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あおうま
村上春樹著『一人称単数』文藝春秋 二〇二四年

短編集。「石のまくらに」「クリーム」「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」「ウィズ・ザ・ビートルズ」「ヤクルト・スワローズ詩集」「謝肉祭(Carnaval)」「品川猿の告白」「一人称単数」を収録。「石のまくらに」は短歌をやってる女性とふとしたきっかけから寝たといういかにも村上らしい短編。「クリーム」の説明のない奇妙な状況設定なんかもいかにも村上らしい短編。何かしらオチらしいものがつく「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」がありがたいくらい。いつもの60年代でTシャツにジーンズでビールを飲んだり都会的な女性と寝たり謎を謎として紳士的に放置する村上ワールドであり、それ以上のものはない短編集。でもその「味」が読みたいときはかえって短編のほうが良いのかもしれない。「ウィズ・ザ・ビートルズ」は「『ウィズ・ザ・ビートルズ』LPを抱えて嬉しそうにしている制服の女の子とすれ違った」いうだけのイメージが果てしなくセンチメンタルで時代的でレトロで良い。

実際に僕の心を強く捉えたのも、そのジャケットを大事そうに抱えた一人の少女の姿だった。もしビートルズのジャケットを欠いていたなら、僕を捉えた魅惑も、そこまで鮮烈なものではなかったはずだ。音楽はそこにあった。しかし本当に(・・・)そこにあったのは、音楽を包含しながら音楽を超えた、もっと大きな何か(・・)だった。そしてその情景は一瞬のうちに、僕の心の印画紙に鮮やかに焼き付けられた。焼き付けられたのは、ひとつの時代のひとつの場所のひとつの瞬間の、そこにしかない(・・・・・・・)精神の光景だった。

すなわち、時代性というものである。固有名詞は必然的に人それぞれ変わる。入れ替え可能だろうか? 「におい」に似ていて、消え去りやすいものだろう。#読書
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あおうま
カズオ・イシグロ著『クララとお日さま』ハヤカワepi文庫 2023年

現在実用しうるレベルの生成AIが出てきて、とくに絵画系はヒステリックなバッシングにさらされているけど、これもAIのお話。
人型AI、人工親友(Artificial Friends)のクララは、ウインドウショッピングで見初められた病弱の少女、ジョジーに友人として買われる。
幼馴染で恋人のリック、母のクリシーなど周囲の人々とかかわりながらも、太陽光蓄電のクララは「お日さま」へのピュアな信仰を保ち、ジョジーの病気回復を祈りはじめる。
カズオ・イシグロの近未来ディストピアものにはすでに著名な『わたしを離さないで』があるが、今作はより胸糞な内容となっている。
AFは人間や動物とは同列ではなく、きっぱりと『奴隷』としての扱いだ。感情をもっていてもそれはコミュニケーションで考慮されないし、変態の餌食となる身代わりに犠牲を願われるし、「仕事だけでなく、席まで奪うとはね」と罵られる。
無理解と不慣れからの冷たい視線は今なおリアルに感じられる。
人間とそう変わらないレベルの外観の少年・少女がペットショップのように陳列され、値踏みされ、買われ、奴隷扱いされている状況はうすら寒いものがある。
ヒトにとって明るい未来はきておらず、遺伝子編集による能力向上処置を受けられない子供は大学入学を制限され、有能な技術者もロボットに「置き換え」られている。SF的な要素はAFクララの一人称視点の語りから断片的に読み取れるのみで、その陰鬱な空気を感じ取れるだけ。
カズオ・イシグロは細かい描写から真実を読み取るよう要求する文体なので、そのオブラート包んだ感覚をどう受け取るかは好みによるだろう。
そしてその中を生きるヒトもかなりエゴイストで、どうしようもない奴らが多い。一言多いリックの母親や、欺瞞を重ねて生きるヒステリックなジョジーの母親、主人のジョジーだって親切なように見えてはっきりとクララを奴隷として扱っているわがまま娘。この話の中で、好きになれる人間のキャラクターは少ないだろう。極めつけはオチで、もはや当初に述べたとおり胸糞である。『わたしを離さないで』と違ってセンチメンタルでどうにかなる描写ではない。

メタくそに書いたがこれこそまさに文学作品の味でもあると思う。途中からはページを繰る手が止まらなかった。人は不幸ののぞき見が好きだからね。
#読書
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あおうま
いとうせいこう著『想像ラジオ』河出文庫 二〇一五年

想像力をメディアとし伝わるラジオ、という体の一人語りではじまる。二〇一一年三月の東日本大震災で犠牲になったDJアークが自身の記憶や出自を語り、ときには別の死者たちと交感しあう「想像ラジオ」。物語は入れ子構造になっていて、喪った恋人との会話シーンを書き続ける作家Sたちの「生者の世界」と想像ラジオは「想像ラジオの聞けない人」という設定で複雑に交わる。
ところで、被災に思いをはせる、つまり死者の嘆きを想像するとはどういうことだろう。作中でも被害者でない他人が死者を語ることについて、震災ボランティアの青年が

その心の領域っつうんですか、そういう場所に俺ら無関係な者が土足で入り込むべきじゃないし、直接何も失ってない俺らは何か語ったりするよりもただ黙って今生きてる人の手伝いが出来ればいいんだと思います

あからさまにバランスをとるように投げかけるけど、その欺瞞を乗り越えても死者の声を聴こうと悼むべきだ、というのが作者の主張なのかな。

「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも、本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか、死者と共に」

でもこういう感覚は生者と死者のかかわりを考える上で普遍的な文学テーマだと思う。文章は会話中心だけど上記のとおり入り組んでるので、いまいち読みづらい。

あと、もちろんラジオなので文章上でもところどころで指定BGMがかかるんだけど、流しながら読むと気分もよくおすすめです。

1.ザ・モンキーズ「デイドリーム・ビリーバー」
2.ブーム・タウン・ラッツ「哀愁のマンディ」
3.フランク・シナトラ「私を野球につれてって」
4.ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ「ソー・マッチ・ラブ」
5.アントニオ・カルロス・ジョビン「三月の水」
6.マイケル・フランシス「アバンダンド・ガーデン」
7.コリーヌ・ベイリー・レイ「あの日の海」★
8.モーツァルト「レクイエム」(死者のためのミサ曲)
9.松崎しげる「愛のメモリー」
10.ボブ・マーリー「リデンプション・ソング」

#読書
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あおうま
河出文庫 塚本邦雄著『十二神将変』
#読書

現代歌人の雄、塚本邦雄氏のミステリ長編小説。戦後まもないころ、特殊魔法陣形の花苑にて罌粟を栽培する秘密結社があった。構成メンバーは茶道の貴船家、薬種問屋の最上家、花屋と菓子屋を経営する真菅家。その親戚の飾磨(しかま)家の長女と長男が、結社の秘密とともに殺人事件の犯人を追う。筋立てはこういう感じなんだけど、殺人にはトリックとかはなく、真相は「一番必要もないのに名前だけ出てきた人」って感じなのでミステリとしては肩透かし。じゃあ本書は何かというと、やはり博覧強記で独断偏見の歌人、塚本ワールドの具現化という点で意味がある。昴山麓にあつらえられた罌粟栽培のための「虚(おほぞら)の鏡に写る魔法陣暦法」なる花園のほうがよほど凝った趣味であり、供せられる懐石もすべてゆかしい。

飯は尾花粥、それも文字通り薄の幼い穂を焼いて煮込んだ黛色の粥、向付は丸につかねた木耳の黒和へを紅染の湯葉に載せて花札の名月を象り、吸物は滑茸の清汁(すまし)に金木犀の蕾を散らして池の黄葉(もみぢ)、煮物は銀杏と焼豆腐の葛引、焼物は裏漉の栗を拍子木に固めて白みその田楽に仕立、八寸が胡桃の空揚に秋海棠の蘂をほぐしてふりかけ女郎花の趣、鉢は胡麻豆腐と青紫蘇の穂、肴は柚子で鮮黄に染めた秋薔薇の蕾の甘露煮に糸蓼をあしらひ、菓子は真菅屋の「飛雁」、彼岸と落雁をかけた銘菓で煎った榧の実を七、八粒づつ道明寺で包みこころもち塩をきかせてある。

これだけ粋を尽くしてあるように思えても次章で

それはそうとあそこの茶事も雑になつたもんだ。法要後廻しの懐石は空きっ腹に忝かつたし、まあ茶室ぢやないから四角四面に作法通りとは言はぬにしても、いきなり二の膳つけて汁も吸物も八寸も強肴も一緒くた。田舎の婚礼はだしだぜ。

と嫌味を言われるんだからなかなかに手ごわい。話者の空晶は「ともかく語学、数学は教師も舌を巻き十五の歳には英英辞典を机上において授業を受け翌年は一周遅れのル・モンド紙を貰つて来て休み時間に耽読、数学の時間には机の下でエルランゲンの目録等を原書で盗み読みしながら指名されれば聯立方程式くらゐ瞬く間に解いてけろりとしていた」という意味わかんないサンスクリット学者。中盤で驚きの相手とBLするし、盛沢山である。塚本ワールドに浸るための書。

翻訳家・岸本佐知子が語る、わたしの百読本「だしの効いたおいしい日本語を読みたい」 ここにもレビューがあるのでよろしければ。
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あおうま
山尾悠子編・須永朝彦著『須永朝彦小説選』ちくま文庫

#読書

歌人であり、『江戸の伝奇小説』『歌舞伎ワンダーランド』など、古典文芸への造詣も深い須永朝彦の幻想小説アンソロジー。
吸血鬼ものである『就眠儀式』からセレクトされた表題作「契り」からして、ホモセクシャルを薫り高い伴奏とした耽美な世界が現出する。

たとへば吸血鬼譚――私は永遠(とは)に死を生きる美貌の吸血鬼の物語が読みたかつたが、従来の吸血鬼譚は悉く吸血鬼退治譚であり、登場する吸血鬼もまた美しき者は稀であつた。事情は、天使や闘牛士や化生(けしやう)や夭折者の物語に於ても同じであつた。現実の自分には望み得ぬ境涯、言ひ換へれば自分が()り代りたき存在を選び取り、その肖像を描く事がすなわち私の小説の方法となつた。「幻影の肖像」(『小説全集』パンフレットより)

このように本人が述べる通り、女色に流れないダンディズムと退廃的なヨーロッパ趣味の掌編が次々と咲いては枯れる。トランシルヴァニア、とくれば吸血鬼のふるさとだが、漢字表記で縷々と記されるその土地の来歴や樅ノ木の暗緑色からは、歴史の裏側に脈々と流れ続ける血のまざった密造酒の香りがたつ。
つづく「天使」に関する連作も、やけに堕天するものが多いあれらの性質を生臭く描いて奇妙である。歌人というバックグラウンドもあり、エピグラフに美々しき前衛短歌が引用されているのも気が利いている。後半、「聖家族」などの連作に至ると、登場人物はみな趣味に拘泥し、浪漫に生き、夢破れれば紙屑のようにあっさり死ぬ。残虐で美しい世界は、反現実の写し鏡として非常に魅力的だ。

隣家の庭には、いつも花が咲き乱れてゐる。私が越して来た頃は、君子蘭や鬱金香(チユーリツプ)が咲き誇つてゐた。躑躅(つヽじ)・芍薬・唐菖蒲(グラジオラス)罌粟(けし)天竺牡丹(ダリア)・鬼百合・立葵・夾竹桃・壇特(カンナ)・紅蜀葵……と咲き移り、今は鶏頭や曼珠沙華が花盛りで、雁来紅(かまつか)の葉も鮮やかに色づいてゐる。これらの花々は明らかに一個の好みによつて選ばれたものであり、我が家の庭に叔母が培てヽゐる草木類、連翹(れんげう)・蠟梅・苧環(をだまき)・鉄線・茴香(ういきやう)常夏(とこなつ)姫沙参(ひめしやじん)吾亦紅(われもかう)・白式部……といつた果敢なげな趣味とは見事に対立する、どちらかと言へば濃艶至極、居直り気味の悪趣味とも言へる好尚だ。(「聖家族 Ⅲ」)

古典ばりの花づくし。豪華絢爛な文章は幻想を冠しながらも案外読みやすい。BL趣味がないと多少きつい面もあるが、佳品がそろう美しい短編集だった。
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あおうま
J.K ローリング『ハリー・ポッターと謎のプリンス』Kindle Unlimited

反ヴォルデモート卿組織「不死鳥の騎士団」は犠牲を出しながらもホグワーツ魔法学校内から魔法省の支配をある程度取り除くことに成功する。ハリーたちは六年生になり、進路を決めるOWLテストを受ける年齢。宿敵・セブルス・スネイプは念願かなって「闇の魔術に対する防衛術」の教師となり、魔法世界の影の実力者ホラス・スラグホーンもダンブルドア校長のある狙いにより「魔法薬学」の教師として就任する。ダンブルドア校長も成長をみせたハリーたちに真相を隠すのをやめ、打開策を探るためにヴォルデモート卿の真実を教えていく。ハリーは授業で「半純血のプリンス」と署名された古い教科書の書き込みに助けられ、次第に夢中になっていく……。

スラグホーン先生は俗物なんだけどけっこう憎めないw ズルの薬を使って彼の秘密を暴くくだりは滑稽でお気に入り。ミスリードにはひっかかりまくったが、正体がわかってみると「純血のプリンス」の中二病っぷりが痛い。でも彼はまじめに勉強はしていましたね。今まで絶対の安全装置だったダンブルドア校長がついに戦いに身を投じていくのでけっこうショックなことが起きる。クィディッチは毎回欠陥スポーツだと思ってるけど、今回はとうとう主人公側がメンバー選抜なんかで不正をしちゃってるんで、世の中が腐ってくるとこういうことになるなぁとも思ったり。ロンの妹ジニーウィーズリーにハリーが惹かれる意味がいまいちわからない。前カノのチョウ・チャンは曲がりなりにも「かわいい」っていう絶対的なw理由があったんだけどな……ネビルも薬草学がんばってるね!
ラストは怒涛の展開で、実質学園生活最後の巻。そのまま最終巻に突入。

J.K.ローリング『ハリー・ポッターと死の秘宝』kindle版

二重スパイセブルス・スネイプの策略によりアルバス・ダンブルドア校長が倒れる。ハリーは成人年齢である17歳になり、守護魔法の効力が切れるため、間界の叔母たちとは永遠に別れる。「不死鳥の騎士団」による懸命な護衛策も見破られ、魔法省も完全にヴォルデモート卿に掌握されてしまう。絶体絶命の状況の中、ハリーは親友ロンとハーマイオニーと三人きりで、ヴォルデモート卿が死を克服するため己の魂を分割して収めた七つの「分霊箱」を探す逃避行の旅に出る。

長かったハリーポッターの戦いもこれで終わりである。何を書いてもネタバレなのだが、退場してしまう人物の多さは群を抜いている。結局ハリーは、律儀に幼馴染のスネイプと付き合い続けた母・リリーに似た性格なんだな。ずっとハリーが手を差し伸べ続けてきた劣等生ネビルの成長と活躍が泣ける。
スネイプ先生についてはもともと悪役としていい感じだし、そんなに嫌いではなかったのであれだが、最終巻に至って今まで特権地位に君臨してきたダンブルドアを理想的老賢者としての類型から社会による断罪で欲と血にまみれた現世的人物に解釈しなおすのが面白い。読了して全体の感想だけどやっぱり現代的なファンタジーとしてはかなりよくできている。魔法に変な独自の理論とかつけて窮屈にしていないところが逆に面白い。それでいて、ただのおとぎ話ではなく、ほかの魔法生物に対する魔法使いたちの高慢とか、人間との混血とか、より現実的で普遍的な政治問題を扱うので深みがありリアリティもある。竜に乗るとか聖剣を抜くとかのお約束はしっかりこなすところも安定感がある。
ハリーが心のふるさとになってくれていたウィーズリー家と親戚になれてよかった。六巻からは一気に読んだのでちょっとロスになってるw

さあ、これでようやくホグワーツレガシーをプレイできるぞ。

#ハリーポッター
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あおうま
川北 稔著『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書276) Kindle版
詳細

「砂糖」という、人類だれもが好む「世界商品」の歴史をみることで、近代以降のイギリス中心の世界史を解説。アジア、アフリカ、アメリカの鉱山や農場でとれる生産物のために、ヨーロッパ諸国は植民地獲得に乗り出す。十六世紀から十九世紀にかけての世界は奴隷貿易を前提に生産される「砂糖」でひとつにつながっていった――

概説書であるが、非常に面白い。紹介されているのは「世界システム論」(I.ウォーラーステイン)と歴史人類学の方法である。これ、宣伝文句にも書かれてるけど「世界史」選択の学生は読んだほうがいいだろうな。教科書を買いなおすよりよほどいい。「砂糖」という食品からみることで十六世紀以降の流れが具体的にわかりやすくなる。恥ずかしながら、「世界史」は暗記科目として通過しただけだったので、基本的な授業を受けたような気持ち。イギリスで「紅茶」が国民飲料になっていく段階や、上流階級にとってはステータスシンボル、労働者階級にとってはエナジードリンクでもあったという二重性なども勉強になった。ロンドンにあった紳士の社交場「コーヒー・ハウス」が堕落して衰退し、淹れるのがかんたんな「紅茶」のほうが家庭飲料となったために、今あまりイギリスに喫茶店はない、という事実も知らなかったw すべてに歴史ありである。kindle Unlimitedで読んだが紙でも買おうか…とすら思える本だった。

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あおうま
W・シヴェルブシュ著・加藤二郎訳『鉄道旅行の歴史 19世紀における空間と時間の工業化』法政大学出版局

産業革命時のイギリス、フランス、アメリカを例に、技術の進展に従って知覚が工業化されていく一連の過程を解き明かした本。テーマは体験的、個別的であった伝統的知覚から「パノラマ的知覚」への変容であるが、蒸気機関の開発からイギリス、アメリカでの発展を追った具体的な歴史の本としても読める。理論としてはウォルター・ベンヤミンのアウラ論とジクムント・フロイトの精神分析に立脚している。この本が面白いのは事項的歴史から人々の内面の変化を描き出そうとするところ。例えば鉄道旅行における人間の知覚の発展は次のように具象化される。

鉄道旅行の真実新たな刺激(、、)の一つは、その速度であり、それは近くにある対象に対する知覚の喪失、時間と空間の抹殺感を、結果として将来したものである。この新しい刺激は、最初は馬車の昔の速度に慣れていた旅行者をいらつかせた。だが次第に、この新式な速度と関連のあるもののすべてが、旅行者の心理に同化してゆく。フロイトの用語で言えば、刺激がいわば意識の表皮層をくまなく焼きあげ、「ある深さまでそれを変え続け」たのである。十九世紀の鉄道旅行者が列車の中で本や新聞が読めたのは、旅行が全感覚中枢を刺激する時間・空間的な冒険であったために、旅行中の読書など思いも寄らなかった初期の鉄道旅行者よりも、厚い表皮層を持っていたからである。後期の旅行者が、本を読まずに車室の窓から外を見る場合は、初期の人たちとは全く違う目で見たのである。われわれがパノラマ的見方と名付けた見方の発生は、刺激による意識の表皮層の「焼きあげ」が意識を変えるさまを、最も明瞭に示している。(二〇一頁~二〇二頁より引用)

またヨーロッパでの鉄道の歴史に特有なものとして、駅馬車での旅行を模すために市民階級はみなコンパートメント(個室)で移動するという特徴がある。一方階級意識の薄い米国では輸送は水路で行われるものという前提があった。したがって、車内は客船を模し、平準化されて大部屋のような開放的空間としてデザインされていく。この違いが非常に面白い。一八六〇年代にはフランスでのポワンソ裁判長のコンパートメントでの殺人事件を期に、社会不安まで巻き起こっていく。
列車の中での密室殺人、という想像力は一九三四年『オリエント急行の殺人』まで続いていくような気がする。大好きなエラリー・クイーン『Xの悲劇』(一九三二年)も鉄道殺人だったが、こちらの舞台はアメリカ、ニューヨーク。コンパートメントや寝台ではなく混雑した車両内での出来事。ほぼ同時代にスター作家によって書かれた推理小説だが、この本で論じられたヨーロッパと米国との鉄道の差異がいまだ残存している感じがある。

産業革命の象徴としての「鉄道」が当初人々に与えた不安感を、圧倒的な技術が環境と共に塗り替えていく。
AIに皆が期待といりまじった不安を覚えている今だからこそ読み応えがあり非常に面白い本。おすすめ!!
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あおうま
J.K ローリング『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 』Kindle版

PS5を買ったんでホグワーツ・レガシーをやるためにハリーポッターを全履修しようと思っているんだけど、前の「炎のゴブレット」あたりから一巻が長くなってきていてシンドイ。
今回はハリーもようやく十五歳という年齢になり、思春期まっさかりでイラついている描写が延々と続く。アンブリッジ尋問官も絵に描いたような悪役で嫌な気持ちにさせてくれるw
ただし、魔法省・ダンブルドアたち不死鳥の騎士団・ヴォルデモート卿と三つ巴になってから読み応えは増してきた。また、今まで単なるいじめられっ子に過ぎなかったネビルの活躍も目をひく。この巻でも登場人物の退場があるのだが、なんだかあっけない感じもあった……前の巻とは違って栄えある犠牲にすらなれない。ほんとうに悼んでいるのもハリーのみのような気がして救いないのがリアル。ずっとポジティブな希望を与えてくれていた父親・ジェームズや周囲の友人たちの無遠慮な残酷さみたいなシーンもあって人間模様が複雑。
こんな真実はいままでの幼いハリーじゃ受け止められなかったろうと思う。ただ、スネイプ少年に同情してくれてありがとう、ハリー。やはり物語のヒーローは優しくなくちゃね。
全体的にスカっとするエンタメなシーンは少ない。それにしてもバトルものは魔法中心だと叫んでばっかりになりがちで工夫しなきゃならないなぁと思った。

#ハリーポッター
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あおうま
石原千秋『名作の書き出し ~漱石から春樹まで~』光文社新書422 kindle版

「漱石から春樹まで」の十五作の文学作品をテキスト論で文学史含めて分析。「作者の意図」だの「作者の実人生」とひたすらに関連させて文学作品を読解する風潮は薄れたとは言い難いのでいまだにこの種の啓蒙書の意味はあるのかと思う。完全な「作者の死」を夢想したくもあるけど、それは現実なかなか難しい。とくに古典やってると
それにしても文学作品ていうのは、不倫あり近親相姦あり娼婦あり同性愛あり偽装婚ありセックスありドラッグありで大変だ。ここにあげられた十五作品に、どの要素も含まない規範的なものは存在しない。どれもかなり性的な匂いが強い(もしくはそういうふうな面を強調して選別している)
山田詠美の処女作である『ベッドタイムアイズ』って視点人物はドラッグには否定的だし、「わりとおとなしいよな」って思ってしまうほどであるwww

ポルノグラフィと文学の境界はどこにあるんだろう? 「自慰用のツール」としてつくられてはないって部分かな~と思うが。フェミニズム文脈でのポルノグラフィの定義だと一方的すぎてずれてしまう(→参考 関西大学学術リポジトリ 「<ポルノグラフィ>批判とポルノグラフィを消費する経験との間で」http://purl.org/coar/resource_type/c_650...

あとトポス論として『痴人の愛』(谷崎潤一郎著)に対して『たけくらべ』を引き合いに出したりしているのだけど

千束町と言えば、文学にとって記憶されるべき町だった。樋口一葉『たけくらべ』の舞台で、 しかもその主人公は「美登利」だったのである。こういう背景を考えれば、「奈緒美」という 名前が「美登利」から連想されたものであることは、当時の読者には自明のことだったろう。そして、 譲治が暗示しているように、千束町といえば遊郭に近接した町である。 そこの子供たちを書いたのが、『たけくらべ』だった。だとすれば、 十五歳で女給に出されたナオミの将来は、ほぼ決まっていたも 同然だったのではないだろうか。

(石原 千秋. 名作の書き出し~漱石から春樹まで~ (光文社新書) (Kindle の位置No.383-388). 光文社. Kindle 版.)

こういう読解がいわば緻密なリサーチから遊離した職人的技術のようにみえて、浅い若者(私のことです)は憧れるわけ。結論自体はよいとしても、傍線部あたりの論はかなり乱暴だし、こういう部分を客観的に埋めていくのが研究であるという教訓を忘れないようにしたいところですね。