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あおうま
J.K ローリング『ハリー・ポッターと謎のプリンス』Kindle Unlimited

反ヴォルデモート卿組織「不死鳥の騎士団」は犠牲を出しながらもホグワーツ魔法学校内から魔法省の支配をある程度取り除くことに成功する。ハリーたちは六年生になり、進路を決めるOWLテストを受ける年齢。宿敵・セブルス・スネイプは念願かなって「闇の魔術に対する防衛術」の教師となり、魔法世界の影の実力者ホラス・スラグホーンもダンブルドア校長のある狙いにより「魔法薬学」の教師として就任する。ダンブルドア校長も成長をみせたハリーたちに真相を隠すのをやめ、打開策を探るためにヴォルデモート卿の真実を教えていく。ハリーは授業で「半純血のプリンス」と署名された古い教科書の書き込みに助けられ、次第に夢中になっていく……。

スラグホーン先生は俗物なんだけどけっこう憎めないw ズルの薬を使って彼の秘密を暴くくだりは滑稽でお気に入り。ミスリードにはひっかかりまくったが、正体がわかってみると「純血のプリンス」の中二病っぷりが痛い。でも彼はまじめに勉強はしていましたね。今まで絶対の安全装置だったダンブルドア校長がついに戦いに身を投じていくのでけっこうショックなことが起きる。クィディッチは毎回欠陥スポーツだと思ってるけど、今回はとうとう主人公側がメンバー選抜なんかで不正をしちゃってるんで、世の中が腐ってくるとこういうことになるなぁとも思ったり。ロンの妹ジニーウィーズリーにハリーが惹かれる意味がいまいちわからない。前カノのチョウ・チャンは曲がりなりにも「かわいい」っていう絶対的なw理由があったんだけどな……ネビルも薬草学がんばってるね!
ラストは怒涛の展開で、実質学園生活最後の巻。そのまま最終巻に突入。

J.K.ローリング『ハリー・ポッターと死の秘宝』kindle版

二重スパイセブルス・スネイプの策略によりアルバス・ダンブルドア校長が倒れる。ハリーは成人年齢である17歳になり、守護魔法の効力が切れるため、間界の叔母たちとは永遠に別れる。「不死鳥の騎士団」による懸命な護衛策も見破られ、魔法省も完全にヴォルデモート卿に掌握されてしまう。絶体絶命の状況の中、ハリーは親友ロンとハーマイオニーと三人きりで、ヴォルデモート卿が死を克服するため己の魂を分割して収めた七つの「分霊箱」を探す逃避行の旅に出る。

長かったハリーポッターの戦いもこれで終わりである。何を書いてもネタバレなのだが、退場してしまう人物の多さは群を抜いている。結局ハリーは、律儀に幼馴染のスネイプと付き合い続けた母・リリーに似た性格なんだな。ずっとハリーが手を差し伸べ続けてきた劣等生ネビルの成長と活躍が泣ける。
スネイプ先生についてはもともと悪役としていい感じだし、そんなに嫌いではなかったのであれだが、最終巻に至って今まで特権地位に君臨してきたダンブルドアを理想的老賢者としての類型から社会による断罪で欲と血にまみれた現世的人物に解釈しなおすのが面白い。読了して全体の感想だけどやっぱり現代的なファンタジーとしてはかなりよくできている。魔法に変な独自の理論とかつけて窮屈にしていないところが逆に面白い。それでいて、ただのおとぎ話ではなく、ほかの魔法生物に対する魔法使いたちの高慢とか、人間との混血とか、より現実的で普遍的な政治問題を扱うので深みがありリアリティもある。竜に乗るとか聖剣を抜くとかのお約束はしっかりこなすところも安定感がある。
ハリーが心のふるさとになってくれていたウィーズリー家と親戚になれてよかった。六巻からは一気に読んだのでちょっとロスになってるw

さあ、これでようやくホグワーツレガシーをプレイできるぞ。

#ハリーポッター
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あおうま
川北 稔著『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書276) Kindle版
詳細

「砂糖」という、人類だれもが好む「世界商品」の歴史をみることで、近代以降のイギリス中心の世界史を解説。アジア、アフリカ、アメリカの鉱山や農場でとれる生産物のために、ヨーロッパ諸国は植民地獲得に乗り出す。十六世紀から十九世紀にかけての世界は奴隷貿易を前提に生産される「砂糖」でひとつにつながっていった――

概説書であるが、非常に面白い。紹介されているのは「世界システム論」(I.ウォーラーステイン)と歴史人類学の方法である。これ、宣伝文句にも書かれてるけど「世界史」選択の学生は読んだほうがいいだろうな。教科書を買いなおすよりよほどいい。「砂糖」という食品からみることで十六世紀以降の流れが具体的にわかりやすくなる。恥ずかしながら、「世界史」は暗記科目として通過しただけだったので、基本的な授業を受けたような気持ち。イギリスで「紅茶」が国民飲料になっていく段階や、上流階級にとってはステータスシンボル、労働者階級にとってはエナジードリンクでもあったという二重性なども勉強になった。ロンドンにあった紳士の社交場「コーヒー・ハウス」が堕落して衰退し、淹れるのがかんたんな「紅茶」のほうが家庭飲料となったために、今あまりイギリスに喫茶店はない、という事実も知らなかったw すべてに歴史ありである。kindle Unlimitedで読んだが紙でも買おうか…とすら思える本だった。

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あおうま
W・シヴェルブシュ著・加藤二郎訳『鉄道旅行の歴史 19世紀における空間と時間の工業化』法政大学出版局

産業革命時のイギリス、フランス、アメリカを例に、技術の進展に従って知覚が工業化されていく一連の過程を解き明かした本。テーマは体験的、個別的であった伝統的知覚から「パノラマ的知覚」への変容であるが、蒸気機関の開発からイギリス、アメリカでの発展を追った具体的な歴史の本としても読める。理論としてはウォルター・ベンヤミンのアウラ論とジクムント・フロイトの精神分析に立脚している。この本が面白いのは事項的歴史から人々の内面の変化を描き出そうとするところ。例えば鉄道旅行における人間の知覚の発展は次のように具象化される。

鉄道旅行の真実新たな刺激(、、)の一つは、その速度であり、それは近くにある対象に対する知覚の喪失、時間と空間の抹殺感を、結果として将来したものである。この新しい刺激は、最初は馬車の昔の速度に慣れていた旅行者をいらつかせた。だが次第に、この新式な速度と関連のあるもののすべてが、旅行者の心理に同化してゆく。フロイトの用語で言えば、刺激がいわば意識の表皮層をくまなく焼きあげ、「ある深さまでそれを変え続け」たのである。十九世紀の鉄道旅行者が列車の中で本や新聞が読めたのは、旅行が全感覚中枢を刺激する時間・空間的な冒険であったために、旅行中の読書など思いも寄らなかった初期の鉄道旅行者よりも、厚い表皮層を持っていたからである。後期の旅行者が、本を読まずに車室の窓から外を見る場合は、初期の人たちとは全く違う目で見たのである。われわれがパノラマ的見方と名付けた見方の発生は、刺激による意識の表皮層の「焼きあげ」が意識を変えるさまを、最も明瞭に示している。(二〇一頁~二〇二頁より引用)

またヨーロッパでの鉄道の歴史に特有なものとして、駅馬車での旅行を模すために市民階級はみなコンパートメント(個室)で移動するという特徴がある。一方階級意識の薄い米国では輸送は水路で行われるものという前提があった。したがって、車内は客船を模し、平準化されて大部屋のような開放的空間としてデザインされていく。この違いが非常に面白い。一八六〇年代にはフランスでのポワンソ裁判長のコンパートメントでの殺人事件を期に、社会不安まで巻き起こっていく。
列車の中での密室殺人、という想像力は一九三四年『オリエント急行の殺人』まで続いていくような気がする。大好きなエラリー・クイーン『Xの悲劇』(一九三二年)も鉄道殺人だったが、こちらの舞台はアメリカ、ニューヨーク。コンパートメントや寝台ではなく混雑した車両内での出来事。ほぼ同時代にスター作家によって書かれた推理小説だが、この本で論じられたヨーロッパと米国との鉄道の差異がいまだ残存している感じがある。

産業革命の象徴としての「鉄道」が当初人々に与えた不安感を、圧倒的な技術が環境と共に塗り替えていく。
AIに皆が期待といりまじった不安を覚えている今だからこそ読み応えがあり非常に面白い本。おすすめ!!
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あおうま
J.K ローリング『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 』Kindle版

PS5を買ったんでホグワーツ・レガシーをやるためにハリーポッターを全履修しようと思っているんだけど、前の「炎のゴブレット」あたりから一巻が長くなってきていてシンドイ。
今回はハリーもようやく十五歳という年齢になり、思春期まっさかりでイラついている描写が延々と続く。アンブリッジ尋問官も絵に描いたような悪役で嫌な気持ちにさせてくれるw
ただし、魔法省・ダンブルドアたち不死鳥の騎士団・ヴォルデモート卿と三つ巴になってから読み応えは増してきた。また、今まで単なるいじめられっ子に過ぎなかったネビルの活躍も目をひく。この巻でも登場人物の退場があるのだが、なんだかあっけない感じもあった……前の巻とは違って栄えある犠牲にすらなれない。ほんとうに悼んでいるのもハリーのみのような気がして救いないのがリアル。ずっとポジティブな希望を与えてくれていた父親・ジェームズや周囲の友人たちの無遠慮な残酷さみたいなシーンもあって人間模様が複雑。
こんな真実はいままでの幼いハリーじゃ受け止められなかったろうと思う。ただ、スネイプ少年に同情してくれてありがとう、ハリー。やはり物語のヒーローは優しくなくちゃね。
全体的にスカっとするエンタメなシーンは少ない。それにしてもバトルものは魔法中心だと叫んでばっかりになりがちで工夫しなきゃならないなぁと思った。

#ハリーポッター
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あおうま
石原千秋『名作の書き出し ~漱石から春樹まで~』光文社新書422 kindle版

「漱石から春樹まで」の十五作の文学作品をテキスト論で文学史含めて分析。「作者の意図」だの「作者の実人生」とひたすらに関連させて文学作品を読解する風潮は薄れたとは言い難いのでいまだにこの種の啓蒙書の意味はあるのかと思う。完全な「作者の死」を夢想したくもあるけど、それは現実なかなか難しい。とくに古典やってると
それにしても文学作品ていうのは、不倫あり近親相姦あり娼婦あり同性愛あり偽装婚ありセックスありドラッグありで大変だ。ここにあげられた十五作品に、どの要素も含まない規範的なものは存在しない。どれもかなり性的な匂いが強い(もしくはそういうふうな面を強調して選別している)
山田詠美の処女作である『ベッドタイムアイズ』って視点人物はドラッグには否定的だし、「わりとおとなしいよな」って思ってしまうほどであるwww

ポルノグラフィと文学の境界はどこにあるんだろう? 「自慰用のツール」としてつくられてはないって部分かな~と思うが。フェミニズム文脈でのポルノグラフィの定義だと一方的すぎてずれてしまう(→参考 関西大学学術リポジトリ 「<ポルノグラフィ>批判とポルノグラフィを消費する経験との間で」http://purl.org/coar/resource_type/c_650...

あとトポス論として『痴人の愛』(谷崎潤一郎著)に対して『たけくらべ』を引き合いに出したりしているのだけど

千束町と言えば、文学にとって記憶されるべき町だった。樋口一葉『たけくらべ』の舞台で、 しかもその主人公は「美登利」だったのである。こういう背景を考えれば、「奈緒美」という 名前が「美登利」から連想されたものであることは、当時の読者には自明のことだったろう。そして、 譲治が暗示しているように、千束町といえば遊郭に近接した町である。 そこの子供たちを書いたのが、『たけくらべ』だった。だとすれば、 十五歳で女給に出されたナオミの将来は、ほぼ決まっていたも 同然だったのではないだろうか。

(石原 千秋. 名作の書き出し~漱石から春樹まで~ (光文社新書) (Kindle の位置No.383-388). 光文社. Kindle 版.)

こういう読解がいわば緻密なリサーチから遊離した職人的技術のようにみえて、浅い若者(私のことです)は憧れるわけ。結論自体はよいとしても、傍線部あたりの論はかなり乱暴だし、こういう部分を客観的に埋めていくのが研究であるという教訓を忘れないようにしたいところですね。
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あおうま
かわい恋『王と獣騎士の聖約』徳間書店 キャラ文庫 【SS付き電子限定版】

 なんという幸福。死ぬことは怖くないと思ってきたけれど、楽しみにすらできるなんて。

 神獣によって力を得た半獣人の戦士である聖騎士の親善試合によって外交が動くファンタジー世界。広大な湖をランドマークとするジーンヴェルグ王国は、敵国トール王国に追い込まれ、国ごと支配下に入るという状態にあった。頼みとしていた炎竜のクロードも好色なイルギル宰相によって引き抜かれてしまい、すでに手持ちの駒はない。風前の灯火といってよい状況の中、美貌の青年王ユリウスは共食いをする穢れた種と蔑まれる黒獅子と誓約を交わし、みずから聖騎士になろうとする。しかし、黒獅子ネヴィルは恩返しにと自ら人間姿で騎士としてユリウスに仕える。黒獅子はその後、忠誠の対価として肉体関係を要求し、ユリウスは王としての矜持と屈辱に揺れる。

ようするに獣人×王様という話で、展開に捻りはそんなにないんだけどその分丁寧で安心感があるように思った。ユリウスがだんだんほだされていく過程がうまく書きだされていた。独特だなと思ったのが黒獅子のある意味宗教的な共食いの習性。ケモノ状態の攻めとの濡れ場もこの建前があるから凌辱感が少なく盛り上がるシーンになっていた。悲壮な感じではないが、王が黒獅子のつがいにまで堕ちてしまうところに耽美なカタルシスがあるw これも幸せの形だよね、と感じられる、いいBL。
エロシーンは多め。痛みと快楽が同化するマゾな人ってそんなに多いのかなぁ、というのが素朴な疑問。個人的にはあんまり使わないんだけど、わりと見る表現だよね。取り入れてみようかなあ。

#[商業BL]
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あおうま
猫は宇宙で丸くなる【電子書籍版/4篇収録】 (竹書房文庫) Kindle版
https://www.amazon.co.jp/%E7%8C%AB%E3%81...

紙版の縮約のようだ。猫SFというとまっさきに思い出すのがハインラインの『夏への扉』。文庫本表紙が白キジ猫の後ろ頭なのは言わずもがな。科学技術やガラスやプラスチックや金属の横溢するSFに猫が出てくると、生命のぬくもり、放逐された「自然」を感じられる気がする。
そのほかの猫にまつわる幻想文学やSFを集めたアンソロジー。同様の試みは当然ほかにもたくさんあるようで巻末にはブックガイドもある。
所収作品はジェフリー・D・コイストラ「パフ」、デニス・ダンヴァーズ「ベンジャミンの治癒」、ナンシー・スプリンガー「化身」、ジョディ・リン・ナイ「宇宙に猫パンチ」の四編。ほかの所収作品もkindleでより抜いて読めるようでそれも抑えていこうかと思う。ペットロス問題の解決をはかった「ベンジャミンの治癒」がとくに面白かった。結末に感動! やっぱり動物ものはこうオチてくれないとなとw 

ほか、巻末にあげられている猫SFブックガイドのうちアンソロジー以外を写しておく。

・ロバート・A・ハインライン「宇宙での試練」(1948/ハヤカワ文庫SF『地球の緑の丘』)
・アーサー・C・クラーク「幽霊宇宙服」(1958/ハヤカワ文庫SF『90億の神の御名』)
・アイザック・アシモフ「時猫」(1942/ハヤカワ文庫SF『ガニメデのクリスマス』)
・パメラ・サージェント「猫は知っている」(1981/扶桑社ミステリー『魔法の猫』)
・サキ「トバモリー」(1909/白水社『クローヴィス物語』)
・シオドア・スタージョン「ふわふわちゃん」(1947/早川書房『一角獣・多角獣』)
・タニス・リー「ナゴじるし」(1985/ハヤカワ文庫FT『ゴルゴン』)
・ジョージ・R・R・マーティン「守護者」(1981/ハヤカワ文庫SF『タフの方舟1 禍つ星』)
・レイ・ヴクサヴィッチ「キャッチ」(1996/東京創元社『月の部屋で会いましょう』)

#SF
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あおうま
#鏡花

泉 鏡花『照葉狂言』Kindle版
→本文はhttps://www.aozora.gr.jp/cards/000050/fi...

 朝より夕に至るまで、腕車、地車など一輌も過ぎるはあらず。美しき妾、富みたる寡婦、おとなしき女童など、夢おだやかに日を送りぬ。
 日は春日山の巓よりのぼりて粟ヶ崎の沖に入る。海は西の方かたに路程一里半隔りたり。山は近く、二階なる東の窓に、かの木戸の際なる青楓の繁りたるに蔽おおわれて、峰の松のみ見えたり。欄に倚りて伸上れば半腹なる尼の庵も見ゆ。卯辰山、霞が峰、日暮の丘、一帯波のごとく連りたり。空蒼く晴れて地の上に雨の余波ある時は、路なる砂利うつくしく、いろいろの礫あまた洗い出いださるるが中に、金色なる、また銀色なる、緑なる、樺色なる、鳶色なる、細螺おびただし。轍の跡というもの無ければ、馬も通らず、おさなきものは懸念なく踞居いてこれを拾いたり。


泉鏡花の初期の短編のうちのひとつ。以前『薬草取』を読んで、つぎは『照葉狂言』を読もうと思っていたので。
というのも山尾悠子『迷宮遊覧飛行』の中に鏡花選集の解説があり(女史は卒論も鏡花だとか)その解説中より気になった編を読んでいる。
大学の近代文学ゼミでみんなが『外科室』を読み倦んでいた(笑)思い出があったりもするw
『照葉狂言』とは江戸時代後期から明治時代にかけておこなわれた能狂言に歌舞伎や俄、音曲などを加えた大衆演芸のこと。
娼館の忘れ形見、貢(みつぎ)は目が溶けるような美少年。母を亡くし叔母に世話される孤児の彼は隣家に住む年上の継子・雪に思慕を抱いている。
ガキ大将率いる男の世界からは隔絶し、ひたすら女に愛でられて過ごす彼は、ある日金沢にやってきた照葉狂言の一座で師匠小親に見初められる。
生家が花札賭博で捜査され、行く当てをなくした貢は卑賎とみくだされた芸人の世界に身を投じる。八年後帰ってきた彼が見たのは、洪水の被害で見る影もなくなった古郷であった。
ストーリーはこんなところ。とかく性とは無縁に女性に愛され満たされる母なし子の幼年期を描く。
姉様としたった雪も、牛若に扮して中性的魅力凛凛たる小親も、すでに女の弱さにとらわれ、婿にとった養子には折檻され、リュウマチで体はままならず、零落の瀬戸際にいる。
「男性ではない」貢は恩人のどちらも救いえず、おさなきもののまま成長した彼は、尼が謡う幻想の山寺にたどりついたのち、ただ一人出奔してしまう。
堕落ののちの貧窮や凄惨を長々と述べるのは鏡花の美学ではないのだろう。
次は『戦国茶漬』か『天守物語』を読みたいがたぶん『天守物語』かな。
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あおうま
工藤重炬校注『詞花和歌集』岩波文庫

院政期初期の勅撰和歌集。なんでこれを読んだかというと「崇徳院の時代」だから。
藤原摂関期の主人公たる道長、その後継者であった頼通が没したのち、後三条天皇の親政をはさんで白河天皇が即位する。応徳三年〔一〇八六〕年十一月、八歳の皇子善仁親王(堀河天皇)に譲位し、以後堀河~鳥羽~崇徳朝にわたって白河上皇の院政期となる。
崇徳院は実は白川院の子であるという説も根強く、また父・鳥羽院や摂関家の分裂問題と絡んで、保元の乱に発展していく。源平合戦の前史である。敗北した崇徳院は出家したがそのまま讃岐に流された。配流後は懊悩し、経文血書によって行く末を呪い、日本三大怨霊という恐ろし気な伝説と化していったというさまがサブカル好きには印象深い。
そんな『詞花和歌集』だが、歌風としては『古今集』ののどかさから『後拾遺集』を経ていわゆる新古今調へと変化するまさにその直前である。撰者は藤原顕輔。父修理大夫藤原顕季は白川院の近臣として栄え、和歌に堪能で「人麿影供」という儀式を創始した。これが歌の家としての六条藤家のスタートである。顕輔は三男だったがこの人麿像を継承して正統を継いだ。院政期初期には源俊頼らの六条源家を凌ぐ勢いがあったようだ。この時代の政治状況は鳥羽院派と崇徳院派で対立していたため、同時代人の入集は少なく物議があり、また以後の御子左家・二条家流(=俊成流)による批判もあった。
そんな感じなのだが、新古今風に慣れた身からすると、ずいぶん読みやすいものである。歌数も全部で四一五首とコンパクトなのもうれしい。寛和元年〔九八五〕に圓融院子の日の遊びに御召もないのに推参し追い払われたなどという奇行をあげつらわれた曽禰好忠が十七首と、入集数一位。あっさりと詠みなしたような歌風が読みやすく、さわやかである。
また「別」の部もあり、任官やさまざまな理由でお別れしていく人々の餞の歌がそろっているのも当時の風習を伺わせて面白い。「忘れないでくれ」「ずっと寂しく思っているよ」系が多く、別離の心理というのに共感ができるw 今では通信が発達しているので、逆に新鮮だろうか。稚児への恋憐を歌う僧侶の作もある。
「新院位におはしましし頃」と始まる詞書も多く、時代を感じられる。崇徳院自身の入集数は少ないが、百人一首「割れても末にあはむとぞ思ふ」をはじめとしてどれも込み入った技巧でつくられた珠光の作である。春の部が次の御製でしめくくられるとき、惜春歌という行為そのものの空疎さを歌う皮肉にただ泣けてしまう。

をしむとてこよひかきおく言の葉やあやなく春のかたみなるべき
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あおうま
高瀬隼子『いい子のあくび』集英社

表題作と二つの短編が入っている小説集。帯のキャッチは『不合理な偏りだらけの、世の中に生きる女性たちの、静かな心の叫びを書く』とヒロイックな感じだが、もっと露悪的に言うと「主人公一人称語りで延々と人間を呪詛する」という感じ。キツすぎてヤバイ。「それなりにムカつく」程度のあんま問題なさそげな職場の人にも即「死なないかな」まで思ってるし……
マジで? そこまで思う? 飲み会付き合わされるの嫌なら行かなきゃいいだけじゃん。
表題作は、イイ子として感情を擬態して生きてきた社会的評価上のOLが「割に合わない」という被害者意識全開で「スマホ自転車運転」次はよりグレーな「スマホ歩き」をしている男性にぶつかっていくというお話。ドストエフスキー『地下室の手記』系統といえばいいか。
寄り添おうと思えばどこまでも寄り添えるのかもしれないけど、シリアルキラーものの主人公の心情に近いものを感じた。
痴漢ってやめられなくなるって聞くじゃん。ストレス解消のために他者を攻撃するようになることがクセになるとヤバイなあって怖くなる。
他二篇は「女同士の人間関係ってイヤだね~」という感想が真っ先に出てくる。結婚式に行かない、ってやばいよな~必ず揉めるやつ。
こういうものかもしれないけど、じゃあ女同士の人間関係にいったい何を求めているのだろうか。たぶんまっとうな友情であって、そんなもんめったに成立もしないし夢でしかないのに仲良くしてくれているってことだけでも感謝したほうがいいんだけど…とかいろいろ考えてしまう。呪詛のパワーだけはすごいから、代弁してくれたように思えてすっきりする読者もいるかもしれない。あと、人の飾らない本音って引き付けるパワーだけはすごいから、読ませる。愚痴スレとか愚痴アカとか見ちゃいがちな人にとってはよいかも。私の事ですけどね……気をつけなきゃいけないね、と反面教師にもなるのでした。

円城塔『世界でもっとも深い迷宮』2016年 Kindle

Kindle書下ろしなのかな? SF作家の短編。ゲームブックのプレイ体験を書いている。クールで即物的な描写は持ち味か。ただ、「ゲームブックに昔ハマったりした人」ではないんだろうか? あくまで突き放して無機物なシステムとして見なしている感じがする。その距離感が面白さを呼ぶこともあるとは思うが、ゲーマーとしてはちょっと物足りなかった。