Entries

Icon of admin
あおうま
かわい恋『王と獣騎士の聖約』徳間書店 キャラ文庫 【SS付き電子限定版】

 なんという幸福。死ぬことは怖くないと思ってきたけれど、楽しみにすらできるなんて。

 神獣によって力を得た半獣人の戦士である聖騎士の親善試合によって外交が動くファンタジー世界。広大な湖をランドマークとするジーンヴェルグ王国は、敵国トール王国に追い込まれ、国ごと支配下に入るという状態にあった。頼みとしていた炎竜のクロードも好色なイルギル宰相によって引き抜かれてしまい、すでに手持ちの駒はない。風前の灯火といってよい状況の中、美貌の青年王ユリウスは共食いをする穢れた種と蔑まれる黒獅子と誓約を交わし、みずから聖騎士になろうとする。しかし、黒獅子ネヴィルは恩返しにと自ら人間姿で騎士としてユリウスに仕える。黒獅子はその後、忠誠の対価として肉体関係を要求し、ユリウスは王としての矜持と屈辱に揺れる。

ようするに獣人×王様という話で、展開に捻りはそんなにないんだけどその分丁寧で安心感があるように思った。ユリウスがだんだんほだされていく過程がうまく書きだされていた。独特だなと思ったのが黒獅子のある意味宗教的な共食いの習性。ケモノ状態の攻めとの濡れ場もこの建前があるから凌辱感が少なく盛り上がるシーンになっていた。悲壮な感じではないが、王が黒獅子のつがいにまで堕ちてしまうところに耽美なカタルシスがあるw これも幸せの形だよね、と感じられる、いいBL。
エロシーンは多め。痛みと快楽が同化するマゾな人ってそんなに多いのかなぁ、というのが素朴な疑問。個人的にはあんまり使わないんだけど、わりと見る表現だよね。取り入れてみようかなあ。

#[商業BL]
Icon of admin
あおうま
猫は宇宙で丸くなる【電子書籍版/4篇収録】 (竹書房文庫) Kindle版
https://www.amazon.co.jp/%E7%8C%AB%E3%81...

紙版の縮約のようだ。猫SFというとまっさきに思い出すのがハインラインの『夏への扉』。文庫本表紙が白キジ猫の後ろ頭なのは言わずもがな。科学技術やガラスやプラスチックや金属の横溢するSFに猫が出てくると、生命のぬくもり、放逐された「自然」を感じられる気がする。
そのほかの猫にまつわる幻想文学やSFを集めたアンソロジー。同様の試みは当然ほかにもたくさんあるようで巻末にはブックガイドもある。
所収作品はジェフリー・D・コイストラ「パフ」、デニス・ダンヴァーズ「ベンジャミンの治癒」、ナンシー・スプリンガー「化身」、ジョディ・リン・ナイ「宇宙に猫パンチ」の四編。ほかの所収作品もkindleでより抜いて読めるようでそれも抑えていこうかと思う。ペットロス問題の解決をはかった「ベンジャミンの治癒」がとくに面白かった。結末に感動! やっぱり動物ものはこうオチてくれないとなとw 

ほか、巻末にあげられている猫SFブックガイドのうちアンソロジー以外を写しておく。

・ロバート・A・ハインライン「宇宙での試練」(1948/ハヤカワ文庫SF『地球の緑の丘』)
・アーサー・C・クラーク「幽霊宇宙服」(1958/ハヤカワ文庫SF『90億の神の御名』)
・アイザック・アシモフ「時猫」(1942/ハヤカワ文庫SF『ガニメデのクリスマス』)
・パメラ・サージェント「猫は知っている」(1981/扶桑社ミステリー『魔法の猫』)
・サキ「トバモリー」(1909/白水社『クローヴィス物語』)
・シオドア・スタージョン「ふわふわちゃん」(1947/早川書房『一角獣・多角獣』)
・タニス・リー「ナゴじるし」(1985/ハヤカワ文庫FT『ゴルゴン』)
・ジョージ・R・R・マーティン「守護者」(1981/ハヤカワ文庫SF『タフの方舟1 禍つ星』)
・レイ・ヴクサヴィッチ「キャッチ」(1996/東京創元社『月の部屋で会いましょう』)

#SF
Icon of admin
あおうま
#鏡花

泉 鏡花『照葉狂言』Kindle版
→本文はhttps://www.aozora.gr.jp/cards/000050/fi...

 朝より夕に至るまで、腕車、地車など一輌も過ぎるはあらず。美しき妾、富みたる寡婦、おとなしき女童など、夢おだやかに日を送りぬ。
 日は春日山の巓よりのぼりて粟ヶ崎の沖に入る。海は西の方かたに路程一里半隔りたり。山は近く、二階なる東の窓に、かの木戸の際なる青楓の繁りたるに蔽おおわれて、峰の松のみ見えたり。欄に倚りて伸上れば半腹なる尼の庵も見ゆ。卯辰山、霞が峰、日暮の丘、一帯波のごとく連りたり。空蒼く晴れて地の上に雨の余波ある時は、路なる砂利うつくしく、いろいろの礫あまた洗い出いださるるが中に、金色なる、また銀色なる、緑なる、樺色なる、鳶色なる、細螺おびただし。轍の跡というもの無ければ、馬も通らず、おさなきものは懸念なく踞居いてこれを拾いたり。


泉鏡花の初期の短編のうちのひとつ。以前『薬草取』を読んで、つぎは『照葉狂言』を読もうと思っていたので。
というのも山尾悠子『迷宮遊覧飛行』の中に鏡花選集の解説があり(女史は卒論も鏡花だとか)その解説中より気になった編を読んでいる。
大学の近代文学ゼミでみんなが『外科室』を読み倦んでいた(笑)思い出があったりもするw
『照葉狂言』とは江戸時代後期から明治時代にかけておこなわれた能狂言に歌舞伎や俄、音曲などを加えた大衆演芸のこと。
娼館の忘れ形見、貢(みつぎ)は目が溶けるような美少年。母を亡くし叔母に世話される孤児の彼は隣家に住む年上の継子・雪に思慕を抱いている。
ガキ大将率いる男の世界からは隔絶し、ひたすら女に愛でられて過ごす彼は、ある日金沢にやってきた照葉狂言の一座で師匠小親に見初められる。
生家が花札賭博で捜査され、行く当てをなくした貢は卑賎とみくだされた芸人の世界に身を投じる。八年後帰ってきた彼が見たのは、洪水の被害で見る影もなくなった古郷であった。
ストーリーはこんなところ。とかく性とは無縁に女性に愛され満たされる母なし子の幼年期を描く。
姉様としたった雪も、牛若に扮して中性的魅力凛凛たる小親も、すでに女の弱さにとらわれ、婿にとった養子には折檻され、リュウマチで体はままならず、零落の瀬戸際にいる。
「男性ではない」貢は恩人のどちらも救いえず、おさなきもののまま成長した彼は、尼が謡う幻想の山寺にたどりついたのち、ただ一人出奔してしまう。
堕落ののちの貧窮や凄惨を長々と述べるのは鏡花の美学ではないのだろう。
次は『戦国茶漬』か『天守物語』を読みたいがたぶん『天守物語』かな。
Icon of admin
あおうま
工藤重炬校注『詞花和歌集』岩波文庫

院政期初期の勅撰和歌集。なんでこれを読んだかというと「崇徳院の時代」だから。
藤原摂関期の主人公たる道長、その後継者であった頼通が没したのち、後三条天皇の親政をはさんで白河天皇が即位する。応徳三年〔一〇八六〕年十一月、八歳の皇子善仁親王(堀河天皇)に譲位し、以後堀河~鳥羽~崇徳朝にわたって白河上皇の院政期となる。
崇徳院は実は白川院の子であるという説も根強く、また父・鳥羽院や摂関家の分裂問題と絡んで、保元の乱に発展していく。源平合戦の前史である。敗北した崇徳院は出家したがそのまま讃岐に流された。配流後は懊悩し、経文血書によって行く末を呪い、日本三大怨霊という恐ろし気な伝説と化していったというさまがサブカル好きには印象深い。
そんな『詞花和歌集』だが、歌風としては『古今集』ののどかさから『後拾遺集』を経ていわゆる新古今調へと変化するまさにその直前である。撰者は藤原顕輔。父修理大夫藤原顕季は白川院の近臣として栄え、和歌に堪能で「人麿影供」という儀式を創始した。これが歌の家としての六条藤家のスタートである。顕輔は三男だったがこの人麿像を継承して正統を継いだ。院政期初期には源俊頼らの六条源家を凌ぐ勢いがあったようだ。この時代の政治状況は鳥羽院派と崇徳院派で対立していたため、同時代人の入集は少なく物議があり、また以後の御子左家・二条家流(=俊成流)による批判もあった。
そんな感じなのだが、新古今風に慣れた身からすると、ずいぶん読みやすいものである。歌数も全部で四一五首とコンパクトなのもうれしい。寛和元年〔九八五〕に圓融院子の日の遊びに御召もないのに推参し追い払われたなどという奇行をあげつらわれた曽禰好忠が十七首と、入集数一位。あっさりと詠みなしたような歌風が読みやすく、さわやかである。
また「別」の部もあり、任官やさまざまな理由でお別れしていく人々の餞の歌がそろっているのも当時の風習を伺わせて面白い。「忘れないでくれ」「ずっと寂しく思っているよ」系が多く、別離の心理というのに共感ができるw 今では通信が発達しているので、逆に新鮮だろうか。稚児への恋憐を歌う僧侶の作もある。
「新院位におはしましし頃」と始まる詞書も多く、時代を感じられる。崇徳院自身の入集数は少ないが、百人一首「割れても末にあはむとぞ思ふ」をはじめとしてどれも込み入った技巧でつくられた珠光の作である。春の部が次の御製でしめくくられるとき、惜春歌という行為そのものの空疎さを歌う皮肉にただ泣けてしまう。

をしむとてこよひかきおく言の葉やあやなく春のかたみなるべき
Icon of admin
あおうま
高瀬隼子『いい子のあくび』集英社

表題作と二つの短編が入っている小説集。帯のキャッチは『不合理な偏りだらけの、世の中に生きる女性たちの、静かな心の叫びを書く』とヒロイックな感じだが、もっと露悪的に言うと「主人公一人称語りで延々と人間を呪詛する」という感じ。キツすぎてヤバイ。「それなりにムカつく」程度のあんま問題なさそげな職場の人にも即「死なないかな」まで思ってるし……
マジで? そこまで思う? 飲み会付き合わされるの嫌なら行かなきゃいいだけじゃん。
表題作は、イイ子として感情を擬態して生きてきた社会的評価上のOLが「割に合わない」という被害者意識全開で「スマホ自転車運転」次はよりグレーな「スマホ歩き」をしている男性にぶつかっていくというお話。ドストエフスキー『地下室の手記』系統といえばいいか。
寄り添おうと思えばどこまでも寄り添えるのかもしれないけど、シリアルキラーものの主人公の心情に近いものを感じた。
痴漢ってやめられなくなるって聞くじゃん。ストレス解消のために他者を攻撃するようになることがクセになるとヤバイなあって怖くなる。
他二篇は「女同士の人間関係ってイヤだね~」という感想が真っ先に出てくる。結婚式に行かない、ってやばいよな~必ず揉めるやつ。
こういうものかもしれないけど、じゃあ女同士の人間関係にいったい何を求めているのだろうか。たぶんまっとうな友情であって、そんなもんめったに成立もしないし夢でしかないのに仲良くしてくれているってことだけでも感謝したほうがいいんだけど…とかいろいろ考えてしまう。呪詛のパワーだけはすごいから、代弁してくれたように思えてすっきりする読者もいるかもしれない。あと、人の飾らない本音って引き付けるパワーだけはすごいから、読ませる。愚痴スレとか愚痴アカとか見ちゃいがちな人にとってはよいかも。私の事ですけどね……気をつけなきゃいけないね、と反面教師にもなるのでした。

円城塔『世界でもっとも深い迷宮』2016年 Kindle

Kindle書下ろしなのかな? SF作家の短編。ゲームブックのプレイ体験を書いている。クールで即物的な描写は持ち味か。ただ、「ゲームブックに昔ハマったりした人」ではないんだろうか? あくまで突き放して無機物なシステムとして見なしている感じがする。その距離感が面白さを呼ぶこともあるとは思うが、ゲーマーとしてはちょっと物足りなかった。
Icon of admin
あおうま
山田詠美『タイニーストーリーズ 』 文藝春秋. Kindle 版

その状態を払拭したいがために、 目の前の快楽を貪ろうと腐心しているのかもしれません。 だって、 体から生ずるものだけは確実であると知っているから。 そこには、 共有出来なかった過去 も、 共有出来ないであろう未来も存在しない。

私は山田詠美が好きな根性の曲がった子供だった。でも長年生きてみると、彼女の小説に描かれる自由でイケてる女性像をなぞったわけではなかったと少し残念にもなる。そんな著者の短編集。話数がたくさん入ってお得だし、オチがどれも唐突、そしてシニカル。焼き直しのネタもあるけど、それはファンだから分かることかな…とも思う。「GIと遊んだ話」という、まさに山田詠美的なイメージ(黒人米軍兵と遊ぶ日本人女性)シリーズがあるけど、やっぱ面白いんだよなぁ。冒頭に引用したけど名言名句も連発。

彼女の作風って「シビア」であり「皮肉」でもある。しかし、人生が過ぎゆくものでしかなく、代わりに一時の感覚の強烈さ(快楽なりなんなり)を追い求めるというまさに刹那的な価値観で構成されているのは処女作『ベッドタイムアイズ』から変わらない。この世からはみ出した人たちの味方ではありえず、みんなエゴ全開で人を見くだしていて、慰撫のためのアジールではない世界。カッターナイフのように鋭く、使い終わればぱきんと折れて捨てられて切れ味をとりもどす。そんな感じ。

「クリトリスでバターを」は「限りなく透明に近いブルー」の原題だけど短編としてなかなか決まってる。主役の女性は魅力的だけど、令和の今となってはやや辟易もしたりとかw
ブランド名が連呼されて「素敵な恋愛」のフレーバーになってるところも古い感じがあるが、貧乏くさいのとどっちがいいかは分からんよねw

これを期に昔好きだった作家もちゃんと読んでいきたいな~
Icon of admin
あおうま
大原 まり子『ハイブリッド・チャイルド 』クリーク・アンド・リバー社. Kindle 版.

機械帝国と戦争中の人類はサンプルB群と呼ばれる兵器を開発した。核融合炉ユニットを原動力として遺伝情報を取り込み、その構造をサンプリングしてありとあらゆる生物に変容する。不死のそれはいつしか自我をもち逃亡、やがて虐待死した少女のAIと接触して彼女の心をものにし、しまいには「愛」を知るに至る……という話。二つの短編と「アクア・プラネット」という長編から構成されるシリーズで、群像劇としてえがかれているために全容がとらえづらい。
最終話は惑星ひとつを舞台にしてカタストロフィと再生が描かれ壮大である。よくあるAIものかと思いきや母子関係がテーマになっている点が特異で、描写は生物的、血が出まくりでひじょうにグロイです。内臓はあんまりないかも。アニメで見たいような見たくないような……エヴァンゲリオン耐えられない人は無理でしょうな。

文章は読みやすいので、猫テーマのやつとかは読んでみようかな~と思った

#SF
Icon of admin
あおうま
中島俊郎『英国流旅の作法 グランド・ツアーから庭園文化まで』(講談社学術文庫)
空読みしないように作成していきます。#読書 #英国流旅の作法

§第三章 詩想を求めて田園を歩く ペデストリアンツアー
1 自然が「美しい」という感覚 ―感性の推移
1782年 ドイツ人牧師カール・フィリップ・モーリッツ ロンドン=ダービシャー間
「徒歩旅行者は野蛮人扱いされ、出会う人々からまじまじ見られ、哀れみをうけ、危険な人物と考えられかねない。だからイギリスではペデストリアンは乞食か放浪者、よほど困窮している人間と考えられ、宿無し人よりもはるかに珍しい人間であるとみなされてしまう。」

↓ロマン主義の影響による歩くことに関するイギリス人の感性の変化
 ピクチャレスクツアーの流行による人為的でない自然への興味「自然の風景が美しい」という感性の変革

1794年 ワーズワースの妹・ドロシー
美しい自然とふれあい歩くことが、精神的修養につながる

2 徒歩旅行の出現

旅人の〈条件〉…18c後半(1780年前後)「楽しむために旅をする」人の出現 裕福で、一か月以上を割くことができる。社会・経済的指標
・旅は金と時間しだい ウィリアム・キッチナー『旅人の言葉』(1827)
   旅を可能にする時間と財産 石炭商人の父から受け継いだ遺産
   ロンドンの自宅を出発してから37日間にわたる旅の記録

遊覧用四頭馬車 週2ギニー、馬四頭分 週6ギニー、御者(日当)6シリング6ペンス、交通費59ポンド12シリング 37日間ウェールズ周遊の代金118ポンド
(ベテラン職工の日当2シリング =3年分の年収)

悪路に跋扈する悪漢
浮浪罪(1531) 困窮者を浮浪者と分け、後者を罰する(「道を歩く人は乞食か追剥」)
劣悪な道路状況 舗石のあった町はほとんどなく、揃っていない、凸凹だらけ、穴だらけ
辻切、追剥、強盗の出没←応戦する武器が必要 ※馬車で移動するのが一般的

「あえて」歩く人々の出現 1750年代
ウィリアム・コックス(イギリス国教会牧師、歴史家)『ポーランド、ロシア、スウェーデン、デンマーク旅行記』(1784)
ウィリアム・ボールズ、ウィリアム・ワーズワース(1790年、アルプス旅行)

3 思索としての徒歩旅行 古典主義(理性、写実、形式、均整)→ロマン主義(情熱、心情、想像)人間肯定
極端な例――〈ウォーキング〉・スチュアート『道徳的行動の起源を求める旅』
ロマン主義運動と連動していた旅――ジェームズ・プランプターの徒歩旅行『湖水地方のツーリスト』(1798)
1799年のスコットランド周遊 2236マイルのうち1774マイルが徒歩(五か月間)目的はピクチャレスク観光(クロード・グラスを持参・額縁内の景色のみを愛でる)
旅程:ヒンクストン→ヨーク経由ノーサンバーランド海岸→エディンバラ→ハイランド→湖水地方→北ウェールズより下り→ミッドランド→バーミンガム(18c末の典型的スコットランド周遊ルート)
聖職者らしく質素を旨とした旅行(パン、チーズ、ゆでたまごの食事、民泊)→自己省察の旅。下記二名の訪問
スランゴスレンの貴婦人たち エレナー・バトラーとセアラ・パンスンビィ 年の離れた二人の女性カップル 1778年3月30日に駆け落ち、ウェールズの寒村スランゴスレン「プラス・レワイズ(新しい館)」で暮らし始める。のち隠者として有名になり、著名人から賛辞を贈られる。
悪路整備が高じて道路建設へ ジョン・メカトーフ 四歳で失明、商才にたけており、駅馬車事業ののちに悪路改修に目覚める。1752年、ターンパイク法(第一次)をきっかけに、ボローブリッジ=ハロゲート間に有料道路が通る。三マイルごろに料金所をおくことを進言し、新しい橋の建設にも関わった。1754年8月に架橋し、郵便馬車事業を売却、500ポンドを元手に道路建設事業へと舵を切った。

ツーリズムの産業化 プランプターによる観光業への観察 湖水地方の博物館(提督ピーター・クロスウェイトとハットンの競争)

4歩くことは詩そのもの ロマン派詩人によるウォーキングの追及

・空想の中でも歩く ――詩人コウルリッジ「シナノキの木陰は監獄(This Lime-tree Bower My Prison)」(1797,1800)楽しみにしていたピクニックに行けなくなったことを嘆いた詩

Well, they are gone, and here must I remain,
This lime-tree bower my prison! I have lost
Beauties and feelings, such as would have been
Most sweet to my remembrance even when age
Had dimm’d mine eyes to blindness! They, meanwhile,
Friends, whom I never more may meet again

→傍にある自然から「Life」賛美へ

・さまようこと、すなわち情熱 ワーズワス
ウィリアム・ワーズワース『序曲』「アルフォックスデン日記」 「ワーズワスにとって『公道』は自分が構築する詩的世界へ通じる「道」なのである」p176

・心の満足を求めて ――孤独にストイックに
ロバート・ルイス・スティーブンソン『徒歩旅行』(1876) 「出発から到着までの過程を追いながら、旅する〈自己〉をつぶさに観察し、「歩くこと」の意味を分析した文章である」p178
歩行=自己充足の行為 自分の速度でもって歩きぬくこと
単独=複数人だとピクニック化 精神と行動の自由
道草=疲労を癒すとともに思索へと沈む、心地よい疲れ

『旅はロバをつれて』(1879) 南フランスセヴェンヌ山脈縦走
伴侶としてのロバ←『トリストラム・シャンディ』第七巻

アルカディアを自身のなかに求めて 旅の目的は旅(旅についての現代的な意識表白)畳む
Icon of admin
あおうま
#読書 #英国流旅の作法

中島俊郎『英国流旅の作法 グランド・ツアーから庭園文化まで』(講談社学術文庫)
空読みしないように作成していきます。

§序章 〈田園〉とイギリス人

旅(travel)が旅行(trip)に変貌をとげ、鉄道が招来したトマス・クックのマス・ツーリズムが起こるまでの、ほぼ一七三〇年から一八三〇年まで実践されたツーリズムに焦点をあて、そこに継起した文化現象の諸相を読み取る試み

湖水地方、ロンドン、ガーデニング、ウォーキング、風景画 → 〈田園〉カントリーサイドの概念
「イギリス人の田園は、ラテン詩人ウェルギリウスの『牧歌』のなかでうたわれた理想郷〈アルカディア〉でもあるのだ。だから田園は精神的慰藉の場であると同時に知的源泉でもある」p.11
18c以前「創作力の源」→18c以後「慰藉の場」※イギリス人の旅文化によって移入、涵養されたもの

§第一章〈アルカディア〉を求めて(貴族子弟の「グランドツアー」https://cragycloud.com/blog-entry-479.ht...

1「制度」の誕生

貴族の子弟が社会に出る前に、教育の仕上げとして組まれた教養旅行がグランド・ツアー。
やがて慣行化し制度化する。(リチャード・ラッセルズ『イタリアの旅』1679 など)
→家庭教師が引率し、忠実な従者とともに三者でイタリアを周遊するという定型

2 旅程と道中

エリザベス朝から実行されていた(フィリップ・シドニー 1572-75)
やがて大衆化し、18cにもっとも盛んに行われる。
1815 ウォータールーの戦い以降は戦争を観察する場合もある。
トマス・クックによる「旅行の民主化」により消滅。1マイル1ペニーの列車料金(ウィリアム・グラッドストン)

cf 連載「観光の世界史」ノートより トマス・クックと旅行業の始まり
http://www7b.biglobe.ne.jp/~aki141/cook....

そうした中で、トマス・クックは、1841 年に近隣都市で行われる禁酒大会参加への募集
型旅行を実施し、その後もしばらく無報酬で観光ツアーを続けたが、4年後の 1845 年、
初めて手数料5%の収益事業としてリバプ-ル行きのツア-を組織した。1854 年、
ついに本業の印刷業をやめて旅行業専業となるのだが、はじめての禁酒大会ツアーから専
業者になるまで 13 年かかっている。当時は、それだけ旅行業を専業として成り立たせるの
が困難であったことを示すものであろう。


一般的な旅程は、往路でフランス・カレーに到着、フランスを横断、陸路ならばアルプスを越え、海路ならマルセイユからイタリアに入国する。ナポリ、シチリアまで南下する。一大目的地はローマ。復路も同じルート。ドイツを経由してオランダ、ベルギーを通り、出発地のドーヴァーに戻った。馬車の居心地の悪さ、悪路、宿泊施設の不潔さ、疫病による隔離や通行証に関しても労苦が絶えなかった。土産物として重要だった美術品購入も、贋作をつかまされたり奸計に満ちていたが、需要は絶えなかった。

3旅の誘い

旅行記が人々のツアー熱を刺激した。

イタリア旅行記の早い例はエリザベス朝時代から書かれている。

・外交官トマス・ホービィ(カスティリオーネ『宮廷人』1528英訳)エリザベス朝の最も影響力ある文献 ルネサンス宮廷文化を描き、イタリアへの知的憧憬をかきたてる。
・イタリア学者ウィリアム・トマス『イタリア人』(1549)「ガイドブック」ローマ、ナポリ、フィレンツェ、ヴェネツィアなど、今も観光地である主要都市を章立てして紹介

十七世紀に入り、より興隆する。

・旅行家トマス・コリヤット『クルディティーズーフランス・イタリア紀行』(1611)
・旅行家パトリック・ブライドン『シチリア・マルタ紀行』(1773) 目的地の南下に寄与、ブリストル図書館蔵書中貸出記録一位(1773-1784)

4 旅人の群像
グランドツアーによる〈知〉のネットワーク……ゾファニー『ウフィツィ美術館のトリブーナギャラリー』を素材にして
22名のグランド・ツーリスト、47点の絵画、6点の彫像……「ジェントルマンの展示法」

20230407040501-admin.jpg

ウフィツィ美術館のトリブーナ・ギャラリー(メディチ家のコレクションを基礎にした名画、名品を収蔵)を写したもの。
1772年、シャーロット王妃の命で制作を開始した。しかし王妃はグランド・ツアー中心の絵に失望、ゾファニーは失脚した。
「グランド・ツーリストがルネサンス傑作にふれ、西欧文明の成果を一身にあび、その伝統につらなることの意味を表現している。
トリブーナにある芸術作品とグランド・ツーリストであるイギリス人の貴族は対比、同化され、ゾファニーの絵画のなかに描かれることで自らが伝統の一員になれたのである」p43

・右寄り第一グループ ティツァーノ『ウルビーノのビーナス』(裸体画ジャンルの確立)⇔レスラーの彫刻

20230407041121-admin.jpg

左手を剣におき、説明に聞き入っている貴族はイギリス公使ホーレス・マン(バース勲章をつけている)グランドツアーにて人々を歓待する名物男
「イギリス人旅行者を心づくしの食事で歓待するのを最大の職務としているイギリス公使」byエドワード・ギボン
マンに絵の説明をしている人 画家トマス・パッチ 風刺画

・左寄りの第二グループ ラファエロ・サンテロ『小椅子の聖母』

20230407041749-admin.jpg

キャンバスを持って居る人物 画家ゾファニー(自身)
ジョージ・ナッソ・クレヴァーリング・クーパー伯爵(ゾファニーのパトロン)1777 王立協会


・右端第三グループ 『メディチのビーナス』(古代ギリシアの美を代表するもの)付近の人々
By Sailko - Own work, CC BY 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.ph...

20230407042140-admin.jpg

サー・ジェイムス・ブルース(アフリカ探検、ナイル源流ギッシュ到達)『ナイル川の源流を求めた旅』1790
ジョージ・フィンチ伯爵(第九代ウィンチルシー伯)
トマス・ウィルバハム、ジョージ・ウィルハバム
ワッツ、ダウディ

5 あるグランド・ツーリストの肖像(ウィリアム・ハミルトン)
1761 ハミルトン、ジョージ三世侍従としてナポリのイギリス特任全権大使に。美術品蒐集の道へ
1766-67 『エトルリア、ギリシア、ローマの古美術』全四巻を刊行 →ジョサイア・ウェッジウッドら
1767 ヴィスヴィウス火山噴火、観察する
1771.8 イギリス本国に一時帰国、ブリティッシュミュージアムにコレクションを8400ポンドで売却、古美術協会会員に
1776 - 79 『カンピ・フルグレイ、両シチリア王国の火山についての考察』
1777 グランド・ツアー経験者組織「ディレッタント協会」会員へ
1782 妻キャサリン、発疹チフスで没。イタリア半島南西カラブリア、シチリア島メッシナへ傷心旅行。地殻変動から生じた地震についての論考。
1783 甥グレヴィール宅にて、エマと出会う
1791 エマと結婚するが、批判を浴びる。エマはその後ネルソンと不倫、娘ホーレシアをもうける。

薔薇「レディエマハミルトン」
https://www.davidaustinroses.co.jp/produ...

6 旅文化を支える精神的支柱

18c中期 ルネサンス人文主義者は精神のよりどころを古典文学に求めた 
→「趣味」古典中心の教養主義。カントリーハウス、庭園、古美術や書籍の収集
1720年以降、大規模な庭園は古典様式の館や神話の英雄、伝説上の人物、古代の神々などの彫像でいろどられるようになる。
イタリア十六世紀の建築パラディオ様式(https://www.houzz.jp/ideabooks/74861807/...)とルネサンス建築が支持され、大衆にはとても理解できない寓意がこめられていた。
両者ともに社会への通過儀礼として制度化されたグランド・ツアーに涵養された「趣味」であり、支配階級の富と権力の証として、カントリー・ハウスと庭園のなかに具現化された。

cf.5分でわかるデザイン様式:イギリスに定着した「パラディアンスタイル」 | Houzz (ハウズ) https://www.houzz.jp/ideabooks/74861807/...

18世紀以降に建てられたイギリスの建物を見ると、ペディメント(破風/はふ)やコラム(円柱)、ポルティコ(柱廊)などが使われた、古代ギリシャ・ローマの神殿風のスタイルが多いことに気づきます。16世紀のイタリアでルネサンスの建築家アンドレーア・パッラーディオが確立したこの様式は、その後イギリスや北ヨーロッパに伝わりました。特にイギリスではルネサンス時代とジョージアン時代に流行した後、一度も廃れることなく愛され続け、今ではイギリスのトラディショナルな様式として定着しています。


cf.5分でわかるデザイン様式:イタリアから英仏に伝わったルネサンス様式 | Houzz (ハウズ) https://www.houzz.jp/%E7%89%B9%E9%9B%86%...

古代ギリシャ・ローマの学問や知識の復興、つまりルネサンスは、15世紀のフィレンツェで始まり、その後ヨーロッパ各地に伝わってそれぞれの地で開花します。今回はイタリアから北上して16世紀から17世紀にかけて発展した、フランスとイギリスのルネサンスについて解説しましょう。

☆風景式庭園 ←17cイタリアからの風景画(グランド・ツアーの土産物として適当)が影響
牧歌的なアルカディアの風景、古代の神話から想を得た作品

・クロード・ロラン

20230407045244-admin.jpg

・ニコラ・プッセン  Et in Arcadia ego
20230407045355-admin.jpg

・サルヴァドール・ローザ

20230407045537-admin.jpg

これらの画家の作品を三次元的に庭園内に再現しようとした。(ex. スタウヘッド庭園 https://www.nationaltrust.org.uk/visit/w...

グランド・ツアーと庭園 初代レスター伯トマス・ウィリアム・クック(屋敷経営)

「ここでまず風景式庭園につきまとう誤解を退けておこう。つまり風景式庭園はすべて精神的な産物であるという見方に疑問を呈しておきたいのである。(中略)じっさいジェントリーは広大な土地を維持していくのに膨大な出費を強いられたし、古典的な幾何学式庭園はあまりにも費用がかさんだため、ありのままの自然を大きくとりいれた風景式庭園を是認した側面は否定できない」p65

7 旅の地下水脈――アルカディアの伝統(『牧歌』ジャンルのダイナミズム ウィリアム・エンプソン『牧歌の諸相』)

アルカディア:ギリシアのペロポネソス半島中央に位置する山岳地帯の名称。アルフェイオス川が流れ、支流も分岐。国土全体は山。牧畜が主力で、パンを地神として崇める。樫の木を伐り出すため、アルカディア人は古来ドリモティス(オークが繁る平原)とも呼ばれてきた。オウィディウスとウェルギリウスによって、無垢な牧人が住む夢幻郷としてつくりあげられた。

テオクリトス『牧歌』
ウェルギリウス『牧歌』(cf ウェルギリウスについて – 山下太郎のラテン語入門 https://aeneis.jp/?p=8544)

後世のラテン詩人たちがこのアルカディアを想像の赴くままにローマ外部へ特定した。
ボッカチオ(トスカーナ、コルドヴァ近く)、タッソー(近代イタリアに対地すべきすべての場)
フィリップ・シドニー『アルカディア』(1590)

cf.wikipedia

原題『Countess of Pembroke's Arcadia』。シドニーの最も野心的な作品で、シドニーのソネットと同じくらい重要なもの。この作品はパストラルな要素とヘレニズム期のヘリオドロスから派生した雰囲気を結合させたロマンス(en:Romance (genre))である。この作品の中ではきわめて理想化された羊飼いの生活がジョスト、政治的裏切り、誘拐、戦闘、強姦といったストーリーと(常に自然にではないが)隣り合っている。16世紀に出版されたこの物語はギリシア文学を手本にした。物語はおのおのの中に組み合わされ、異なる筋が絡み合っている。

17世紀、ウェルギリウスの伝統を継承したローマの画家たちがアルカディアを視覚化した。→ニコラ・プッセン『アルカディアの牧人たち』

アルカディアの変奏 アレグザンダー・ポープの牧歌(ウェルギリウス『牧歌』を本歌取り)
産業革命下のアルカディア ワーズワース「マイケル」(同時代に生きる羊飼い…エンクロージャーの流れを受け、都会へ出稼ぎに出た牧人の息子・ルークは破滅し、マイケルの土地は残らず未小屋も建たない)
現代によみがえるアルカディア 1996.10 「グランド・ツアー ――十八世紀イタリアの魅惑」ロンドン、テートギャラリー 子供崇拝(無垢な時代としての幼児期、自然の表象としての子供)
畳む