万聖節の夜物語 アルカディア魔法大学逃亡編(1-10)

第四章

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 それからの夜空は元のように快活になった。『ゴースト』からの要求にはあえて乗らなかった。ウィリアムやシスター・グラジオラスに餌を与えたくはなかったし、シャドウウォーカー支部にとどまっている彼らが起こす醜聞とは無縁でいたかったからだ。佐野教授の様子を見るに、闇塔では協議が行われているらしい。おそらく学園祭が終わったら、『ゴースト』がたずさえてきた金品を用い、学長へ何らかの働きかけをするのだろう。

 ヒョウガゼミではヴェルシーニンが闇塔の学園祭について詳細を聞いてきた。水塔は様々なフレーバーのアイスクリーム販売をするらしかった。夜空はクラウス殿下の詳細は伏せ、キャンディ・ツアーの宣伝をした。アジャスタガル随伴の戦闘訓練にも随分と熱が入った。

 クルシュタルト連合王国側の追及にも堂々と答えた。ウィリアムともめたのは、己が過去を罵られたからであり、学長側が刺客の嫌疑を晴らさず、監視をやめないからだと。それに、自分は『ゴースト』の脅しからは彼を逃がそうとした。悪びれずからりと言い切る夜空に、クラウス殿下は面食らっているようだった。

 一足飛びで学園祭当日がやってきた。夜空とソフィアはクラウス殿下とは反対ルートを割り当てられた。アルカディア島の北西、大通りからはずれたとある農場の一軒家が最終の目的地であった。ジャック・オー・ランタン片手に村を練り歩き、申し込みに当選した家にプレゼントを贈る。木造の家々は鮮やかなペンキで壁を塗られ、まさにおとぎ話の中の村と言ってさしつかえない素朴な楽しさがあった。子供たちは喜び勇み、老人たちからは回復魔法をねだられた。貴族のソフィアと護衛の夜空のコンビは行く先々でありがたがられた。

 時は夕暮れ。足の速い太陽はすでに没し、西の空は橙色に染まって時折り暗雲がかかる。影は不吉に長く伸び、視界は徐々に暗がりに溶けようとしていた。

 『かいつぶり通り』奥の村の東端に、その家はあった。目印として戸口にかぼちゃをくりぬいた提灯をかかげ、学院からの施しを待っている。

 この家にも子供がいるらしく、庭にそびえた大樹の枝にはブランコが揺れていた。夜空とソフィアは扉をたたき、中に入ると五人もの兄弟が歓迎のクラッカーを鳴らした。ここが最後の訪問なので、余った菓子もすべてやってしまい、野良仕事で腰を痛めたという家長には治癒魔法をかけてやった。奥方によるハーブティーのもてなしは断って帰路を急ぐ。

 子供たちに手を振りながら扉を閉めると、家に隣接した鳥小屋の脇から、二つの人影が飛び出してきた。犬亜種と狐亜種。退校寸前との噂のあるシリルとフェリックス・チェンだった。シリルはすでに剣を抜き、魔術師正装のケープを羽織って青ざめた表情をしている。ソフィアは恐れて家に駆けこもうとしたが、シリルが大声で呼ばわった。

「祈月夜空どので相違ないな。我はシリル・クール・ド・リュミエール。過日の遺恨を晴らすため、この場にて正式なる介添え人を立て、決闘を申し入れる!」
「……夜空、決闘なんて受けちゃダメよ。この家にまで迷惑がかかるわ」

 そう言い募るソフィアに、シリルはあろうことかフランベルジュの切っ先を向けた。

「財閥だろうが女だろうが、ボクの邪魔はさせない。失われた誇りを、取り戻す!」

 夜空は無言のまま首から下げた『新月刀』を取り出して、逆手に構えた。ロッドは腰に差したまま。そして、道行きの最初の障害となったもう一人の『カナリアのような少年』に、はじめて本気で向かい合った。

「了解した! 貴殿の色彩魔術師としての全力をかけて、この祈月にかかってこい!」

 言うが早いが、夜空は身を低くして『激光(ジーグン)』を放った。シリルは見越していたらしく、腰に下げていたネッカチーフをばっと広げて夜空の視界を奪おうとする。赤い光はジリリと布を焼き、花開くように舞った真紅のネッカチーフの中心から、フランベルジュの剣先が夜空の眉間に迫って来た。夜空は恐れず前まわりに受け身をとって突っ込み、絢爛な脇差の鞘を抜いた。

 藤、緋、白の組紐が鮮やかに流れる。

 まっすぐな刀身が白銀にひらめいて、決闘は瞬時に決着がついた。

 夜空は逆手にかまえた脇差で、立ち上がる勢いにまかせてシリルの喉元を狙ったのだ。掻っ切る速度はよどみなく、不格好にネッカチーフを貫いたフランベルジュは懐に入った敵に対しての切れ味を鈍くしていた。

 狙い通りシリルののどぼとけ、「アダムの林檎」を傷つけた夜空は、振り回される細剣を嘲るかのように、クラウチングスタートの形で膝を折り、地面をえぐる踏み込みで、背後までぐんと駆け抜ける。

 なびく黒髪。涼しげな軽蔑の目線。夜空はひらりと向き直り、脇差を水平に構えると、大きな瞳を平板に見開いて、冷酷な声色で告げた。

「『全魔力接収』!」
「よ、夜空の勝ちだわ! もうやめて!」

 紺碧のドレスに身を包んだソフィアが金切り声をあげる。負けを悟ったか、フェリックス・チェンがぱちりと指を鳴らした。すると、大樹の陰に身を隠していた本物の『カナリア』が現れた。

「……!」

 ソフィアは待ち伏せと包囲に気づき、声ならぬ声をあげた。フェリックス・チェンはシリルに駆け寄り、喉仏の傷をヒールで治療した。ウィリアム・エヴァ・マリーベルは真紅の魔石を象嵌したロザリオをかかげると、今までこっそり唱えていたとみられる長い詠唱を完成させた。

「‘al ken azab is azab ab et em dabaq issa haya ehad basar!」

 寸時、夜空は強烈な磁力に足首を強く引きずられた。腰を落とし、膝を手で押さえて何とか踏みとどまったが、何重もの黒い手が地面から伸ばされ、手に、二の腕に、すねに、かかとに、食人鬼の舌のようにのたうって絡みつく。

 もはや一対一の決闘ではありえない。そう悟ったソフィアは、自身もナイフ片手にウィリアムに立ち向かった。フェリックス・チェンが走り、ソフィアにタックルをかける。

 ウィリアムは動じもせずにロザリオに息を吹きかけて述べた。

「祝福のベルよ鳴り響け、今日は私の婚礼の日。愛しきその名はただひとり……祈月夜空、我が呪われし花嫁となれ!」

 とたんに地表から招く何重もの魔の手が、夜空の四肢に食い込んだ。ロザリオのビーズが一球ずつ紅くかがやく。呪いの完成を見届けて、ウィリアムは小さく言った。

「……学長命令だ、赦してくれ」

 身体中に悪意が食い込む。死者たちの嘆きと恐れと痛みが耳孔をつんざく。冷たい指が肌をつかみ、接点から呪いが徐々に染みて広がる。血管に間違った血を注がれたような強烈な毒素が魔素の回路を焼いていく。夜空は苦悶の呻きをあげたが、手にした脇差だけは離さなかった。傷を癒したシリルが顔を輝かせて切り込んでくるが、ウィリアムは短く別の詠唱をした。

「『ファイアーチェイン』! 炎の蛇よ、拘束せよ!」

 アジャスタガルの修行で教わっていた捕縛術であった。放たれた炎鎖は蛇のように旋回して、シリルのフランベルジュに巻き付いて武装を跳ね飛ばした。倒れたソフィアは混乱しつつも、フェリックスに目を向けた。そして負けじと呼称詠唱を行う。

「『アイシクル』! 急速冷凍、急速冷凍、急速冷凍……!」

 空気中の水分が一瞬で凝結し、氷の華が牙をむいてフェリックス・チェンに食らいつく。ウィリアムは夜空が投げ捨てた鞘を拾ってソフィアに投げた。ソフィアは組みひもを掴んでそれを受け取り、状況を見極めようとした。

「夜空を頼む!」

 ウィリアムの一言は寝返りを示唆していた。ソフィアはうなずき、氷結魔法を中断させると、魔手にもみくちゃにされてうずくまる夜空のもとに走った。『ヒール』をしても跳ね返される。ソフィアは歯ぎしりをしながら夜空の両手首をまとめ、根性で大通りの方面に引きずっていった。わだかまっていた黒い影は血痕のように点々と地面に取り残されていく。シリルが追おうとしたが、ウィリアムは再度その背に『ファイアーチェイン』を投げつけた。炎の蛇に首を絞められそうになり、つんのめったシリルが涙目で文句を言う。 「どうして、ウィリアム!」
「ソフィアには手を出すなと言われていたろう。夜空の命はどのみち短い。お望み通り、決闘は君の勝利だぞ」
「……本当だな? 夜空は『死と婚姻』したんだな?」

 フェリックス・チェンが憎々し気にウィリアムに詰め寄る。ウィリアムは悪党そのものの顔で笑った。

「疑わしいなら、私の『ヒール』を喰らってみるか? ざっと五十年は大人になれるぞ」

 騒ぎが済んだころ、背後で扉が開かれた。事前に示し合わせてあったのだろう、ウィリアムたち三人は農家に匿われ、厩から馬が飛ばされた。一方ソフィアは、大通りまでたどり着くと道行く人に助けを求めた。ハロウィーンの夜に出歩いていた民は多く、村長宅から荷車が出た。引きずられた夜空の肌には深く魔手の指紋が刻印され、高熱まで出ていた。『新月刀』だけを護符のように握りしめ、荷台でびくびくと痙攣している。ソフィアも荷台に乗り込み、スカートの膝をつかんだ手に強く力をこめていた。

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 闇塔まで担ぎ込まれた夜空は十階の保健室まで運ばれて行った。熱と痙攣で苦しんだものの、病状はほんの一刻程度で回復のきざしを見せた。世界樹治療室から派遣されてきた医師は汎用的な解呪法をひとしきり試し、強精材や万能薬が惜しみなく投与された。やがてジュリエッタ・ルナ・アルテミウスが深刻げな顔つきで現れた。闇塔の責任者であるダークメイジルームへの呼び出しだ。

 医師は呪いの危険性を説いて止めた。解呪しきれない以上、突如絶命する危険まであると。しかし、夜空は行くと言い張った。

「死ぬ危険があるのならなおさらです。その前に誤解を晴らしたい」

 夜空は尽き欠けている気力を奮い起こし、ジュリエッタの手も借りずに十三階ダークメイジルームまでの階段を昇ってみせた。貴賓室やラウンジが並ぶ廊下に人影はなかった。闇塔ダークメイジ、アントン・”ヴラド”・カルリーニ伯爵はステンドグラスがはめ込まれたドアにもたれてパイプ片手に待っていた。漆黒のマントに金のブローチをつけ、タキシードの盛装で、夜空の肩をたたく。

「襲われたばかりだというのにすまぬな。事は緊急を要する。入るぞ」

 両開きのドアを開け、絨毯敷きのダークメイジルームに足を踏み入れる。壁面にはガラスキャビネットが並び、壁にはガラハッド卿の雄姿や霧の魔女、また夜景を描いた浮世絵などが点々と飾られている。オーク材のどっしりしたテーブルの周囲にはシオン図書館長とドクター・ライオネルが立っていた。

 夜空はひょこりと頭を下げたが、シオン図書館長は無言で一枚の書類を手渡してきた。夜空は受け取ってその内容を検分した。

『祈月夜空。彼は天山に伝わる『新月刀』をたずさえた暗殺者である。祈月氏は皇族の裔ではあるが、祖父の代から殺し屋として有名であった。

 実技入試でロンシャンマフィアが色彩魔術師シリルにかけた言いがかりはほかならぬ夜空側の真実である。彼こそは結城疾風氏の歴史改変に関する論文を拒否し、博士号を認めなかった学長、つまりアルカディア魔法大学に差し向けられたロンシャンからの刺客にすぎない。

 野心家のシオン図書館長はロンシャンと秘密裏に通信のできるピアスを受け取り、実技試験でのシリル・クール・ド・リュミエール殺害事件を隠蔽して入学を許可した。それだけでなくあろうことか単なる暗殺者にすぎない人物を全学生の代表たる従属宣言にまで推薦してロンシャンの機嫌を取ったのである。

 『ゴースト』というマフィアからも闇塔から夜空あてにという名目で賄賂が届けられている。彼を大学に在籍させること自体が腐敗の証である。ジョージ・ヒューゴ及びマルティン・ギーゼギングら善良な学生諸君からも『質問状』の通り不信をまねいている。

 以上の事実から、祈月夜空の蘇生治療は許可せず、この企みを見抜いて阻止したシリル・クーリール・リュミエール、ウィリアム・エヴァ・マリーベル、フェリックス・チェンらの処分は取り消しとすべきである。シオン図書館長とロンシャンによる学長暗殺計画の共謀を訴え、夜空を支援した以下の人物と合わせての解任を要求する。

図書館長 フェルディナンド・シオン
錬金房所属医師 ライオネル・ダルトン
ダークメイジ アントン・カルリーニ
ダークウィザード 佐野元晴
ダークウィザード ヨナ・アルハ
アイスウィザード ヒョウガ・アイスバーグ
ファイアウィザード ウラン・アジャスタガル』

 夜空は世話になった教授陣がのきなみ罷免要求されていることに面食らった。シオン図書館長が話を続ける。

「只今、シスター・グラジオラスが『魂の郷』にて演説している内容だそうです。申し開きはありますか」
「俺の出自を信じないのは勝手だけれど……『近世説天山史』の記述をうのみにしたんですね。祈月は祖父の代でとっくに刺客からは足を洗っていますよ。『ゴースト』からの賄賂って……それは葉兄妹の滞在費として用立てたものです。何度でも言いますが、俺は学長に対する刺客ではありえません。命を受けていたのならば、彼との距離が一番近かった従属宣言の場で既にことを起こしていますよ」

 シオン図書館長は存外冷静にシスター・グラジオラスの訴状をのぞきこんだ。

「私が君を従属宣言に推したのも、ロンシャンとの通信が可能なピアスを預かっているのも事実ではありますね。私にはテレパス能力がありませんから通信などは行っていませんが……証明はいささか難しい。ジョージ・ヒューゴからの『質問状』というのは?」

 夜空は火属性塔での学生とのいざこざについて話した。シオン図書館長は顎に手を当てて考え込む。夜空は言葉を重ねた。

「いかにも、今夜俺が死ぬことになるとも言いたげな訴状ですよね。いくらなんでも用意が良すぎですよ」
「それはそうですね、勇気あるソフィア嬢の証言からあなたとともに私たちを陥れようとシスター・グラジオラス側が仕掛けてきた……という裏は取れています」

 シオン図書館長の総括に、カルリーニ伯爵はほくそ笑んだ。

「うむ。ピアスに関しては、図書館長から吾輩の預かりに移すと決定し、監視についても、シスター・グラジオラスではなくここにいるジュリエッタに変更するよう申し出るつもりであった。全ては万聖節が終わってから、と思っていたがな」

 ジュリエッタも生真面目にうなずいた。

「聖属性塔のシスターの監視では、塔間の軋轢に発展しかねない」

 士気高い他の面子とは異なり、シオン図書館長は気難しい顔をしていた。ドクター・ライオネルが眼鏡のふちを押し上げて言う。

「だから、こんなのは単にシスター・グラジオラスと学長によるナンバー・ツー排斥の言いがかりに過ぎんだろう。夜空からも襲撃についての話を聞きたい」

 夜空は順を追って話し、ソフィアの証言と相違ないことが確認された。カルリーニ伯爵がシオン図書館長におごそかに頭を下げ、「ご決断を」と迫る。シオン図書館長は夜空を見て三白眼を揺らした。

「……私はね、このアルカディア島の出身なのです。父は大学の職員でしたが、親戚には牧人や農民もたくさんいます。学長先生に見いだされなければ、ここまでたどり着くことはありませんでした……」

 煮え切らない発言に、カルリーニ伯爵はあっけにとられた。

「しかし、図書館長。こんな陰謀をのさばらせては……」
「それは分かっています。ただ、師との関係に軋みが入ったのはいつだったか……最近はとみに衰えを感じ、蒙昧な男巫女だと見くびってしまったのも確か。私たちの間に距離さえなければ、この騒動も避けられたかもしれないですよね」

 シオン図書館長は目を閉じてかぶりを振ると、銀色に光るピアスを夜空にさしだした。夜空が丁重に受け取ると、彼は両手を後ろに組んで申し出た。

「……逡巡はこれで終いにします。親ロンシャンは私が舵を切った道。だから私は、もうあなたがたと取引します。学長とその手先のシスター・グラジオラスを排除しましょう。ピアスでテレパス通信が可能なのですから、遠隔でもロンシャンとの交渉はできますよね。手を組みましょう、祈月夜空殿」

 夜空は敬礼し、ピアスを軟骨に装着した。通信開始の暗号をつぶやき、開始コードを発声する。

「通信開始、G・O・D! 通信開始、G・O・D! ロンシャンは今朝も雨……本日は、魔法大学の学園祭。シオン図書館長より緊急通信。祈月夜空が中継」
「アルカディアはいつも曇り。こちら、通信兵新田士貴。強度Cプラスにて受信を確認。伝言を願います」

 テレパス通信は通った。傍受できるのか、ジュリエッタ・ルナ・アルテミウスが驚いている。シオン図書館長は端的に状況を語り、夜空が一言一句たがわず伝言した。士貴が取次ぎ、万座の総意がロンシャン軍部に届けられる。学長排除。軍部からはすぐにグリーク魔法大学経由で増援を送るという応答があった。夜空は通信を終了し、高位魔術師たちに訴える。

「シスター・グラジオラスやシリルたちを取り押さえる必要があると思います。また、ハンガリア連合王国にも協力を取り付けましょう。身体が動くうちにウィリアム・エヴァ・マリーベルも説得したい。図書館長、お聞き届けください!」

 シオン図書館長は瞼を伏せぎみにしたままじっと窓の向こう側を見ていた。カルリーニ伯爵が夜空の背を押してともに退出する。

「後は闇塔中心にことを為すのがいいか。部外者は退出させ、全学生を五階サロンに収容! シオン図書館長こそ、次期学長にふさわしい方なのだ」

「わかった!」

 ジュリエッタが景気よく返事をし、階下に急いだ。夜空は伯爵とともに話し合いながらサロンまで降りていく。

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 金モールで飾られたサロンは学生でごった返していた。各教授が学年ごとに整列させ、長テーブルに着席させている。場が静まったのを見ると、夜空はカルリーニ伯爵に目配せし、グランドピアノに着席して『高雅で感傷的なワルツ』第一曲をワンフレーズ弾いた。注目が集まり、夜空はゆらりと立ち上がる。

「みなさんはこのアルカディア魔法大学に今も残る決闘制度をどう思いますか? ……政争の責を他国に問わせないための大学側の言い訳にすぎない。私はそう思います」

 集合した全員にとって予想外の切り出しであったが、カルリーニ伯爵は余裕の笑みをはりつけたままだ。夜空は続けた。

「本日は学園祭。土地の方々と友好を築く場であり、未来の後輩たちがこの大学を知るよい機会であり、すべての聖人と死者の魂を祀る万聖節前夜です。私はそんな記念すべき日にかねてから対立していた学長側のスパイであるシリル・クール・ド・リュミエールとの決闘を受けるという愚を犯しました」

 上級生たちは事の推移を見はからってかしばらく顔を見合わせていた。夜空は続けて訴状を引き合いに出し、ひとつひとつに反論した。

「このような疑いが事前に示し合わせたかのようにシスター・グラジオラスから出されているのもまた事実です。しかし、私は天山皇室秘曲・『風の歌』を伝授されたれっきとした宮家の嫡孫。賄賂の件も、学長暗殺計画の企みもまったくの事実無根です。この事件を学長側の思惑どおりに運んでしまうと、ロンシャンとアルカディア間で諍いが生じます。今夜帰り来る死者たちの面前で、上級生の皆様に深くお詫びするとともに、事情を広く明らかにして自身の潔白を誓い、皆様のご理解をお願いする次第であります」

 文字通りハンガリア連合王国を代表するクラウス・タイガ・ヴァルキリア殿下はいちはやく起立し、普段どおりのゆったりした口調で夜空の味方をした。

「決闘は前時代的な風習で、この学校の評判を落とす最大の原因にもなっていると思う。それに、ロンシャンとアルカディア間の関係悪化は避けてほしい。予はロンシャンで学べる歴史の真実にとても興味があるのだ。いつかはロンシャンを実際に訪ね、真実を見極めたいとまで思っている」

 この期に及んで呑気とまで言える宣言に、侍従は半狂乱になった。

「で、殿下! 御乱心ですか?! ロンシャンと学長の対立は入学時から続いている懸念。御身の危険を案じ、アルカディア魔法大学すら去るべきです!」

 クラウス殿下は虎の尾をばたりと振って露骨に不快の念を示した。

「ルーシャンと敵対している以上ロンシャンは味方につけたい」

 はっきり態度を決めてしまうと、クラウス殿下はフランクな口調で侍従を諭した。

「それに、こんなにバレバレの暗殺計画って何? 予って、夜空と同室だったんだよ。加担の疑いまでかかる。そこをヴェルシーニンに、ルーシャンに突かれたくない」

 クラウス殿下はその蒼い目で夜空をまっすぐに見つめた。

「祈月夜空。予は貴殿の潔白を信じ、疑念を晴らすために協力する」

 夜空は彼の示してくれた友情に感謝した。そして一年の席に戻り、皆に問いかけた。

「ウィリアム・エヴァ・マリーベルは今どこに? 俺は彼とも話したい」

 ジアースが信じられないという顔付きで立ち上がった。

「ウィリアムはずっと裏切ってたろ!? 学長側のスパイだったのはバレバレだったじゃないか!」

 決闘の立会人にされたソフィアも反対した。

「本来決闘は名乗り合って堂々と行うもの。それなのに後ろに隠れていて、夜空を襲ったのよ」

 ノエーミすらも彼の味方をしなかった。

「私たちを信じて、陰謀を打ち明けてくれればそれで済んだのに、事件を起こして万聖節を台無しにしました」

 ジアースが焦れた様子で付け加える。

「後さ、誰かソフィアと夜空のルートをリークした人間がいるんだよ! それもあぶり出さないと……!」

 一年席の揉め事を聞き及び、キャンディ・ツアーを企画した先輩があわてて互いを問いただしはじめる。葉貞苺《イェ・チェンメイ》がさっと片手をあげた。

「……それは私の兄よ。夜空と仲直りしたいっていうウィリアムのセリフを信じて、教えたんですって。学長たちの企みとは無関係だけど」

 海英《ハイィン》は身の置き所がなさそうに身を硬くしていた。夜空はずっと迷惑をかけていた自覚もあり、彼を弁護した。

「ウィルが俺に示してくれた友情は本物だった! 常に俺を心配してくれた。シリルとも和解すべきだと根気よく説いてくれた。だから、海英《ハイィン》だって信じたんだよ。彼はシスターグラジオラスや学長に何か弱みを握られている。それでも土壇場でソフィアと俺を逃がしてくれたんだ。あちら側でもつらい立場を強いられているはずだ。俺は彼を助けたい」

 夜空が熱弁をふるっていると、やがてシオン図書館長がドクター・ライオネルとともに五階まで降りて来た。カルリーニ伯爵がすぐに傍につく。図書館長は一年生の末席に坐り、クルシュタルト連合王国の侍従から話を聞いた。すっかり冷静さを取り戻し、肝の据わったいつもの調子で、夜空に向かって急を告げる。

「何であれ、ウィリアム・エヴァ・マリーベルが最も真相に近いところにいるのは確かですね。ジアースと夜空はアジャスタガル門下で戦闘評価も上々と聞いています。シスター・グラジオラスの取り押さえを兼ねて、彼を取り返してきてくれませんか?」
「了解!」

 呪いの懸念はあったが、それも術師を捕まえなくては解呪の手立てがない。闇塔では志願兵が募られた。夜空とジアースはナイジェル寮長と三人で隊になり、シャドウウォーカーのマスター・ヨナ、そしてジュリエッタとともに『魂の郷』に乗り込むこととなった。

 ただ一人、佐野教授だけが難色を示す。

「しかし、シリルは禁術『レインボウ』を持っているはず。後がなくなった今では、使用をためらうとは思えんぞ。それに軽々しく兵を出すのは……」

 夜空は無感情に答えた。

「平気ですよ。彼はもうそれを使えません」

 根拠については論を尽くさず、夜空は塔で支給された防具を身に着けはじめた。

44

 『魂の郷』はアルカディア島を取り巻くゴント山脈の東北、麓近くにあった。死霊術や悪魔学、または魔物の研究といった危険な術の研究者が集住している村落で、島の墓場も兼ねていた。麦畑の途切れる山際、森を切り開いて作られた郷は、簡素な茅葺きの家屋が立ち並んでいる。厩には怪物を閉じ込める特製の檻が積み上げられ、特別製の南京錠がかかっていた。

 村の奥には三階建ての廃墟めいた小城が建ち、礼拝堂を備えたそこでは高額な蘇生術の受付や一般の埋葬を取り仕切っている。死霊術に使われないためには埋葬の際に親族が契約をする必要があり、時には無縁仏を売りにくる罰当たりな輩までいた。

 小城の前は広場になっていた。墓地の湿気で緩んだ地盤のためか、丸太を組んだ道路が広場から同心円状に広がっている。

 闇属性塔の面々は郷から少し離れた道標に集合し、少人数に別れておのおの郷へと入っていった。時刻は八点鐘より一時間ほど早かった。『魂の郷』では、学園祭に合わせて古ケルトの祭りをそのまま再現するという試みが行われていたために、屋台なども出ており、珍しく活気があった。墓参りをする島民も多く、乗合馬車や自転車がひっきりなしに行きかって、時には家族総出での物見遊山までいる。

 夜空たちは荷物をもって墓参りを装い、墓地から郷に侵入した。広場にたどりつくと城門前には大きなかがり火が焚かれ、動物や魔物の仮装をした人々がいまだに浮足立ってうろついている。

 ハロウィーンは『魂の郷』にとってまさに「魔女の正月」にふさわしい特別な夜であった。

 かがり火の傍に円座を組んで部族の民謡を歌う。死霊を目に見えるかたちで呼び出して、渦巻くように操る。櫓や樹木には青白いランプが点々と飾られ、中には仮面をつけて踊っている男女もいる。カーニバル! 普段は陰気な村にも、そういって相応しい熱気が満ちている。

 木枠を組んで作られたステージには、シスター・グラジオラスが立っており、かがり火の揺らめきをその峻厳な面に映して、メイスを突き上げ、夜闇の中詭弁をふるっていた。

 壇の手前では院生や協力者たちがプロパガンダを配っている。仮面をつけたナイジェルが興味あるそぶりで院生から宣伝ビラを受け取った。訴状全文ではなく『ロンシャンマフィアを追放せよ! シオン図書館長更迭!』とだけ記されており、騒動の真の目的を伝えていた。学長の権威によほど信頼を置いているのか、彼女たちは取り押さえられる警戒をあまりしていないように見えた。

 夜空たちはフードをかぶって顔を隠し、手はずどおりにウィリアムを探した。夜目が効く猫亜種のジアースが夜空の袖を引く。ステージ下手に、フェリックス・チェンとシリル・クーリール・ド・リュミエールの姿があった。ウィリアム・エヴァ・マリーベルは二人に挟まれて地べたに正座していた。目隠しをされ、後ろ手に縛られて口枷をはめられている。思った通り、決闘時に不穏な動きを見せた彼は人質扱いとなったようだ。『魂の郷』のひとびとは、なぜあんな晒し者のような姿に疑問をもたないのか。古い魔女狩りを再現したような有様を目撃して、夜空は胸に怒りをたぎらせ、思わず不自然に立ち止まった。  ジアースが雑談をよそおって夜空のケープを引いた。

「俺、ここでバイトしてるけど、治安はいつもこんなもんだよ」

 夜空は唇を噛んでうつむき、屋台を冷やかす振りをしながら、味方が集合するのを待った。  『魂の郷』ではおそらく事前に打ち合わせがなされていたのだろう。捕虜をいぶかしがることもなく、シスター・グラジオラスの演説は何度も繰り返された。広場に漆黒のマントを羽織った二人の女性が現れたころ、夜空たちは一人ずつ別れて手はずを整えた。  シリルとフェリックス・チェンに近づき、警告音のように鈴を鳴らしたのはジアース。  不審に思ったフェリックスがジアースを追って歩いていくと、シリルも周囲を見回して警戒を始めた。夜空はロッドを歩行杖かわりにして通行人を演じつつ、入れ替わりでウィリアムに近づいていった。助けに来たのがわかるように、わざと明るい声で呼びかける。

「俺のカナリア、迎えに来たよ!」

 とたんに事を察したシリルがフランベルジュに手をかけた。夜空はロッドをかかげ、『マギカ』を呼称詠唱した。魔素の圧がシリルの胸を真向かいに張り倒し、夜空はそのすきにウィリアムを横抱きにして喧噪にまぎれた。院生たちが羊皮紙を脇ばさみ、急いで追っ手をかけようとする。

「Trick or Treat!」

 そこでジアースが号令を叫んだ。焚火の近辺では爆竹が軽やかにはじける。広場の中央に向かって、花火がひゅうひゅうとあちらこちらで飛び出す。様子見をしていたナイジェルやその他の兵が一斉に焚きつけたのだ。丸く組まれたねずみ花火がいくつも放たれ、群衆の足元を回転しながら這いまわった。驚いた民は浮足立ち、広場は騒然とする。シスターグラジオラスの共謀者たちは敵を見定められずにまごついた。

 壇上のシスターは演説をとりやめ、魔石のあしらわれたメイスをふりかざした。あらかじめステージに描かれていた十字架が結界となり、聖なる障壁が張られた。院生たちは壇上に殺到し、シスターの周囲で陣を組む。見世物として置かれていたいくつかの檻が引き倒され、飼育されていた魔物たちが暴れくるった。

 ツェツェ蜂、兎蠅、クランプス、ゴブリン……より高位の魔物を呼び出すための召喚陣まで浮かび上がり、広場はあっという間に阿鼻叫喚のサバトと化した。

 闇塔の学生たちに周囲を守られた一人の女性が、ステージ上手方面より声高く呼ばわった。

「『MoonLight Call』!」

 月齢はもう新月に近かったが、長年月を信仰する彼女の願いに惑星が応じた。さっと広場を月光が掃く。純粋な魔素体である魔物は集中的に浄化され、群れをなしていた兎蠅は燐光を残して燃え上がった。中央通りに伏していた味方の学生たちが立ち上がり、カンテラを振って民の逃亡を助ける。

 シスター・グラジオラスはジュリエッタの位置を察知し、そちらにメイスを向けた。

「asa sedaqa mispat bahar Yehova zebah! 神罰を!」

 聖書の一節が朗誦され、院生たちもそれに倣った。巨大な十字の光が真っ白に輝きながら、焚火すらなぎ倒しつつ女ウィザードめがけてゆるやかに進んでいく。ジュリエッタは月の加護を頼んで負けじと結界を張った。

 『ミラージュ』の叫びとともに、彼女の目前にはぎらりと虹色の膜が張られる。強い魔素の衝突が起こり、閃光がまばゆくはじけて、何が起こっているのか正視しづらくなる。

 続けて、ステージ下手から白フードの集団が壇上になだれこんだ。先頭を行く凛々しい黒肌の女性がシックルソードを振り上げて叫ぶ。シャドウウォーカー・アルカディア支部リーダー、マスター・ヨナの参戦だ。

「魔素の根源、万物の端緒に満ちみてる虚空の闇よ我に応じよ、こごりしその身を解き放ち、呪縛をほどきて大気に還せ! 解除魔法・『Eraser』!」

 闇属性の汎用解呪魔法はシスター・グラジオラスの結界の一点に破れ目を開けた。そこから闇の波動が最大級に唸りをあげて襲い掛かる。

「『Noctarga』!」

 周囲を固めていた院生たちが悲鳴とともに竜の咆哮にも似た闇球にすりつぶされる。

 シスター・グラジオラスは不利を悟り、腰に下げていたポーチから透明化薬を飲み干すと、姿を消して逃亡を図った。しかし、戦闘補助魔法を専門とするダークウィザードにとって、そんな小細工は児戯に等しかった。夜鳴き鳥の声が錯綜し、薄紫の霧が人々にまといついて、逃げる女の輪郭だけを浮き彫りにする。

 マスター・ヨナはシックルソードから闇の炎を剣気として放ち、それを追って自らも一揆果敢に飛び込んだ。防御に気をとられたシスター・グラジオラスは瞬足で間合いを詰められてしまう。腹部を峰打ちされて無残に膝を突き、顎には曲刃をあてがわれた。

 それはアルカディア魔法大学の教授同士が本気で争った十数年ぶりの内紛であった。魔女たちの戦いは、後陣に控えて広範囲の光学魔法を操るジュリエッタ・ルナ・アルテミウスと、白兵戦をも指導するヨナ・アルハの圧勝となった。

 本隊が『魂の郷』の広場を制圧している間、夜空たちは人波にまぎれて一直線に中央通りを抜けていった。あくまで人質の救出が任務だったからだ。しかし、ウィリアムを横抱きにして走る夜空は遅れがちだった。やがてあどけなさを含んだ声が、雑踏の中大声で物騒な詠唱を始めたのを聞き止めた。

「蒼穹の空に横たわる、忌まわしき虹蛇よ……無限の色彩をつかさどる、大気に満ちみてる光よ!」

 先導していたジアースは立ち止まり、後ろを守っていたナイジェルも殺気を感じて振り返った。

「こんな場所で禁術を放つつもりか?!」
「どこにいる! 殺してでも止めなくては!」

 胸に抱き留めたウィリアムも、頭を振って夜空に危急を訴えた。夜空は脇道に反れてウィリアムを下ろし、『新月刀』で足と手の戒めを切って、口枷もはずして彼を自由にした。震えるウィリアムを支えて立ち上がらせ、集合場所までひたすらに駆けていく。

 ジアースとナイジェルは踝を返し、群衆の中で一人たたずんで禁術を放たんとするシリル・クーリール・ド・リュミエールを発見した。ジアースが届けとばかりに炎の弾を投げつける。ナイジェルは防御魔法を唱えて破滅に備える。だが、詠唱が段階を踏んで進んでいっても、いっこうに周囲の魔素は集まらず、大気には何の変化もなかった。

 大魔導士の末裔には、禁じられし力の封印を解く資格があるはずだった。  先祖に助けを求めれば、色彩の奔流が全てを洗いつくすはずだった。

 魔術師の端くれであるシリルは予想外の平穏に気づき、焦りはじめる。ジアース、ナイジェルの両名はその戸惑いを見逃さず、ジャマダハルと直剣が無慈悲に抜かれた。駆け出し剣士にすぎないシリルは、悠々と歩いてくる手練れ二人を見て、悔し気に地に突っ伏した。

 不安げなウィリアムの手を引いた夜空は息を切らせながら種明かしをした。

「『新月刀』は魔術師狩りの刀……魔術軍総帥・祈月氏に伝わるとっておきさ。禁術はむやみに使っちゃいけないんだよ。あの子はもう、聖騎士にはなりえない」

 『新月刀』――それは、魔術師の生命線である魔素反応、一口に『魔力』として理解される回路を封じ込める、呪いの小刀である 。  アルカディア歴二千六百七十年の万聖節前夜祭は、反ロンシャンの教授陣により民を含む四名の負傷者を出した変事の日として記録された。

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 夜空とウィリアムは後詰として到着していた佐野教授の一行に迎えられ、二人は馬車の荷台で寄り添いあった。同行していたドクター・ライオネルが夜空にかけられた呪いの詳細を聞く。ようやく平静を取り戻したウィリアムはぽつぽつと真相を語った。

「シスター・グラジオラスやシリルは私が君の命を奪うことを期待していたようだが……はじめからその気はなかった。むしろ、シリルの『レインボウ』から君を守るために、決闘の遂行まで学長側でいる必要があったんだ」

 ウィリアムとシリルは学長に賄賂を積んでの裏口入学だった。ウィリアムの場合は、実技入試で刺客の疑いある人物を回復したペナルティ。シリルの場合は、法外な蘇生代金をチャラにするという約束で、学長から夜空の監視と暗殺を依頼されたのだ。

 入学まで盾にとられたために二人の家はそれぞれ依頼を受けてしまい、シスター・グラジオラスもシオン図書館長に代わっての副学長就任という空手形を頼みに、学長のゴーサインをずっと待っていたのだった。

 ゴーサインに必要だった条件。それは、夜空側の確かな弱み。ロンシャンマフィアと繋がっているという汚点がそれだ。

 シリルとの決闘の体を装い、ウィリアムが確実に夜空を呪殺して、学長の権力を背景に、学内政治の刷新を呼びかける。ロンシャンへは決闘の結果だけを知らせる。それが、シスター・グラジオラスによるずさんな計画であった。

 ウィリアムは消沈し、厭わしげに打ち明けた。

「シリルの家はともかく、私の家は婚姻の秘儀を司る。婚姻とはすなわち寿ぐべき良縁だが、当然逆も扱える。たとえ嫌々だろうが、料金まで受け取ったんだ。妹のユーフォリアは呪いの下準備までしていた……マリーベル家の最高級の機密。それは『死との婚姻』を使った呪殺。シスター・グラジオラスと学長は、だから私を手離さなかったのさ」 「じゃあ、俺は死んじゃうの?」

 夜空が尋ねると、ウィリアムは力なく微笑んだ。

「そんな訳がないだろう。詠唱を聞いていたと思うが……あれはマリーベル家との婚姻呪文。『死との婚姻』の応用だ。婚約者は定期的に主人の魔素を採り入れなければ死者による浸食に耐えきれなくなるんだ。解呪は実家に帰らないと正式には不可能。でもそのおかげで、他の呪いは一切受け付けなくなる。因果な商売をしている以上、たとえ苦肉の策にせよ、身内を守らなくてはな」

 ドクター・ライオネルは険しい顔のまま黙っていたが、そのうち二人に後方支援を命じた。

(1-11につづく ※R18のBLシーンあり)