ丸パンにミルク、それにアップルキャベツのスープを添えた定食を支給され、空席を探していると、庭園に面したオープンテラスにウィリアムがひとりで座っていた。夜空とジアースはさっそく相席を頼んだ。

 顛末を話すと、ウィリアムは渋い顔をした。

「……それで? 結局来週早朝から実戦修行になったのか」
「うん。魔物と戦うなんて初めてだよ。俺、平気かなぁ~? ハープは実戦に向かなそうだし、他はマギカぐらいしかないや」
「俺も魔法で魔物を倒したことない。ホーソン先輩も来るとは言ってるけど……」
「私は修道院で退魔術を学んだからいいが、君たちはほぼ素人だろう? 引率の先輩も一人だなんて……そんなことで平気なのか?」
「俺とジアースはともかく、ノエーミは魔物なんかあまり見たこともないみたいだね。先生も何人か来るみたいだけど、彼女は俺たちで守らないとな」
「心配だな、私も行く」

 夏のきらめきの中、金髪を涼しく透けさせて、ウィリアムが言った。夜空は本心ではとても嬉しいのだったが、それでも遠慮があった。

「でも君は別の授業を取るんだろう? それに危険だよ」
「君たちだけに任せるほうが心もとない。修道院では何度もアンデッド退治に出たことがあるんだ。それにここの魔物は強力だと聞くぞ」
「……夜空、素直に助けてもらおうぜ。俺も剣術はできるけど、魔法はまだからっきしだし。戦力は多いほどいいよ」
「それは……そうだけど。ウィリアムごめん、初回だけでも来てくれると助かる」
「わかった。話を通しておいてくれ」

 パンをかじりつつ、周囲を見渡すと、先ほどの自分たちと同じようにきょろきょろと空席を探す知った顔がいた。軍服を着た灰狼亜種の男、アレクセイ・パーブロヴィチ・ヴェルシーニンだ。背中にはどんよりした亡霊まで背負っている。

 このテーブルは四人掛けだ。夜空は手を振って「ヴェルシーニン!」と彼を呼んだ。彼は夜空たちに気が付くと、定食のトレイを持ったまま無言で空席に座った。クラウス殿下が同行していないなら構わぬと踏んだのだろう。夜空も同じ気持ちだった。

「感謝する。祈月夜空殿」
「あ、夜空でいいよ。俺こそ、従属宣言を譲ってくれてありがとう。本当に光栄だったよ。故郷の父も知ったら喜んでくれると思う」
「俺はクラウスでなければ誰でもよかったが……ああ、シリルもまずいか。従属宣言はあれで良かったと思うぞ。仰々しい麗句よりも退屈でない」

 夜空は自身の演説を覚えていてくれたことに感激し、ヴェルシーニンに丁寧に頭を下げた。彼もその礼を受け、しばらく黙々と食事をした。夜空は丸パンが平らげられたころを見計らって、マスター・アジャスタガルに決闘禁止を言い渡されたこと、敵国同士という事情は理解しつつも、在学中の衝突は避けるよう動きたいと思っていることを告げた。ヴェルシーニンにはスープをすすりながら相槌をうつ。

「分かった。夜空はそう考えているということだな」
「うーんと、一応、ロンシャンはそういう立場だととってくれていいと思う。大麗 (ダイリー) からの留学生たちについても、責任もって見守らなきゃいけないし」
「そだな、俺たち殿下に仕えるようには言われたけど、別に王国の人間じゃねーし……そっちから攻撃するっていうなら立ち向かわないといけないけどさ」

 ジアースも同調する。ヴェルシーニンも食事の手を一休みして答えた。

「俺は今のところそんな気はない。それをしないという契約での入学だからな。開戦の導火線となるのも今のところごめんだ。状況は分かった。これからも委細報告してくれ」

 夜空が請け負うと、ヴェルシーニンは身を乗り出してきた。

「しかし、祈月氏というのはどんな一族なんだ? ヒョウガ・アイスバーグ先生から、日ノ本の軍事貴族だと聞いた。ルーシャンとは間にモロク王国を挟むが、知見を増やしておきたい」
「あははー……すっごい長くなるよ!」

 夜空はそう前置きして、存分に語り始めた。六代前、厳帝には三人の狼亜種の息子がいた……長男は白狼、夜空たちの直接の父祖である嘉徳親王。心優しい日継の皇子であったが、『風の歌』を皇帝のいます御所、清星殿で弾いて、持ち前の魔力で調度をめちゃくちゃに乱したがゆえに、夷敵討伐を命じられた。

 次男の黒狼、のちの永帝となる玲玉親王が補佐につき、三男の灰狼、現皇統である銀芭親王は留守居であった。天山の春夏秋冬の離宮は嘉徳親王率いる官製の音響術により平定されたが、親王は帝位につくことを憚り、弟玲玉に位を譲り、春宮に隠居した。その直系子孫がのちに四代目で祈月という姓を賜った、夜空の家柄である。ヴェルシーニンは荒唐無稽な話にも納得がいったようだった。

「どこも魔術軍の始まりは似たようなものだな……俺の一族も王族の出なんだ。じゃあ、日ノ本の魔術軍将級の家柄ってことか」
「まあ没落貴族だけどね。父は従四位まですぐに上がられたけど、俺は幼いころに日ノ本を出たから、その後の情勢はわからない」

 二代目季徳、三代目正徳、四代目耀、そして五代目である父の源蔵と、来歴を続けていくことはできたが、夜空はヴェルシーニンの事情も多少知りたくなった。一番わかりやすいところから探りを入れていく。

「……貴殿に憑いている亡霊は高名な方なんでしょう?」

 ヴェルシーニンは椅子の背もたれに深く身を預ける。水を向けると、彼の背後にわだかまっていた亡霊はゆっくりと夜空のほうに迫って来た。

「鎮西将軍で、皇帝の異母弟だった。俺の祖父だ。どうも孫が心配らしくてな……」

 夜空は政治的云々を越え、純粋に武官の息子として、その功績に思いをはせて敬礼した。亡霊はどこかヴェルシーニンに似たいかめしい面影だけを印象づけ、やがて孫のほうに戻っていった。

「俺はルーシャンの正教で基本的な魔術教育を受けたのち、生ける大艦巨砲になるためここに入れられた。正教由来の魔術や家に伝わる秘伝だけでは不足らしい。クラウスを見るに、どこも内情は同じだな。やつは火山を操ると聞くが……俺の吹雪で凍らせられるだろうか」

 話がきな臭くなってきたので、夜空はあえて話題を引き戻した。

「俺は卒業したらこのままロンシャンの、ゴールドベルク様にお仕えするつもりだ」

 ヴェルシーニンはしげしげと夜空を眺めた。

「せっかくの皇族由来の高魔力を国外流出させるだと? 魔術軍ほど強大で維持が難しいものもないのに、明らかな将官レベルを? 本当なら日ノ本はばかげた国だと言うしかないな」
「だけど戻れるかは分からないし……」

 故国を謗られたが、夜空はすでに怒りもしなかった。無言でそれぞれ食事を済ませる。夜空の次の授業は、入試から何かと縁が深いヒョウガ・アイスバーグの講義だった。ヴェルシーニンも同じらしく、ジアースたちとは別れる。水属性塔まで続く小道で、ヴェルシーニンは夜空にそっと尋ねた。

「あの二人の素性について、わかる範囲で教えてくれないか」
「ああ、ジアースはペルージア出身。教団の戦士になる予定だって。ウィリアムはクイーンズアイランドのクライスト教信者で、修道院にいたのかな? 将来はバチカンに行って退魔軍に入りたいみたい」
「ジアースはいいが……ウィリアム・エヴァ・マリーベルというのは怪しくないか?」
「えっ? だって彼は佐野教授にやられた俺を救ってくれたんじゃ」

 冷たく伏し目になるヴェルシーニンの猜疑心に、夜空は絶句した。

「同志のユーリからはそう聞いたが、従属宣言の際にシリルと共に行動していただろう。双方にいい顔をしているということだ。彼は学長から言われて貴殿を監視しているんだな。なぜそんなに信用されている? 大学は一枚岩か? 反ロンシャンの密偵ではないのか? そのあたりの調べはどれだけ進んでいるんだ」
「……全然進んでない、というか、護衛についてくれてたキャラバンの魔術師と学校側に任せちゃった形だな。でもシリルはともかく、ウィリアムを疑うなんて、俺は考えもしなかったよ。反ロンシャンだなんて……そうなのかな」
「夜空。少々甘すぎるぞ」

 ヴェルシーニンは腕組みをしてゆらりと立った。短い金髪を刈り込み、上背もある彼にそうされると、かなりの威圧感があった。ばつの悪さを感じて、夜空も口ごもった。しょぼんと耳を伏せて言い訳をする。

「怪しいっていうのなら、俺の方がよほどだとも思うんだ。皇帝の子孫だなんて、自称するやつも多そうだし」
「たとえさっきの話がすべて嘘だろうが、大方ロンシャンの密偵で、首輪魔術師になるってとこだろう? そこはごまかしきれないぞ」
「うん、それはその通りです……君のことも、ロンシャンに報告しないといけないんだよ」
「構わない。それを前提として接する」

 ヴェルシーニンは冷たい瞳で了解した。夏の正午は照り返しがきつい。二人は少し歩調を早め、水塔へと急ぐ。

15

 アルカディア魔法大学水属性塔実技室には、ヒョウガ・アイスバーグ男爵の『氷属性魔術論基礎A』を受講せんとする新入生が集まっていた。教官たるヒョウガの姿まですでにあり、ヴェルシーニンは仲間とおぼしき巻き毛の青年のほうに行ってしまった。先に来ていた闇塔の同級生、ソフィア・リーフェンシュタールが夜空を手招きする。再び女子に呼ばれるはめになったが、今度は冷やかしは入らなかった。

「クラウス殿下は受講されないの?
」 「うん、殿下は海英《ハイィン》に任せてきた。俺とジアースは火属性はノエーミと同じ授業になった。先生もいい人そうだよ」
「そうなの? 私は炎属性系の反応はないからなぁ……殿下とはあまり授業も被らなそう」

 昼食のメニューなど、他愛のない世間話に興じていると、ヒョウガが顔ぶれを見回して皆に問いかけた。

「いないのはハインリヒか? 水塔所属生は初回必ず出席と義務付けたはずだが。このヒョウガ・アイスバーグに挨拶もしないつもりか」
「居場所は知りません」

 夜空のとなりに座ったメカクレの男子が淡泊に言い捨てる。ヒョウガは溜息をつくと、黒板に白墨で魔術式と詠唱を書き始めた。夜空は急いで手持ちの帳面に書き写す。ソフィアも慌ててペンを用意している。

「少々早いが、授業開始だ。みな大体水属性反応はあると思うが、凍るかどうかが問題だ。『Ice』の詠唱をするぞ! まずは夜空!」

 指名をされて、夜空は素直に立ち上がった。「水属性系の最小詠唱のちに、その雫を凍らせてみろ」と指示されたので、実技試験で習った『AQUA』を思い出しつつ指に水滴をまとわせ、続けて黒板に書いてあるとおりの氷結魔法を唱えた。

「四元素の根源たる水の元素よ応じたまえ、空気中に散乱するよるべなき身を冷却せしめ、溶けえぬ氷塊として永久に凝固したまえ、氷結魔法・ICE!」

 夜空の指先に小さな氷の宝石ができた。初めて唱える魔法の成功だ。手のひらでしばらくもてあそぶと、氷は水に戻っていった。

「ありがとうございました、詠唱は科学的な状態変化をありのまま述べているだけなんですね」
「これはほぼ基本最小詠唱に近いからな。では次! 女子三人! 覚えられなかったとは言わせないぞ」

 ソフィアとその隣に座ったたおやかな女子は互いに氷結を成功させて喜び合い、授業はしばし華やいだ。もう一人、ロングヘアの大人びた女子については、何の反応も起きなかった。彼女はさっぱりと笑った。

「今回は凍りませんか。でも人の可能性は無限。まだあきらめませんよ」

 隣に座ったメカクレ少年も『AQUA』で得た水を無事凍らせることができ、山場は過ぎたとばかりにどさりと椅子に倒れこんだ。最後にはヴェルシーニンの番が来た。彼は呼ばれるまでもなく立ち上がり、『AQUA』の下準備すらなしに氷結魔法を詠唱しはじめた。短い文句の途中から、すでに部屋の温度が段階的に下がっていくのが如実に感じ取れた。

「Идет снег《雪が降る》」

 最後にヴェルシーニンがそう言い添えると、部屋は急激に冷え込み、それどころか同級生たちの手足や髪まで霜が食らいつき、息をつくと白くけぶった。ソフィアはおののいて叫ぶことすらできないでいる。椅子やテーブルは完全に氷柱に閉じ込められた形になり、実技室は極寒の氷室と化した。

 ヴェルシーニンは黙って凍った椅子に座った。他者への関心がまるで抜け落ちたと思われるようなくすんだ瞳の色だった。

 教官のヒョウガもとくに学生を気にかけず、霜の張った黒板をコンコンと叩いて講釈を続けた。

「このように氷属性反応経路がきわだっている者は基本最小詠唱に近い呪文であってもかなり強力な氷結現象を引き起こすことができる。さすがはルーシャンの士官候補生、最優秀だな」
「さ、最優秀だとか……そういう問題ではないと思います! アイスバーグ先生!」

 凍った手指を温めようと必死になっているソフィアが賛辞をはねつけた。夜空は揉め事になる気配を察し、手を上げて質問の体にあしらった。

「俺は医者志望です。このように強力な魔法で凍ってしまった場合、どう治癒すればいいでしょうか?」

 ヒョウガは令嬢たるソフィアの批判にも動じず、夜空のことも突き放した。

「……まあ、考えてみろ」
「夜空、どうするの?」
「うーんと……とりあえず、術式はあの黒板のものと同じだとすると、処理ひとつにつき反作用を示す式を書ければ、最終的には解呪できるはず。ヴェルシーニン、今唱えたのは『ICE』でいいんだよね? 最後に付け加えた文言は?」

 夜空はてきぱきと場を回しはじめ、頭の中で解呪式を作り上げ、それを唱えて自身の手指に喰いついた霜を落とした。教官の許可を得てそれを黒板に書き、ヴェルシーニンにも唱えてもらって、教室じゅうの氷を流水に戻してしまった。

「うん、ここまで出来て初めて、基本最小詠唱を習得したと言えるのかもしれないな。だが『AQUA』自体の解呪は非常に難しそうだ……どうして空気に戻っていかないんだろう?」
「それは自身の課題としろ。……今年の新入生は受け持つ価値があるようだな」

 実技試験以来遺恨のあったヒョウガからの誉め言葉は素直に嬉しかった。ヒョウガは長い銀髪をかきあげて告げる。

「今日の内容は繰り返さない。次回はテストだ」

 ヴェルシーニンとその友人は黒板の内容を帳面に写し終わると、さっさと退出していった。せっかく凍らせたものを溶かしてしまったので、多少気分を害したかと懸念にも思う。だが、しつこく追うようなことはせず、まずは仲間であるソフィアをいたわった。

「ソフィア、大丈夫? 指とか手とか、凍傷になったらまずいよ。救護室で見てもらう?」
「大丈夫。私、修道院でヒール習ってるから」

 ソフィアは首を横に振って、胸に手をあてて小さく詠唱をした。清らかな光が降り注ぎ、うやうやしく十字を切る。そして白魚の指を動かして、血が通っているかを確かめていた。夜空はいまだその術をもたない自分を恥じながら、他の学生たちにも声をかけて回った。メカクレ少年はヒールを希望し、ふたりに礼を言った。

 その少年の肩に手を置き、教授役のヒョウガもソフィアをねぎらう。

「夜空以外はアイゼンローズ共和国だな、私はヒョウガ・アイスバーグ。文字通りアイスバーグ領の人間だ。ソフィア嬢、すまないな。リーフェンシュタール殿はお変わりないか?」
「おかげ様で恙なく過ごしております」

 ソフィアは財閥令嬢という立場をここでもひけらかさず、つつましやかに応じた。ヒョウガも頭を垂れ、メカクレ少年に水を拭いておくよう言いつけて去った。少年はその気障ったらしい後ろ姿が見えなくなると、ようやく地を出して頭を抱えた。

「あーあ、ツイてない……ジェニーたちも速攻でいなくなっちゃうし、結局僕が後片付けかぁ」
「はは、君は水塔の所属生なの? 俺は祈月夜空。こちらはソフィア・リーフェンシュタール。そういえば、自己紹介がなかったね」
「あっ、あのっ。私、次すぐに授業があるからっ!」
「大丈夫です。他塔の女子に雑用なんてさせられないから」
「ち、違うの! 授業があるのはホントで……次は聖塔で神学なの!」
「ソフィア。いいよ。次、空いてるから、俺が手伝う」
「ごめん夜空! ありがとう!」

 案外とちゃっかりしているもので、ソフィアはばたばたと荷物を片付けると、教室を去っていってしまった。少年は、クリストフ・アイフェン・ホルツメーラーと名のった。

「大体みんなクリスかアイフェンって呼ぶ。アイフェンって親が管理してる国有の自然公園にある火山湖のことなんだけどさ、なんか水塔って『ラインの支流』とか『パニャニャックの泉』とか、やたら地名を名乗りたがるんだよね。ヒョウガ男爵もそうでしょ、アイスバーグって領地だし。だから、ここ式で言うと『アイフェン』になっちゃうのかも」 「うん、じゃあアイフェン」
「火山湖、有毒だからホントはやなんだけどね!」

 備え付けのモップや雑巾で大量の魔素水を拭いていると、いきなりアイフェンの背に巨大な水球があびせかけられた。場所柄、魔法で起こしたものだろう。戸口を睨むと、髪をつんつん跳ねさせた気の強そうな犬亜種の少年が立っていた。

「ハッ、平民は初日から居残って掃除かよ。やっぱりヒョウガの授業には参加しなくて正解だったな」
「何をするんだ! いきなり無礼だぞ!」

 夜空がアイフェンをかばって対峙すると、少年はじろりと夜空を爪先から頭まで眺めまわした。

「魔力選抜三位の従属宣言サマか」
「……二位だったはずだけど」
「クラウス殿下が圏外だろ。お前はそれより下だよ」

 あからさまな挑発だったが、夜空はその序列を素直に受け取めることができた。むしろその順序を秘匿されているクラウス殿下は内心悔しいだろう。

「そうか。自惚れないよう気を付ける」

 うなずきつつも、アイフェンを背中に庇ってじっと睨みあいを続けた。アイフェンは片づけを巻き気味で終えて逃げるように教室を出て行く。夜空もさっと後を追った。

「さっきのは、誰?」
「同室のハインリヒ。ヒョウガ先生がサボリだって怒ってたでしょ? ホントあいつ大嫌い。自分ちは魔方陣屋だって初対面から威張っててさ。僕だって地元じゃ魔力一番の秀才だったよ。あいつが魔力選抜十六番、大麗人が十七番。色彩魔術のシリルがそれに続いて僕はその次の十九番。でもそんなの大した差じゃないのに……」

 実技入試での魔力選抜というのは、学生間ではなかなかセンシティブな話題のようだ。夜空は返答に困り、とりあえずアジャスタガルの実戦修行にアイフェンも誘ってみた。

「でもハインリヒは今日は、『ICE』も解呪も習えなかったわけだし、ヒョウガ先生だってもう君の方を頼りにしてる。悔しかったら、鍛錬してその差をひっくり返さない? 炎塔に面白い先生がいてさ、ファイアーチェインって技を使うんだけど、面倒見もよさそうだよ。来週のこの曜日、五時半にゴント山の登山口集合って言われてる。ちゃんとヒールが使える助っ人も呼んであるから」
「……でも僕、炎属性反応なかったよ。それでもいいのかな?」 「うーん、ウィリアムも飛び入り参加だし、二人まとめて断るってことはないと思うけどなあ……」 「考えとく。あと本当は僕も次、土属性塔での授業だったんだ」 「えっ、本当に? 言ってくれれば俺、代わったのに」 「……でも、別の同名授業受ければいいしね。じゃあね、これからよろしく」

 アイフェンは見た目通りかなり押しの弱い学生のようだ。あっさり別れると、夜空は手帳で時間割を確かめ、根城の闇属性寮へと戻った。

16

 夏の夜は開けていて、窓枠ごしに誘われるままどこまでも飛んでいってしまえそうだ。天の川が乳白色にけぶって、まだ誰もが起きているだろうとおぼしき明るい晩だった。壁に取り付けられた鉱石ランプは煌々と輝き、夜空のデスクに置かれた燭台にも羽虫が寄って、炎の揺らめきのもとに小さな影絵を落としている。夜空は窓際のデスクでロンシャンへの手紙を綴っていた。クラウス殿下は二段ベッドの下に坐って、剣を手入れしている。  ヘクサグラムカースの流派への誘い、シリルからの妨害、アジャスタガルとの出会い、ヴェルシーニンの懸念、ヒョウガの授業での解呪騒ぎに最後は闇塔での必修魔法学と、詰め込みすぎの一日であった。従叔父・結城疾風の博論についてはアルカディア側も納得してくれたようだが、自分にはロンシャンからの留学生として大麗 (ダイリー) の二人を補佐する役目があるから、報告は欠かせない。本来ならテレパスが通じる場所を探して、ピアスで口頭連絡すればよかったが、図書館長に没収されていた。

 ところが……いざ書き終えて便箋に署名をしても、誰に宛てるかが判然としなかった。

 闇塔にはロンシャン出資の流通組織、シャドウウォーカーのマスター・ヨナが常駐しているため、彼女に託せば誰かには届くだろう。だが、よく考えてみればロンシャンには身寄りがない。エリスもゴーストも本名を知らないし、サンド・シーでは迷惑になる。かといって、こんな些末な手紙をゴールドベルク氏に宛てるわけにはいかなかった。

 とりあえず、新田士貴の名が浮かぶ。ジェネラルを出て軍に勤めるまでは一緒に暮らしていたし、居所も確かだ。手紙を書くべき人物が一人しかいない事実に直面した夜空はおのが孤独にしばし呆然としてしまった。

「……ねえ、何やってるの?」

 のんびりとした声が呼びかけてきた。クラウス殿下だ。まだ就寝時間には早く、お付きは別邸で寝起きするので、むしろ王宮よりも暇があるらしい。夜空は笑顔を作ってロンシャンへの手紙を隠しもせずに見せた。殿下に不利になるような内容は何も書いてないはずだ。

「ロンシャンへ手紙を書いています。ただ、俺はあそこに家族がいないから……誰に宛てたものかと思って」 「それじゃあ困るじゃない」

 殿下はベッドから立ち上がって佩刀のまま近づいてきた。夜空は士貴について説明する。夜空のロンシャン亡命の報を聞いた新田という神社が、祈月に恩を売るために付き人にと送ってきてしまった人物だ。夜空より一歳年下で、売り物の奴隷とともに連れて来られた。しかし大学にやる金はなく、すぐ軍に就職させてしまったのであった。殿下は士貴その人のことよりもロンシャンの暮らしに興味があるらしく、突っ込んで聞いてきた。

「ロンシャンの教育とはどうなっているの?」 「ロンシャンでは、市民層に生まれた者は十五歳まで無償教育です。後の選別が大変ではあるけど、努力すればその分身に付きます。十五歳の卒業年齢になると統一試験があって、今までの成績と合わせてジェネラルスコアとして付与されます。それが卒業証書であり、一生付きまとうスティグマ、かな……」 「そうなのか。大学はどうなっているのかな」 「国立大学は二種類あって、簡単に言えば実学のアカデミーと、人文社会学のユニベルシテ。科学や魔法の技術関係はポリテクニクアカデミーで、その他の学問はイストワールユニベルシテでやるんです。ロンシャン市民は、崩壊後の歴史を預かる民としてのプライドが高い。政治や文学もすべて歴史、『イストワール』として一括して学ぶんですよ」 「ロンシャンの歴史以外にも、たとえば我がハンガリアについて学べたりするの?」 「もちろん。俺もイストワールの学者に日ノ本について尋ねられたことがありますよ。とくに『大崩壊』前後の百年はロンシャンでは『禁域研究』になっていて、イストワールユニベルシテでしか学べないはず」 「それはあの有名な『太古炉の大崩壊』? 爆弾が世界各地にいっせいに落ちて、原子炉っていう魔素以前のエネルギー発生機が大暴走したとかいう……」 「……そして我々作られし亜人ホモ・ファシウスは汚染に耐えられなかったホモ・サピエンスにとって代わった」

 夜空はばっさりと言い捨てた。クラウス殿下も真剣なまなざしで聞き入っている。

「そのあたりの歴史って下々には浸透していないこともあるよね。大戦で史書が失われて、神話的説明に堕してしまっていたり。ホモ・サピエンスなんていなかったとか、聖書さえ読めば看破できるような嘘が流布していることすらあるらしくて……。魔法よりもこういう話のほうが面白いよ。あーあ、ロンシャンのイストワールの教授をここに呼び出せたらなあ……」

 殿下はそうつぶやいて窓枠を掴み、空を眺めて遥かなる国家に思いをはせた。夜空はようやく本日の振り返りをする気になった。

「本日、授業はどうでしたか? あの後、シリルたちに絡まれたりは?」

 殿下は首を横に振る。

「いや、彼が予を批判するいわれはないでしょう。ヘクサグラムカースの家の者たちも守ってくれたよ。夜空たちは?」

 アジャスタガルの授業について教え、修行についても誘ってみたが、気が乗らないようだった。『決闘禁止』の申し送りについても了解をとり、また、仇敵であるヴェルシーニンについても話が及んだ。クラウスは夜空を振り返らずに問いかける。

「アレクセイ・ヴェルシーニンをどう思った? 率直に答えてほしい。予に勝っていると思うか?」

 鷹揚な声は何気なさを装っていたが、重大な問いであった。夜空は正直な気持ちを口にした。

「彼は慎重で疑り深く、氷の魔法も非常に強力で、有能そうでした……たしかに優れた人物だと思うけれど、王子のほうが人間として好きです。魔力選抜の順位だって王国に配慮して非公開なだけで、俺よりも上なんですよ。油断なく行きましょう」

 ここでクラウスが愚かな人物であれば、ライヴァルを褒めた夜空にそれだけで隔意を抱くところである。しかし、一か月近くにわたる共同生活で、クラウス殿下は家臣が思っているほど頼りない人物ではないことが皆に知れていた。

 力仕事も、女性にさせるぐらいならばと兵とともに取り組んでいたし、王族らしく身づくろいも丁寧で、軽薄な振る舞いはない。武芸よりは書物に親しんでいるほうが性に合うらしいが、いざ武器を持たせると、夜空ではとても受けきれないような重厚な剣技を披露した。あらゆるものに恵まれ、武芸も魔力も一線級の王子様は、恥ずかしそうに笑った。

「予はね、叔父王や父からは侮られているんだ。覇気が足りない、戦に出るのが怖いんだろうって……本当は戦は嫌だよ。調略だとか仰角計算とか、そんなことよりも内政をしたい。国土を豊かにし、連合王国の主として、傷ついた民をいたわりたい。だから本当は、魔法大学よりもロンシャンに行ってみたかったな。だけど王族の魔法攻撃が強烈であればあるほど、戦争の切り札になるからね。ままならないものだ」

 夜空はじっくりと聞き入って、挑戦的に言った。

「切り札は、抑止力とも言いかえられます。王子は優れた人物ですから、ヴェルシーニンたちだって再度の開戦には二の足を踏むはず。それに、どこの世でも父親は息子の出来を嘆くものですよ。俺なんか、父上にはとんだ放蕩息子と思われていた。なぜか手を上げられたことはないんだけど……」

 クラウス殿下は首をかしげた。

「もし日ノ本に帰れたら継ぐの?」

 夜空は初めて、殿下の前で寂しげな笑みを浮かべた。

「ゴールドベルク氏には恩があります。祖国からも離れて長い。ここアルカディア魔法大学を出たら、ロンシャンで生きていきたいと考えています」

 殿下は心配そうに身をのりだした。

「父君に逢いたいと思うことは?」

 夜空は少し考え込む。

 父親は常に軍務で忙しかったが、皇族の末裔としてどうしてもと、祈月の旋律『風の歌』だけは手づから教えてくれたのだった。「『風の歌』を屋内で弾くな」という掟をかたくなに守った父は、ある晴れた日に、他の側近の諫めも聞かずに、夜空の守役の夏目雅だけを供につけて山に入った。節くれだった無骨な手がハープをかき鳴らし、底深い青空に透明な爽風がどんどん湧いてきて、感激したのを覚えている。今思えばそれが生まれて初めて目にした「魔法」だった。

 父の演奏は夜空よりも一音一音がくっきり粒だっていて、誇らしげだった。父は夜空を後ろから抱き、小さな指に手を添えて、ゆっくりと弦をはじかせた。何度も、何度も、確実に。祖母・さくらに似て身内には厳しい人だったが、皆が誉めそやす仁徳の人という評判は、正しくその通りだった。

 夜空は思い出にひたって、学習用机に立てかけてあったハープを小さくつま弾いた。天山皇室の秘曲、『風の歌』その主旋律。とたんに微風が起こり、殿下の金髪を軽くなびかせた。

「手紙を書けば届くでしょうか」

 クラウス殿下は窓の向こうに吹き抜けていった風の行方を見つめ、何気なく励ました。

「書いてみるのもいいんじゃない? シャドウウォーカーに頼めば、いつか届くかもしれないから」

 夜空はほがらかにうなずいた。

 ペンをしまって、寝支度を整えた。クラウス殿下は眠れないようで、就寝時間を過ぎてもまだロンシャンについて聞きたがった。見回りにきた先輩は注意もできず、諦め顔で去っていく。

 その後も授業は続いたが、志貴への手紙に追記すべき事項もなく日数は過ぎた。

(1-5につづく)