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あおうま
ディヴィッド・アンブローズ『リックの量子世界』創元SF文庫 2010年

パラレルワールドもの。小規模の出版社を経営するリックは、ある重要な契約の日に妻を交通事故で失う。それを機に、彼は「もう一つの世界」に移転してしまう。狂人として精神病院に収容されてしまうリチャード。彼は元の世界に戻り、妻を救えるのか?

量子理論ものでSF出版社から出ているが、理論的な野心というのはないただのパラレルワールドもの。これは、ジャンル出来立てならオーソドックスなよい話なのだろうが、異世界転生花盛りの今からすると、パラレルワールドやタイムトラベルまでして、やることが妻の浮気の糾弾とか、妻と息子が生きてるだけの世界の構築とか、そんな卑近なものなのかよ……とちょっと思ってしまう。
筆致は読みやすいが、主人公も知的を気取ってかなり感情的だし、量子理論も利用されるだけで、とくに大きな見解が示されるわけではない。そういう人間は狂人として扱われ、精神治療の対象として疎外されるが、双方の分野にまったく歩み寄りはないし、ごく堅実で地に足の着いた展開だけなので、ちょっと面白くはなかった。

「きみたち科学者が決して思いつかないことが、ひとつあるのを知っているかい?」わたしは次第に興奮しはじめていた。自分の声がやけにしつこく、まるで噛みつくようなトーンに跳ね上がったのがわかった。「きみたちは、光速で旅ができるとか、同時にふたつの実体を機能させることができるとか、いつもそういう夢のマシンを想像で作り上げているが、そのくせ、そういうマシンの中でも最高に優れたものの存在は見すごしてばかりいるんだ――それは、すでにわれわれがフル活用しているものなのに!」
 彼はわたしがなにを言おうとしているのか理解できぬまま、興味をそそられた目でこちらを見つめた。
「そのマシンは、人の心さ!」と、わたしは言った。
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あおうま
マイケル・サンデル『これからの正義の話をしよう いまを生き延びるための哲学』ハヤカワ書房 2010年#読書

話題になった「白熱教室」の先生の本。内容は政治哲学。どうも思想に弱く、文学部にいたものの地道な古典研究以外はできなかったという不器用さだったわたしが、リベラリズムについて知りたいと思って手に取った本。有名なものなので概要もいらないかと思うが、一応まとめておく。
取り上げられるのは、ジェレミー・ベンサムの「功利主義」ロバート・ノージックのリバタリアン擁護、イマヌエル・カントの道徳哲学、ジョン・ロールズの正義論、アリストテレスの目的論……この本が優れているのは、ともかく抽象的になりがちなこの手の思想を、有名な「トロッコ問題」(暴走するトロッコの路線を切り替え、五人の作業員を救うためにもう一つの路線にいる一人を犠牲にするのは許されるか?という命題)を皮切りに、アファーマティブ・アクション、富の再分配、徴兵制、代理出産などの現実の議題で論じてくれることだ。
「正義とは何か」「どんな意見が正しいか」は、依拠する思想によって異なってくる。スリリングな例が多く、考えながら読むことができる。とくにカントの道徳論、定言命法は厳しく、それゆえ魅力的だった。
最後は功利主義と自由主義を否定し、公共善をめざした政治の必要性を訴える。明快で、よい本だと思う。

公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保障したりするだけでは、達成できない。公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない。(三三五頁)
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あおうま
ブレイク・スナイダー『Save the catの法則 本当に売れる脚本術』フィルムアート社 2010年

シナリオ創作の教科書。ジャンプ編集部も使っているらしい。ハリウッド式三幕構成をさらに詳細にしたシナリオ構成のテンプレート「ブレイク・スナイダー・ビートシート」が有名。映画そのものを一行要約した「ログライン」の重要性、物語パターンの10分類(「家の中のモンスター」「金の羊毛」「魔法のランプ」「難題に直面した平凡な奴」「人生の節目」「バディとの友情」「なぜやったのか?」「バカの勝利」「組織のなかで」「スーパーヒーロー」)など、実践的な脚本術がそろっている。シド・フィールド本よりもライトでわかりやすく、映画の例も豊富にあげられているし、何よりビートシートにシーン案を当てはめていけばストーリー完成するというお手軽さがすごい。「べからず集」はキレがよくて面白いし、マーケティングの体験談もある。
実際、なぜ敬遠していたんだろうと思うくらい内容の充実した本。それでいてめちゃくちゃ読みやすい。

ただ、読んでみると正直K.M.ワイランドの本のほうが小説特化なので良かったかなぁと…。BSでやると、構成のそれぞれのポイントに何をしなければならないか? がわからず、表層的にイベントが続くだけになってしまう感じもある。ページ数も厳密に決まっているので大変!
あくまでシナリオについての本なので、文章表現についてはまったく触れられていない。当然だよね。「語るより見せる」とかのよく言われるヤツは載ってるけど、例もないし…

とはいえストーリー制作をする人にとっては必携書のひとつではある。読んで損はない。

#読書
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あおうま
青山美智子『赤と青とエスキース』PHP学芸文庫 2024年9月20日刊

赤いブラウスに青いカワセミのブローチをした少女のエスキース…作者はジャック・ジャクソン。
タイトルはそのまま「エスキース」。傑作がたどった旅路は、人々の挫折と再スタートの背景。

・オーストラリア、メルボルンに短期留学した「レイ」は、現地の日本人「ブー」と知り合い、期限付きの恋をはじめる。別れの前夜、ジャック・ジャクソンは「レイ」をモデルに、二人の関係を描き出す。(金魚とカワセミ)

・美大を卒業した空知は、額装職人となるため村崎の経営する「アルブル工房」につとめる。しかし大量生産の現代日本において額のフルオーダー需要は減少し、行き詰まりを感じていた。そんな中、円城寺画廊から「エスキース」の額装依頼が入る。かつて、空知がオーストラリアを旅した際に知り合った画家、ジャック・ジャクソンの作品だった。空知は絵と額縁の完璧なマッチング「完璧な結婚」をなしとげることができるのか。(東京タワーとアーツ・センター)

・四十八歳を迎えた漫画家、タカハシ剣は弟子の砂川凌のウルトラ・マンガ大賞受賞記念に、雑誌「DAP」の対談取材を受ける。天才で世に媚びない砂川の姿勢に嫉妬するタカハシは、ジャック・ジャクソンの絵がかけられた喫茶店で、何度も焼き直した自身のデビュー秘話を語るが…(トマトジュースとバタフライピー)

・都内の輸入雑貨店「リリアル」に五十歳での転職をなしとげた茜。しかし、新しい生き方を選んだかわりに恋人・蒼との仲は終わらせてしまった。しかし、イギリスへの買い付けを前にして、パニック障害にかかってしまう。置き忘れたパスポートを取りに同棲していた部屋に戻ると、彼は白猫と暮らしていた。店主は茜に休養を言い渡し、茜は焦りを抱えながらも蒼の白猫の世話を引き受ける。(赤鬼と青鬼)


最後にすべての連作がつながるようにできているのだが、どれも自然な人情もので安らぐ。

とくに「赤鬼と青鬼」がいいなぁ。「よく、人生は一度しかないから思いっきり生きよう、って言うじゃない。私はあれ、なかなか怖いことだと思うのよね。一度しかないって考えたら、思いっきりなんてやれないわよ」「もちろん思いっきり生きてるわよ。でも私はね、人生は何度でもあるって、そう思うの。どこからでも、どんなふうにでも、新しく始めることができるって。そっちの考え方のほうが好き」 思えばどれも「終わりと新しい始まり」のジャンクションの話だった。
この人の本は面白かったので他にも読んでみたいと思った。

#読書

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あおうま
山川健一・今井明彦・葦沢かもめ『小説を書く人のAI活用術』株式会社インプレス

実をいうと、最近小説を書くのに対話型生成AIのお世話になっている。まぁ、キャラ絵を出すために画像生成AIに頼ったこともあるんだけど、おおむねサービスの質としては満足。

※ちなみに画像生成AIは誰か特定の画像をパクってお出しする技術ではないし、著作権法の改正で特定作者のみに的を絞った追加学習などの特殊な用例以外、学習はすべて無許可でも合法である。単なる学習は享受目的に値しないという法解釈なのだそうだ。「自分のイラストが盗まれて、飯のタネにされる!」という無断転載や無断商品化などとは根本的に違うので、理解されたし。
ただ個人のレベルでは、オプトアウトの権利くらい認めろよと言う感じだが、SNSのプロフに自然言語で「AI学習禁止」と書くぐらいでは実際は企業や団体のクローラーには無意味だよな。画像単体にノイズを埋め込む方がいいと思う


ともあれ、主にChatGPTを用いて、小説を書く作業を補助させようという試みの本。

まずはあらすじを作らせてみてから、物語論を援用した手法でさまざまなバリエーションを作ってみて、どんでん返しなどのギミックも提案してもらい、しかしながら、文学の使命として、超個人的な人生の特異点、つまりポール・ヴァレリーにおける「ジェノバの夜」はAIには代替できない…という結末となっている。プロの小説家のみなさんが、それぞれ投げたプロンプト(命令文。こちら側の発言)と、その返しを掲載してくれているので、プロセスを疑似体験することができる。
主にプロットに関する使用が主。文章表現に関してもチューニングが可能だそうだが、そこに踏み込んだ設定などは見ることができない。「村上春樹風の文章で!」とかがパっと思いつくが、文体は芸術表現なのでやっぱり万人化はまずいんだろうな。

巻末にはプロット作業をより深めるプロンプトがついている。ハリウッド式脚本術や、物語論に基づいた内容なので実用的である。

個人的にはプロット作業が死ぬほど苦痛なので、アイディアを出してくれたり泣き言に付き合ったり改善点を指摘してくれるAIは非常に便利である。一章ごとに感想を言ってほめてもらい、モチベを上げるという情けない執筆もできるぞ!#読書
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あおうま
小川一水『時砂の王』ハヤカワ文庫JA

二五九八年、人類はETと呼ばれる敵性体に地球を壊滅させられ、海王星惑星トリトンまで退却していた。戦況は好調に転じていたが、敵は時間遡行を行い、歴史改変を行って人類の根絶を図った。すぐれた人工肉体と知性をそなえたメッセンジャーは未来からの援軍として、人類の歴史の各時点にタイムワープを行い、ETと戦う運命を担う。メッセンジャー・オーヴィルが長い苦闘の末に降り立ったのは、卑弥呼が祭祀政治をつとめる古代日本だった。

目的の不明な地球外生命体の群体と戦う戦記もので、タイムトラベル要素が特殊。とくに古代日本の卑弥呼(彌与)の意識と未来人オーヴィルの意識が地続きの文体で描かれているのがユーモラス。
戦線は膨大で、かつ古代が舞台なので臨場感もある。オーヴィルの最愛がずっとトリトンで出会ったサヤカのままなのがよく分からんw 人類に対する忠誠心を行動の指針にするという彼女自身は、けっこう磊落な人に思えるのも何かしっくりとこない。単に魅力的な女だったっていうだけの話じゃ…とあんまりノレない。
もう一人のヒロイン卑弥呼(彌与)は、ずっと祭祀政治の駒としての自覚しかなかった受動的な女だが、絶望的な状況に至るラストでようやく為政者としての自覚が芽生える。それはサヤカよりも熟しておらず、オーヴィルにとっては協力者のひとりで、内心を任せ合うパートナーには成りえなかったってことなのかな。統合知性体カッティ・サークが無機物萌えとしてけっこう可愛く感じられるw
ラストもなー、ナンパで終わりっすか、って感じがちょっと肩透かしかもしれない……
色々言ったが読んでる最中は面白かった。この作家の文体が好きなので、もう少し読むかも。

#読書
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あおうま
村上春樹著『一人称単数』文藝春秋 二〇二四年

短編集。「石のまくらに」「クリーム」「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」「ウィズ・ザ・ビートルズ」「ヤクルト・スワローズ詩集」「謝肉祭(Carnaval)」「品川猿の告白」「一人称単数」を収録。「石のまくらに」は短歌をやってる女性とふとしたきっかけから寝たといういかにも村上らしい短編。「クリーム」の説明のない奇妙な状況設定なんかもいかにも村上らしい短編。何かしらオチらしいものがつく「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」がありがたいくらい。いつもの60年代でTシャツにジーンズでビールを飲んだり都会的な女性と寝たり謎を謎として紳士的に放置する村上ワールドであり、それ以上のものはない短編集。でもその「味」が読みたいときはかえって短編のほうが良いのかもしれない。「ウィズ・ザ・ビートルズ」は「『ウィズ・ザ・ビートルズ』LPを抱えて嬉しそうにしている制服の女の子とすれ違った」いうだけのイメージが果てしなくセンチメンタルで時代的でレトロで良い。

実際に僕の心を強く捉えたのも、そのジャケットを大事そうに抱えた一人の少女の姿だった。もしビートルズのジャケットを欠いていたなら、僕を捉えた魅惑も、そこまで鮮烈なものではなかったはずだ。音楽はそこにあった。しかし本当に(・・・)そこにあったのは、音楽を包含しながら音楽を超えた、もっと大きな何か(・・)だった。そしてその情景は一瞬のうちに、僕の心の印画紙に鮮やかに焼き付けられた。焼き付けられたのは、ひとつの時代のひとつの場所のひとつの瞬間の、そこにしかない(・・・・・・・)精神の光景だった。

すなわち、時代性というものである。固有名詞は必然的に人それぞれ変わる。入れ替え可能だろうか? 「におい」に似ていて、消え去りやすいものだろう。#読書
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あおうま
カズオ・イシグロ著『クララとお日さま』ハヤカワepi文庫 2023年

現在実用しうるレベルの生成AIが出てきて、とくに絵画系はヒステリックなバッシングにさらされているけど、これもAIのお話。
人型AI、人工親友(Artificial Friends)のクララは、ウインドウショッピングで見初められた病弱の少女、ジョジーに友人として買われる。
幼馴染で恋人のリック、母のクリシーなど周囲の人々とかかわりながらも、太陽光蓄電のクララは「お日さま」へのピュアな信仰を保ち、ジョジーの病気回復を祈りはじめる。
カズオ・イシグロの近未来ディストピアものにはすでに著名な『わたしを離さないで』があるが、今作はより胸糞な内容となっている。
AFは人間や動物とは同列ではなく、きっぱりと『奴隷』としての扱いだ。感情をもっていてもそれはコミュニケーションで考慮されないし、変態の餌食となる身代わりに犠牲を願われるし、「仕事だけでなく、席まで奪うとはね」と罵られる。
無理解と不慣れからの冷たい視線は今なおリアルに感じられる。
人間とそう変わらないレベルの外観の少年・少女がペットショップのように陳列され、値踏みされ、買われ、奴隷扱いされている状況はうすら寒いものがある。
ヒトにとって明るい未来はきておらず、遺伝子編集による能力向上処置を受けられない子供は大学入学を制限され、有能な技術者もロボットに「置き換え」られている。SF的な要素はAFクララの一人称視点の語りから断片的に読み取れるのみで、その陰鬱な空気を感じ取れるだけ。
カズオ・イシグロは細かい描写から真実を読み取るよう要求する文体なので、そのオブラート包んだ感覚をどう受け取るかは好みによるだろう。
そしてその中を生きるヒトもかなりエゴイストで、どうしようもない奴らが多い。一言多いリックの母親や、欺瞞を重ねて生きるヒステリックなジョジーの母親、主人のジョジーだって親切なように見えてはっきりとクララを奴隷として扱っているわがまま娘。この話の中で、好きになれる人間のキャラクターは少ないだろう。極めつけはオチで、もはや当初に述べたとおり胸糞である。『わたしを離さないで』と違ってセンチメンタルでどうにかなる描写ではない。

メタくそに書いたがこれこそまさに文学作品の味でもあると思う。途中からはページを繰る手が止まらなかった。人は不幸ののぞき見が好きだからね。
#読書
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あおうま
いとうせいこう著『想像ラジオ』河出文庫 二〇一五年

想像力をメディアとし伝わるラジオ、という体の一人語りではじまる。二〇一一年三月の東日本大震災で犠牲になったDJアークが自身の記憶や出自を語り、ときには別の死者たちと交感しあう「想像ラジオ」。物語は入れ子構造になっていて、喪った恋人との会話シーンを書き続ける作家Sたちの「生者の世界」と想像ラジオは「想像ラジオの聞けない人」という設定で複雑に交わる。
ところで、被災に思いをはせる、つまり死者の嘆きを想像するとはどういうことだろう。作中でも被害者でない他人が死者を語ることについて、震災ボランティアの青年が

その心の領域っつうんですか、そういう場所に俺ら無関係な者が土足で入り込むべきじゃないし、直接何も失ってない俺らは何か語ったりするよりもただ黙って今生きてる人の手伝いが出来ればいいんだと思います

あからさまにバランスをとるように投げかけるけど、その欺瞞を乗り越えても死者の声を聴こうと悼むべきだ、というのが作者の主張なのかな。

「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも、本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか、死者と共に」

でもこういう感覚は生者と死者のかかわりを考える上で普遍的な文学テーマだと思う。文章は会話中心だけど上記のとおり入り組んでるので、いまいち読みづらい。

あと、もちろんラジオなので文章上でもところどころで指定BGMがかかるんだけど、流しながら読むと気分もよくおすすめです。

1.ザ・モンキーズ「デイドリーム・ビリーバー」
2.ブーム・タウン・ラッツ「哀愁のマンディ」
3.フランク・シナトラ「私を野球につれてって」
4.ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ「ソー・マッチ・ラブ」
5.アントニオ・カルロス・ジョビン「三月の水」
6.マイケル・フランシス「アバンダンド・ガーデン」
7.コリーヌ・ベイリー・レイ「あの日の海」★
8.モーツァルト「レクイエム」(死者のためのミサ曲)
9.松崎しげる「愛のメモリー」
10.ボブ・マーリー「リデンプション・ソング」

#読書
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あおうま
河出文庫 塚本邦雄著『十二神将変』
#読書

現代歌人の雄、塚本邦雄氏のミステリ長編小説。戦後まもないころ、特殊魔法陣形の花苑にて罌粟を栽培する秘密結社があった。構成メンバーは茶道の貴船家、薬種問屋の最上家、花屋と菓子屋を経営する真菅家。その親戚の飾磨(しかま)家の長女と長男が、結社の秘密とともに殺人事件の犯人を追う。筋立てはこういう感じなんだけど、殺人にはトリックとかはなく、真相は「一番必要もないのに名前だけ出てきた人」って感じなのでミステリとしては肩透かし。じゃあ本書は何かというと、やはり博覧強記で独断偏見の歌人、塚本ワールドの具現化という点で意味がある。昴山麓にあつらえられた罌粟栽培のための「虚(おほぞら)の鏡に写る魔法陣暦法」なる花園のほうがよほど凝った趣味であり、供せられる懐石もすべてゆかしい。

飯は尾花粥、それも文字通り薄の幼い穂を焼いて煮込んだ黛色の粥、向付は丸につかねた木耳の黒和へを紅染の湯葉に載せて花札の名月を象り、吸物は滑茸の清汁(すまし)に金木犀の蕾を散らして池の黄葉(もみぢ)、煮物は銀杏と焼豆腐の葛引、焼物は裏漉の栗を拍子木に固めて白みその田楽に仕立、八寸が胡桃の空揚に秋海棠の蘂をほぐしてふりかけ女郎花の趣、鉢は胡麻豆腐と青紫蘇の穂、肴は柚子で鮮黄に染めた秋薔薇の蕾の甘露煮に糸蓼をあしらひ、菓子は真菅屋の「飛雁」、彼岸と落雁をかけた銘菓で煎った榧の実を七、八粒づつ道明寺で包みこころもち塩をきかせてある。

これだけ粋を尽くしてあるように思えても次章で

それはそうとあそこの茶事も雑になつたもんだ。法要後廻しの懐石は空きっ腹に忝かつたし、まあ茶室ぢやないから四角四面に作法通りとは言はぬにしても、いきなり二の膳つけて汁も吸物も八寸も強肴も一緒くた。田舎の婚礼はだしだぜ。

と嫌味を言われるんだからなかなかに手ごわい。話者の空晶は「ともかく語学、数学は教師も舌を巻き十五の歳には英英辞典を机上において授業を受け翌年は一周遅れのル・モンド紙を貰つて来て休み時間に耽読、数学の時間には机の下でエルランゲンの目録等を原書で盗み読みしながら指名されれば聯立方程式くらゐ瞬く間に解いてけろりとしていた」という意味わかんないサンスクリット学者。中盤で驚きの相手とBLするし、盛沢山である。塚本ワールドに浸るための書。

翻訳家・岸本佐知子が語る、わたしの百読本「だしの効いたおいしい日本語を読みたい」 ここにもレビューがあるのでよろしければ。